放課後。
あの人を探す場所は2つ。

まずは準備室。
いつも机に足を乗せて、だらりと腰掛けてる椅子は、今は空。

なら、次は屋上。
少し急な階段を上り、重いドアを開ける。
人気の無いがらんとしたコンクリート色。

あれ?ここにもいない?


「どうした?」

突然予想外な方向から声をかけられて、体も心臓も跳ねる。
振り返ると、ドアから死角になる壁にもたれてしゃがみ、彼はタバコをふかしていた。
いつもなら、手摺りにもたれて空や景色を眺めているのに。
珍しい。そんな、すみっこで。

立ち上がり、夕暮れ間近の空にタバコの煙を吹き上げる銀八先生。
ぼんやりとした目。
いつもだけど、いつもじゃないような。そんな目で。

「先生、どうしたの?」

覗き込むと先生は、タバコを携帯灰皿に押し付けながら私を見た。

「何が」
「何かあった?」

私の質問に、一瞬の間。

「何かも何も、日々色々あんだよ、大人には」

いつもどおりの、どこまで本気かわからない口調。
でも、なんだか、いつもと違う気がして。

「先生、ちゃんと元気?」

もう一度、尋ねてみる。

先生は、「んー」と上の空な返事をしながら、私の手を取り、引いた。
私の体は、あっという間に先生の腕に閉じ込められる。
二人の間に、隙間が無くなるくらい、強く。痛いくらいに。
なのにどうしてこの場所は、とても心地よく私に添うんだろう。

「元気ハツラツですけどー?」

台詞とは裏腹なやる気の無い声。
そもそも普段から、ハツラツとは1番遠いところにいるのが銀八先生なんだけれど。
それは、わかっているけれど。

「でも」

言いかけた私の言葉は、さらに力を込めた先生の腕に遮られた。

「いーから、黙ってこうしとけや」


わかってる。
先生はきっと、私なんかが知らない色んな事を両手にを抱えながら毎日を過ごしている。
私が大人だったら、先生の話を聞いてあげられるんだろうか。
先生が何も言わなくても、察してあげられるんだろうか。


「小せぇな、お前」

すっぽりと私の体を包んだ先生が言う。

「…先生が大きーんだよ」
「そう?」

耳元で聞こえる先生の声と、自分の鼓動。

「もうちょい足りねーなぁ。やっと電池2つってとこ?」

まるで腕を緩めようとしない先生が、よくわからないことを言い出す。
私は、先生の背中に手を回して、同じように力をこめた。
これでいいのか、わからないけど。
今の私に、できること。




「充電完了〜」

腕を開いた先生が、私の心臓とは裏腹の間延びした声でそう言った。

「さーて、帰っか」

何事も無かったかのように新しいタバコに火を付け、ドアへと向かおうとする。

「先生、本当にちゃんと充電満タン?」

私の問いに先生は立ち止まった。

「あ?」
「私、先生から見たらやっぱり子どもだろうし。何も、先生の力になれないから」

本当は今でも自信が無いから。
本当に先生の『彼女』なんだって。胸を張って言っていいのか。
憧れて、好きになって、追いかけてきた背中が、今隣にあると安心してしまっていいのか。
いつか自分を置いて先生はどこかへ行ってしまうんじゃないか、なんて。時々不安になる。
こんなふうに先生の心の中に、届かない小さな一部を感じる度に。
それでも、離れたくはないから。
どうしても。

「私、何もできないけど、先生の側にいてもいい?」

黙って聞いていた先生が、火を付けたばかりのタバコを踏み消した。
さっきまで先生がもたれていた壁に、私の背中が押し付けられる。
その手が私の頬を捕らえ、唇が重なった。
いつもより、長く、深く。
溶けるように熱くて、それなのに、不安すら溶かすかのように、優しく。
それは私の知っている『銀八先生』じゃなくて。
まるで別な人の体温のようで。
このままこの熱に混ざり合ってしまえば、もっと先生のことがわかるんだろうか。
ぼうっとする頭で、そう思った。




目を開けると、顔を離した先生の目が至近距離からまっすぐに私を捕らえていた。

「子どもだと思ってたら、こんなことしねーよ?」

先生が、言う。そして、さらに一言。

「お前わかってねーわ、やっぱり」
「何を?」
「別に、誰でもいいから生徒に手ェ出しとけ、とか思ってるわけじゃねーぞ、俺ァ」

私の額に自分の額をくっつける。先生のため息が顔にかかった。

「いてもいい?とか聞くなや。いなきゃ困んだっつの、俺が」

考えてもみなかった。
先生がいないと困るのは、私で。
私がいないと先生も困るなんて、思った事もなかった。

「お前以外に誰がこんなハイパワー、チャージできんだよ」
「ほんとう?」
「いや、どんだけ信用ねーの?俺」
「違うの。私が、先生をね、好き過ぎるから。一人で勝手に…なんていうか、自信なくなっちゃうだけ」

うまく出てこない言葉を懸命につなぐ。
先生は再びため息をついた。

「だーから、お前、そーゆーこと言うから、俺止まんなくなんじゃん。ちょいチューじゃ足りなくね?ってなんじゃん。もっかいすんぞ、コラ」
「えっ。私のせい??」

よくわからないけど。
もう一回でもいいんじゃないかな?なんて、思ってみたりして。




先生が私の手を取る。
暮れ始めた陽に背中を向けて、2人、階段へと続くドアに向かう。


先生のパワーが不足した時、私が少しでもチャージできるのなら。
ずっとずっと側にいる。
他には何もできないけれど。

ここに、いるから。





屋上チャージ




(…つーか、俺、結局自分で自分の首絞めてね?)
(何が?)
(いや、こっちの話)