てのひら
男の人にしては白い肌の、骨ばった手。 しっかりと固い節々の、長い指。 私にはできないような細かい手作業を器用にやってのけたり。 私には持てないような重い荷物を軽々持ち上げてしまったりする、その、てのひらは。 重ね合わせてみた自分の手から、関節1つ分以上もはみ出してしまう。 強く手を握られれば、骨が当たって痛いくらいなのに、それでも離してほしくないと思う。 その指に触れれば、心臓は早くなる一方なのに、心はひどく柔らかな安心に包まれる。 銀八先生のてのひらは、不思議なてのひら。 「何観察してんだよ」 その左手を取ったまま、眺めたりひっくり返したりを繰り返していた私をしばし放置していた銀八先生が、とうとう口を開いた。 とは言えしつこい私の手を振り払うでもなく、右手だけでポケットからタバコを1本出し、ジッポを出し、火をつける。 「何?お医者さんゴッコ?診察なら、手よりもっと見てほしいトコあるんスけど」 「…この手、ほしいなぁ」 思っていたことを、そのまま口に出してみた。 先生は、「はァ?」と不思議そうに眉を寄せる。 「お前がイキナリ手だけこんなんなったら、俺、引くけど。つーか、泣くけど」 「そうじゃなくて。先生みたいな手になりたいんじゃなくてね」 どうにかうまく伝えようと、考え考え言葉を紡ぐ。 銀八先生はいつも通り、そんな私を黙って待っている。 「なんていうか…この手を、持って歩きたい…じゃなくて。ええと、いつも側にあったら、なんか…いいなぁ、とか思って」 結局はうまく伝えられない、たどたどしいだけの言葉たち。 持って歩くってお前…と先生が顔をしかめた。 たしかに。普通に想像するとホラーだ。 触れてしまうと離し難いこの手を、時々、家まで連れ帰ってしまえたら、と思うから。 この手のあったかさがいつも側にあれば、寂しくなる時にも先生に迷惑をかけずに乗り切れる気がしてしまうから。 ただ、それだけの事なんだけど。 「残念ながら、こいつァやれねぇなァ」 傍らの携帯灰皿にタバコの灰を落としながら、先生が言った。 「どうして?」 「痛いじゃん」 「…」 そうだけど。もちろん現実的に考えればそうなんだけど。 「つーか手だけでいいわけ?俺の存在価値、手のみ?新八で言うメガネ的な存在感?」 眉間にシワを寄せて訝しげに私を見る銀八先生に、慌てて首を振った。 「そういうんじゃなくて。ほんとは全部が一番いいんだけど」 「なら、手とか言わずに俺にしとけや」 「…そっか」 「そうだろ」 あっさりそう返されると、なんだか納得してしまうんだけれど。 「…でも銀八先生、家に持って帰れないしなぁ」 「何、お前、俺をお持ち帰りしてぇの?いや、全然お持ち帰ってもらって構わねーんだけど。つーかむしろお持ち帰って」 「…」 少しの間の後、「つーかよォ」と銀八先生は空に煙を吹き上げながら言葉を繋いだ。 白い煙が淡く景色を霞ませて、散っていく。 「こんだけ好きにさせてんだから、俺の手なんざ、もーお前のモンみてーなもんだろーがよ」 まだその左手を取ったまま、握ってみたり重ねてみたりを続けていた私に、銀八先生はあっさりとそう言った。 決して振りほどくことなく、されるがままの先生の手。 これ。私のもの? 「そうなの?」 「ま、だからって、これだけくれてやるこたァできねーから、必要なら俺ごと呼べばいんじゃね?別に」 いつもと何ら変わらぬ気だるい調子で、当たり前のように投げ掛けられる言葉。 ああ、そうか。 時々この手に頼りたくなる時でも、それを先生に言えない私を、先生はちゃんと知っているんだ。 いつだって電話1本かけるにも、メール1つ送るにも考え込んでしまう私を、先生はちゃんと知っているんだ。 知っているから、先生はいつだってこうして、私の思い込みや独り善がりな考えなんて軽く吹き飛ばしてくれるんだ。 ほんの簡単な、一言で。 「とは言え俺のモンでもあるから油断はしねー方いいけど?」 不意にそんな事を言い出すと、銀八先生は空いている右手で私の頭を乱暴に撫で回す。 「なんつーの?直毛ってこうしてやりたくなるよね」などと理不尽な事を言う先生に、ぐしゃぐしゃの髪のまま抗議しようと顔を上げると。 今度はその手が私の後頭部を押さえた。 そのまま引き寄せられて、重なる唇。 抗議、失敗。 握ったままの先生の左手は、優しくて、暖かいのに。 頭に添えられた先生の右手は、強くて、熱い。 不思議。 「…先生?」 「あ?」 「油断もたまにはいいね?」 「…お前も言うようになったね」 少しだけ呆れたように言ってから、先生は「生意気こいてんじゃねーよ」と私の頬をつねる。 言葉の割にまるで力の入っていない、その指で。 誰よりも、このてのひらの事が知りたい。 誰よりも、このてのひらに触れていたい。 ただそれだけ。 そう思うだけ。 それを許された事が、今はただ、うれしいだけ。 |