体の痛みに寝返りを打った。 動かした足が、何かとぶつかった気がする。 人肌の感触。誰かの…足? 重い瞼を開ければ、光に目が眩んで一瞬世界が真っ白になる。 ようやく視力を取り戻した目に映ったのは、敷布団ではなく古ぼけた畳。 …あれ、僕、メガネしたままだ。 体を起こして、冬眠から覚めた熊のようにのそのそと暖かなほら穴から這い出した。 まず目に入るのは、ミカンの皮や酢昆布の箱やビールの缶が散乱したテーブル。 いつも銀さんや神楽ちゃんに、だらしないですよ!と注意していたのに。 …とうとう僕もやってしまったらしい。コタツで夜明かし。 四角いコタツの右隣の辺では、肩まで埋もれた神楽ちゃんが定春のおなかに頭をもたれて、熟睡中。 その更に右隣では銀さんが自分の腕を枕に寝息をたてている。 残った1ヵ所…僕の左隣には、誰もいない。 あれ?さんは? 昨夜の万事屋の年越しでは、さんはそこに座っていたはず。 寝惚けた頭を掻きながら立ち上がり襖を開ける。 朝の光が差し込む元旦の万事屋。 窓の外は抜けるような冬晴れ。 これは初日の出、見物だっただろうな。 「おはよう、新八君」 かけられた声に振り返れば、すでに身なりをきちんと整えたさんが廊下から居間に入ってきたところだった。 「おはようございます、さん。早いですね」 「コタツで寝たら体が痛くて。早くに目が覚めちゃった」 ああ、やっぱりさんもあのままあそこで寝たんだな。 なんか、銀さんの悪影響でお行儀悪くなっちゃうんじゃないだろうか。僕らみんな。 「あの2人、まだ寝てますよ。そろそろ起こしましょうか」 「いいんじゃない?お正月くらいゆっくりしていても」 そうは言っても、あの2人がゆっくりしているのは正月だけに留まらないんだけど…まぁ、いいか。 テレビをつけようとリモコンに手を伸ばした僕に、さんが「ハイ」と何かを差し出してきた。 「あ、年賀状」 「今ちょうど郵便屋さんが置いていったの」 万事屋銀ちゃん様、坂田銀時様、万事屋御一同様…。 紙の束をパラパラとめくり、宛名を流し見ながらソファに腰掛ける。 「たくさん来るのね」 僕の手元を覗くさんは、少し意外そう。 「そうですねー。銀さんからは一切出さないんですけど…。大概、以前依頼を受けた人からで…ほら、これなんかも」 束の1番上。めくった年賀状は小さな子どもの文字。 「『幸子を探してくれてありがとう』?」 「あ、え〜と、猫です。行方不明の猫の捜索依頼だったんです」 僕の説明にさんが笑った。 なんだ、行方知れずの家族かお友達かと思った、と。 「そうそう。銀さんも同じこと言って。猫かよ!まぎらわしー名前つけんじゃねーよ!って怒ったりして。最初やってらんねーってグダってたんですけど。飼い主のこの子が病弱で学校も行ってなくて、唯一の友達が猫なんだ、って話聞いたら、結局文句言いながら夜中まで探し歩いたりして…」 話しながら、次々と浮かぶ記憶。 銀さんが変てこな猫捕獲用仕掛けを作ったけど、一切役に立たなかったこと。 神楽ちゃんが、幸子ォォ一人寝の夜は寂しいアルーなどと叫び歩くから、道行く人にひどく白い目で見られたこと。 早朝、ようやく連れ帰った幸子を見た時の、その子の顔。 まだ1年にも満たないけれど、なんだか懐かしい思い出。 年賀状の1番最後には『春から学校へ行けることになりました』の文字。 自然、口元が緩んだ。 「あとこれは、盗まれた時計取り返してくれって依頼のおばあちゃんですね。こっちは奥さんの浮気調査を頼んできた旦那さん…」 どれもこれも、大層なものではない。安い報酬の小さな依頼。 でもそれぞれ、まず思い出すのは依頼主の顔。 万事屋は、きっと仕事ではなくて人と繋がっているから。 私が見て良かったのかしら、と遠慮がちに首を傾げるさんに僕は、もちろんです、と他のハガキも差し出した。 普段、依頼主と鉢合わせようと、銀さんが傷を負って帰って来ようと。 銀さんが自分から話さない仕事のことは、何も聞こうとしない。 間違ったことをしているはずはないから、無事ならいいのよ。なんて。 尋ねた僕に、以前そう言って笑ったさんだから。 それでいて、町を歩けばあちこちでくされ縁たちから声のかかる銀さんを、誰よりうれしそうに見つめているさんだから。 銀さんが依頼という名の下に紡いできた糸を、こうして見る権利はあるって。見せてあげたいって。そう思うんだ。 2人でソファに座り、年賀状を眺めるゆっくりとした時間。 テレビもつけず、主も眠ったままの万事屋は、外からの鳥のさえずりが響くほどに静かだ。 「あ、新八君。これ、お妙さんのお店よね?」 さんが僕に差し出したのは『スナックすまいる』と書かれた派手な色柄のハガキ。 新年会は当店で。宣伝用の年賀状だ。 「このハガキをお持ちの方にはドリンクサービスですって」 「ああ…ソレ。去年銀さん、長谷川さんとハガキ持って行ったら、サービスされたドリンクの10倍はぼったくられたって疲れた顔で帰ってきたんで、今年は行かないと思いますよ」 銀さんの憔悴しきった顔を思い出しながら僕が答えると、お妙さんは商売上手なのねぇ、と感心したようにさんはつぶやく。 彼氏がキャバクラでぼったくられても動揺しないね、さんは。 「あ、さん。坂本さんからですよ」 「辰馬君から?」 宛名は相変わらず『坂田金時様』。 そしてその隣には、『様』と連名で表記されている。 「…もしかして坂本さん、さんと銀さん一緒に住んでると思ってるんですかね。ていうかこの書き方だと、結婚してると思ってるっぽいですよね」 並んだ名前はどう考えても夫婦書き。 「…辰馬君てね、昔からこうなの。細かいこと気にしないせいかしらね。早とちりっていうか、自分なりに理解しちゃうっていうか」 さんがおかしそうにクスクスと笑う。 「あー。たしかにそんな感じですよね」 「銀時はあんな感じだから、面倒臭がっていつも説明が足りないの。それを辰馬君が自分なりに解釈しちゃって、マジメなヅラ君がそれを一つひとつ正していくの。そうじゃない、こうだ、って。でもそのうち、そもそも貴様の言葉が足りないんだ、って銀時に怒り出して、結局ケンカになるのよ?」 懐かしむような目で坂本さんの年賀状を見つめるさん。 今も昔もなんら変わらない様子を想像して、僕もなんだかおかしくなる。 「3人の言い合いが収まらない時、いつも、いい加減にしろうるせーな、って止めるのが高杉君だったな」 ぽつりと最後に付け足された台詞。 何もかも変わらない、なんてあるわけがないのか。 今は変わってしまった4人のうちの1人。 それでもきっと、さんにとっては、どこかで無事に新しい年を迎えていてほしいと願う仲間。 多分、銀さんにとっても。 「んだよ、おめーら。テレビもつけねーで何しんみりしちゃってんの?」 和室の襖がノロノロと引かれて、大アクビで涙目になった銀さんが僕らを見下ろした。 「おはようございます」 「おはよう」 僕もさんもつい夢中になっていた手元の年賀状から我に返って顔を上げる。 銀さんは背中を掻きながらダルそうな足取りで僕らの脇を通り抜けて洗面所へ。 「あ、そうだ。朝ごはんの用意してなかった」 僕が慌てて立ち上がると 「お雑煮の用意ならしてあるけど、それでいい?」 とさん。 もちろんです!と元旦から食事当番でがっかりしていた僕は即答する。 さんが台所へ行くのと入れ替わりに銀さんが居間に戻ってきた。 さっきよりは幾分か目の覚めた顔で、それでも気だるげにアクビをもう一つ。 「銀さん、コレ。年賀状来てましたよ」 僕がハガキの束を差し出すと 「毎年皆さん律儀なこったねェ。読むのに時間がかかってしゃーねーや」 などと、つまらなさそうな表情でそれを受け取る。 そしてそのままソファではなくデスクへ。 腰掛けた椅子をくるりと回して、窓の方を向く。 去年と同じ。 ああして僕らには背を向けて、1枚1枚ゆっくりと年賀状を読むんだ、銀さんは。 面倒臭そうな態度で。 興味の無さそうな顔して。 一つひとつ依頼主の顔を思い浮かべているくせに。 『元気にしています』 『ありがとう』 そんな近況報告やお礼の言葉に、少しだけほころぶ口元を僕らに見られたくないから、そうして背中を向けるくせに。 「ウース」 「あ、神楽ちゃん。おはよう」 ごしごし目をこする神楽ちゃんが、ガタガタ襖に肩をぶつけながら起きてきた。 「神楽ちゃん。お父さんから年賀状来てるよ」 「…パピー?」 僕が差し出したハガキを受け取った神楽ちゃんは、半分閉じたままだった目を少し驚いたように見開く。 そして、ぱっと僕に背を向け、壁際にしゃがみ込む。 あっちで年賀状を読む銀さんとこっちで年賀状を読む神楽ちゃんの背中を、僕は交互に見比べた。 …まったく、この2人は。 うれしいならうれしい顔したって、別に何も言いやしないのにね。 素直じゃないんだから。 台所からお雑煮を乗せたお盆を手に、さんが戻ってきた。 テーブルに並べるのを手伝いながら、ごはんですよ、と2人に声をかける。 年賀状をデスクに放って立ち上がる銀さんにさんが 「辰馬君からの年賀状見た?銀時」 と笑いかけた。 「あー。新年の挨拶とかいいから、とりあえず俺の名前覚えろって言いたいよね」 「相変わらずね、辰馬君。私のこともここに住んでいると勘違いしてるのね」 さんの言葉に、銀さんがソファに腰掛けてテレビのスイッチを入れながら溜息をつく。 「アイツ人の話聞かねーからな。まだ一緒に住んでねぇって俺ァちゃんと…」 「まだ?」 「まだ?」 お父さんの年賀状を見ていた神楽ちゃんと、箸を並べていた僕が、同時にワンポイントを復唱した。 無意識に出たのだろう自分の台詞に気付いたらしい銀さんが、テレビの方を見たまま一瞬黙る。 さんは、そんな僕らと銀さんを交互に見る。 「まだって…」 沈黙を破ってなおも追求しようとすると、 「るせーんだよ、てめーはよォ。アゲ足ばっか取ってっと立派なコンタクトになれねーぞ、ダメガネ。コラ」 と、とても理不尽にキレられた。 …いや、別にメガネは成長したってコンタクトにはなりませんよ、銀さん。 少しだけ懐かしい人たちからの便りと。 相変わらずの面々の相変わらずなやり取りと。 温かな湯気の立つお雑煮で始まる新しい年。 これまで出会った人たちと、これから出会う人たちに。 こんな僕らですが、今年もよろしく。 心の中で、そっと年賀状を送る。 騒がしい元日の朝の万事屋から。 よろしく |