金曜日、深夜2時。 蛍光灯が明るく照らす部屋の中、まるで眠気の起きない体をベッドの上で転がせる。 普段あまり見ることのない深夜番組の賑々しい声は、ボリュームを落としていても次々耳に流れ込む。そして、素通り。 明日は学校、休みだし。 一応受験生なわけだし。 やりたい事だって色々あるし。 夜更かししなくちゃ、もったいない金曜日。 …というのは誰にともなく1人心で繰り返す言い訳で。 実際は、さっきから何一つ手につかないまま、こうして天井を見ているだけ。 そう。夜更かしの理由は、まるで別なところにある。 大体、金曜の夜の銀八先生の行動なんて、前からわかりきっていることで。 こんな時間まで飲んでいるのなんて、今に始まったことじゃないわけで。 でも、いつもは、家で1人で飲んでいるか、坂本先生とか服部先生とか、男友達(と言ったら「あんなアホども友達じゃねーよ」と渋い顔されたけど)と飲んでいるのを聞くくらいだから。 今日はちょっと違う、と思ってしまう。 なんでも今日は、今度結婚する先生のお祝い会だから、校長以下全員集合の飲み会なんだそうで。 そうなると、メンバーには銀八先生と同年代の女の先生なんかもいるわけで。 普段はお金が無くて居酒屋で済ませているところを、ちょっと奮発してキレイな女の人がいるお店に行ったりするかもしれないわけで。 つい、そんなことを考えてしまったのが、今から約3時間前。 それから、なんだか眠れないまま、ふと気付けばこの時間。 先生の事を疑うわけじゃない。 でも、私にはわからないから。 そういう集まりがどんな雰囲気なのか。 お酒が入ると、いつもの先生たちがどんな会話を交わしているのか。 銀八先生が、どんな風に酔っ払っているのか。 私には入ることができない領域だから。 結局、想像することしかできなくて。 知っているのは、こんな時間まで飲んだ翌日の先生が、よく家に帰り着くまでの記憶を無くしているということだけ。 疑っているわけじゃ、ない…けど。 …なんかやっぱり不安。 あれ?これって疑ってる? こんなことじゃダメだめだよね。 こんな金曜日が、これからだって何度あるかわからないのに。 その度にこう? こんな時どうすれば、この、どうしようもなく独り善がりで無意味な不安を吹き飛ばせるんだろう。 仰向けのまま溜息をついた時、枕元の携帯が震えた。「贈る言葉」のメロディーとともに。 この着信音に設定している相手は、ただ1人。 自分とは思えないスピードで、携帯に手が伸びた。 「もしもし!」 『…はっえー。早押しイントロドン?』 耳元に響いた聞き慣れた声に、息を一つついた。 今度は溜息ではなくて、肩からついた、安心の息。 ああ、そうか。 結局私の不安を吹き飛ばせるのって、この人だけなんだ。 「先生、飲み会は?終わったの?」 『あー、終わった。ダリーわ。校長、話なげーし。つーか、寝てた?』 「ううん。起きてた」 『あー。俺のこと考えて寝れなかった〜、みたいな?』 いつもより微妙に明るい先生の声。 「先生、酔ってるでしょ」 『あん?酔ってるに決まってんだろ、コラ。酒は酔うために飲むんですー』 「はーい、そうですかー」 でも、うれしいな。 酔っ払っているのに、普段滅多にくれない電話をしてくれたんだね。 どうやら外を歩いているらしく、時々車の音や風の音が先生の声に混じる。 家に帰りながら電話してるのかな。 聞いてみようと口を開きかけた時。 『おーおー、夜更かしヤロー。電気ついてんのお前んちだけじゃねーか。もちろんべんきょーしてたんだろーな』 …。 はい? 先生の言っている台詞に違和感を感じてから、もしかして、と思うまでの数秒間。私は黙った。 そして、勢いよくベッドに立ち上がり飛び降りる。 カーテンを開けると、暗い夜道に、明るい髪とゆらめく煙。 2階の窓を見上げる彼と、目が合った。 「先生!どうして?何してるの?!」 『どーも〜、ストーカーで〜す』 「だって、えええ?!なんでここにいるの?」 混乱しても仕方ないと思う。 先生の家から私の家は、決して近くは無いから。 『今日飲んでた店、この近くだもんよ。言わなかったっけ?』 「そうなの?!」 『つーかよー。ちょい、下りてこれね?』 「えっ」 『ちょっとだけ』 「行く!」 なんかもう、頭は真っ白で。 急いで先生のところに行かないと、やっぱり夢でした〜、っていうベタなオチに追い着かれてしまいそうで。 早く、早く。 そう思いながらも、階段はそぉっと。物音をたてないように。 玄関もそぉっと。うるさくしないように。 そうしてサンダル履きで飛び出すと…あれ?どこ? 慌てて左右を見回そうとすると、斜め後ろから腕を引かれた。 家の窓から死角になる細い路地へと。 そしてそのまま、タバコの香りに抱きすくめられた。 「たーだいまァー」 耳元で気の抜けた声。 微かにお酒の匂い。 「先生、なんで?急にどうしたの?」 「あー?別にィ〜。顔見てーなーとか思って」 いつもより気だるい調子で、いつもは言わないようなことを先生が言うから、何も言えなくなってしまう。 「でー、顔見たらー、チューしてーなーとか思って」 腕を緩めながらそう続けた先生の唇が私の唇に軽く触れる。 「でー、チューしたらー、どうしてーなーと思ったかは、あえて言わないでおくわ」 夢オチはいつ来るのかと状況を信じられず固まっていた私にも、先生の言葉と行動に少しずつ現実感が訪れてきた。 訪れた、と思ったら、なんだか急に泣けてきた。 「え〜と…なんで泣いてんスかね。俺、なんか泣かすような事したっけ。まだしてないよね」 さすがに先生も多少戸惑いぎみな声で私を覗き込む。 「なんでだろう」 「聞き返されちゃったよ、オイ。これ以上『なんでだろう』が続いたらジャージで弾き語らなきゃならねーよ」 「会えたからかな。先生と」 自分でもすぐには理由のわからなかった涙をこする。 先生の困った顔がおかしくて今度は笑ってしまうと、先生も安心したように笑った。 「遠恋カップルじゃねんだからよ。今日も昼間会ってんだろーが」 「じゃあどうして夜も会いに来てくれたの?」 「それはお前、アレだよ。酒でテンションがガーッとなってアドレナリン的なモンがバーッとなったからだよ」 「…よくわかんない」 「うるせーな。なんでもいんだよ。ゴチャゴチャ言うと帰さねーぞ」 言いながら先生の手が、私の頭を自分の胸に抱き寄せる。 「先生、そんなこと言ってもいつもちゃんと帰してくれるでしょ」 「バカ、おめー。真夜中にこーゆー行動をとってる時点でちゃんとしてねーだろーが。酔っ払いナメんじゃねーぞ、コラ」 いつも先生は、私よりもずっと大人で。 なんだかんだ、口が悪かったり、適当だったりしながらも、私の事を気遣ってくれているのがよくわかる。 私が生徒だから。 自分が教師だから。 我慢しなきゃならねーこともあるけど、まぁしょーがねーしよ。 なんて、何でもないことのように軽い口調で、でも優しく、諭してくれる。 でもやっぱり、寂しくなってしまう事はあって。 先生を困らせそうになる事もたくさんあって。 実際困らせた事もきっとたくさんあって。 だから、せめて今日だけは。 少しだけ、安心してもいい? 私だけじゃない、って。 普段こんな無茶をしない先生の、こんな行動に。 寂しくなったり、不安になったり、会いたくて仕方なくなったりするのは。 私だけじゃないんだ、って。 少しだけ自惚れちゃってもいい? 「先生、明日また二日酔いだね」 「世話しに来てくれても構わないけど?」 耳元で先生が笑う。 いつもより少し柔らかい表情。 いつもよりも楽しげな声と、いつもよりも呑気な口調。 でも、いつもと変わらない、温かい手。 これが、酔っ払いな銀八先生なんだね。 そんな先生の突然の訪問に、飛び跳ねた心臓はまるで元に戻らないし。 詰まりそうな息のまま、でも、どうしようもなく幸せな気分で。 そんな思いを更に増すように、先生の手が、優しく私の頭に乗せられた。 「そろそろ家入っとけ。悪かったな、こんな時間に」 「どうして?悪くないよ?すごくうれしい」 離れがたくて、頭の上に乗った手を取った。 大きな掌にそっと頬を寄せてみる。 「…だから、お前。酔っ払いナメんなって。理性を差し置いて本能がスーパー●イヤ人並みに戦闘力上げんのが酔っ払いなんだぞ、お前」 言いながら先生が、溜息混じりに視線を他所に向けた。 ポケットからタバコを取り出す先生に、 「酔っ払いも悪くないなぁ、って今日だけは思っちゃった」 と、つい正直な気持ちを言うと。 くわえる寸前でタバコを持つ手が、止まる。 そしてその手が、タバコではなく、私を引き寄せた。 そのまま腕の中で、重なる唇。 お酒の香りが頭の芯まで流れ込んできて。 酔ってしまいそう。私まで。 いっそ、酔ってしまえればいい。 そうしたら、後先なんて考えずに、先生と一緒にいられるかもしれないのに。 そんな気持ちが、頭をよぎった。 「これ以上ナメるとこんなモンじゃすまねーぞー」 言いながらも、家の玄関へと私の手を引く先生。 理性の勝利に、安心すべきかがっかりすべきか。 でも、お酒も悪くないな、って思ってしまった、さっきまでとは裏腹の私。 明日は、今日とは格段にテンションが違うだろう二日酔いの先生に、会いに行ってみようかな。 夜道でもらったアルコールの香りで、私も二日酔いになれるかもしれないから。 だから明日は、いちご牛乳を2つ持って。 いつも先生がするみたいに、甘い香りで、アルコールを抜いてみよう。 夜道と |