「先生、もう1回!もう1回やって!」 「いや…だからさ。いいだろ、もう」 何度目かの同じ台詞に、銀八先生が呆れ顔で私を見た。 「だって早くてよくわかんない」 「お前がわかる必要ねーんだっつの」 面倒臭そうな声。 でも諦めた様子で。 先生はタバコの上に乗せていたジッポをもう一度手に持った。 きれいな金属音。 先生の指が軽く上下し、手の中でジッポの蓋が開く。と、同時に火が灯った…ように見える。 そのまま軽く手を振ると、再び蓋が閉じた。 ここまで、右手だけ。あっという間。 …普通こういうのって親指で開くよね? 親指使ってなかったよね? ていうか、火つくの早いよね? 先生の手の中に何事もなかったかのように収まるジッポと、先生を見比べる。 「いいか?もう」 「…もう1回」 食い下がる私に、やれやれと言わんばかりに溜息をついて。 今度は手の中でくるんと1回転して蓋が開く。 そしてまた、あっという間に着火。 「えええ?!今の、さっきのと違うよ?回ったよ?」 「飽きた。同じのばっかで」 「…」 銀八先生がタバコに火をつける姿なんて、もうすっかり見慣れているけれど。 事の始まりは先生が白衣のポケットから、いつもの鮮やかな100円ライターではなく、鈍く光る真鍮色のライターを取り出したことだった。 (先生曰く、飲み屋で隣になった泥酔親父から、じゃんけん3回勝負で勝ち取った、とのこと) そしてタバコをくわえ、いつもとなんか違う指の動きで火を付けたのだ。 なんていうか、普通に親指でこすって火をつけるのとは違う。ちょっとした技的な動きで。 今の何?とすぐに私が食い付いたら、先生は何が?という顔。 『今、火のつけ方、なんか見たことないつけ方だった』 『ああ?火ィ?』 『もう1回やって』 そしてここから。 先生は私の『もう1回』に付き合わされている。 やっと落ち着いてタバコを吹かす先生の横で、私は先生のジッポを握り締める。 なんか、こうやって、中指で蓋を開けてた気がする。 そう思って先生の真似をしてみるけれど、蓋すら開いてくれない。ていうか、指がかすりもしない。 「違うっつの。中指じゃなくて薬指で開けんの」 しびれを切らしたように、黙って見ていた先生が口を出してきた。 「薬指?」 どうやって?薬指なんて普段単体で使わないよ。 戸惑う私の手に、後ろから先生の手が添えられた。 胸がきゅっと締めつけられるような感覚。 私、いつになったら、先生とのこの距離に慣れるんだろう。 「だーから、人差し指と中指でこーして。で薬指はこう」 先生が持たせてくれた構えで、もう一度チャレンジ。 さっき届かなかった薬指がなんとか届いて蓋が開く。 「はいー、そのまま薬指Uターンさせて火ィつける」 言われたとおり指を下ろす…けど、うまくこすれない。 もう1回、もう1回、と、若干ムキになって繰り返してみる。でも、まるでダメ。 「先生、できない」 「指みじけんじゃね?つーか不器用なんじゃね?」 短くなったタバコを灰皿に押し付けながら先生があっさりと言い放った。 「あの、くるって回る方のやつは?」 「だからんなもん覚えてどーすんだよ。おめーが火のつけ方なんか知らなくていいんだっつの」 「だって、なんか」 火をつける先生が、なんかすごくかっこよかったから。 それで、真似してみたくて。 同じことしてみたくて。 口には出せないけれど、心でつぶやく。 「つーか、ちょっと昔のクセでやっちまっただけなんだから、んな食い付くなよ。なんか俺すげーモテてぇ奴みてーじゃん。かっこワリーじゃん」 たしかに。これ見よがしに派手なテクニックを披露されたわけでもないんだけれど。 でも、何気ない行動が、すごく気になってしまったから。 昔のクセで、ってことは、先生も何度も練習したことがあったのかな。 手の中で光る銀色の塊を見つめていたら。 「ほら、よこせって。火ィ付けらんねーだろ」 先生にさっさと奪い返された。 黙ってしまった私に、先生はニヤッと笑って、 「まぁ、でも、アレだな。ペン回しほどは地味じゃねぇよな?」 と、言い出した。 …ペン回し、って。 ペン回しって?! 「なんで?!なんで知ってるの?」 先生がペンを持つとするクセ。 くるくる指先で器用に続くペン回し。 なんだかかっこよく見えて。 真似したくて。 何度も何度も練習したのは、まだ付き合う前のこと。 今では、ペンを持つと無意識に手が動いてしまうほどに。 「お前の失敗したペンが床に落ちる音、授業中うるせんだもんよ」 そういえば、最初の頃うまく出来なくて、よく床にペン落っことしてたっけ。 何度隣の土方君に拾わせてしまったことか。 先生にも気付かれていたなんて。 あんなやっつけ授業しながら、いつの間に見てるんだろう、この人。 「なんでペン回しマジ練習?と思ったら、なーんか同じ回し方してやがるし〜?」 楽しげに横目でこちらを見る。 こんな表情を見る度思う。先生って実はいつから私の気持ち気付いていたんだろう、って。 「…だって、先生とおんなじ事してみたかったんだもん」 諦めて素直に白状すると、先生は少し優しい顔で笑って。 私の手に、ジッポを乗せてくれた。 「ハイ、ラストチャ〜ンス」 そう言いながら。 先生に教わったとおりに構えて。蓋を開ける。 そして、着火! 「ついた!先生、火ついた!」 「おっせーけどな」 「そのうちペン回しみたいに早くできるようになるもん」 「ラストっつったろ?火遊びしてたら寝小便たれても知らねーぞ」 そう言いながら先生は、左手でジッポを回収し、右手で私の指を握った。 ムダに力が入っていたせいか、こすれて赤くなった私の薬指を、長い指がなぞる。 握ったものが、ジッポでも、ペンでも、私の手でも。 先生の、この優しい手が、好き。 握り返してみると先生は、 「あ、何。俺も着火しちゃう気?先生、着火早ぇーからどーなっても知らねーよ?」 と、いつもの如く私の反応を楽しむように軽い口調で言った。 ほんの小さな仕草に目を奪われて。 何気ないクセが忘れられなくて。 どうしてだろう。 そんなことに、なんの意味も無いのはわかっているのに。 同じことがしてみたくなる。 机に足を上げる先生のだらしなくて行儀悪い座り方も。 実は家でやってみたことある、って言ったら、笑う? 先生がする仕草なら、どんな事でも素敵に見えるなんて。 それってきっと病気だから。 しかたないよね? 仕草レクチャー |