祭囃子
開けた窓から流れ込む夜の匂いと夏の空気。 それらと混ざり合いながら、風に乗った太鼓や笛の音が微かに耳に届く。 祭りの夜は誰もがその音に惹かれて、足を浮き立たせながら通りをふわふわ歩くのだ。 「ったくよォ。女の仕度とソバ屋の出前っつーのはどうしてこう遅ぇのかねェ」 だれた様子でソファに座る銀さんが、テレビのチャンネルをいじりながら溜息をついた。 「いいじゃないですか。せっかくのお祭りですもん」 そんな銀さんを僕はなだめる。 隣の和室の襖は、30分前からピタリと閉じられたまま。 中ではさんと神楽ちゃんが、祭りに出かける仕度の最中だ。 そもそも数日前、『そういや今週末は祭りだねェ』と何気なく発したお登勢さんの言葉に、一番反応したのはさんだった。 顔を輝かせてお登勢さんを見る彼女に気付いた銀さんが 『…お前もしかして、祭り行ったことねぇの?』 と尋ねると、ものすごく遠慮がちに 『…無い』と一言。 『遅れてんなァ、お前。しゃーねー。俺が祭りとはなんたるかを教えてやらァ』 軽い口調でそう言った銀さんに、さん、とてもうれしそうだったっけ。 そして今日。 仕事帰りまっすぐ万事屋にやって来たさんの提案で、僕も銀さんも浴衣に着替えて待機中。 当然銀さんは面倒くさそうに顔をしかめたが、さんのいつに無くはしゃいだ様子に何も言えなくなったらしく。 僕には何やらブツブツ言っていたけれど、結局は素直に従った。 「さん、お祭りうれしそうですね」 「江戸に来るまで、そう出歩いてもいなかったみてーだし。テンション上がってんだろ、きっと」 そう言いながら、またチャンネルを変える銀さん。 ちょうどその時、和室の襖が開いた。 中から出てきたさんは、白い首筋によく映える水浅葱の浴衣と山吹色の帯。 普段どちらかと言えば暮らしぶりも身なりも質素なさんの、その華やかさが、祭りへの期待を表しているようで。 浴衣似合いますね、さん!…と、つい言いかけて僕は慌てて口をつぐんだ。 だって、それは僕が言う台詞じゃないよね。 さんがその言葉を言ってほしいのは、僕じゃない。 空気読もう、僕。 そう思いながら向かいの銀さんを盗み見たが、彼はいつもと同じダルい顔で(いや、待たされた分いつも以上にかも)さんを見ているだけ。 …いいの?ソレで。 さんはソファに座る僕たちの方に歩み寄り、小声で 「神楽ちゃん、着慣れないからちょっと照れているみたい。とってもかわいいから褒めてあげて?」 と僕らに微笑んだ。 和室の方を見ると、襖の陰から神楽ちゃんがこちらを窺うように顔を覗かせていた。 早く、神楽ちゃん、とさんがその手を引く。 「なんか、変な感じネ。歩きにくいアル」 照れ隠しのように仏頂面でそう言う神楽ちゃんは、茜色の浴衣姿。 実は姉上が昔着ていた浴衣で、さんに頼まれて僕が借りてきたのだ。 髪もさんに結い上げてもらった神楽ちゃんは、なんだかとっても女の子で。 僕らとあまり目を合わせようとしない感じも込みで、いつに無くかわいらしかった。 「うわぁ、かわいいじゃない、神楽ちゃん。似合うよ、浴衣」 「こんなん着てたら、いざという時、誰もしばき回せないネ」 「いや、誰もしばき回さなくていいから。そうそう無いから。そんないざという時=v 「ねぇ、銀さん?」と僕は銀さんを振り返る。 神楽ちゃんも口を尖らせたまま、銀さんの様子を窺っている。 「馬子にも衣装たァよく言ったもんだなァ。それで口さえ開かなきゃ、『うちの子の方がイケてますぅ』とかって他所様に対抗できねぇでもねーぞ」 褒めてるんだか褒めてないんだか。 本気なんだか冗談なんだか。 非常に判別しにくい言い方だけど。 でも、銀さんにしては、最上級の褒め言葉だって事はよくわかる。 神楽ちゃんは、ちょっと驚いたように目を丸くしたが、すぐにそっぽを向き「いいから早く行くアル!」と僕たちを急かした。 そして僕たちは、そろって万事屋を出る。 祭囃子の元へと。 …あれ?ところで銀さん。 さんにはノーコメントのままなんですかね?? 神社前の通りは少し離れた場所から見ても、そこだけがぼんやりと明るくて。 軒をつらねる露店が、暖かな光の帯を作っている。 引き寄せられて溢れた人々の熱とさざめき。 香ばしい食べ物の匂いとほのかに混じる酒の香り。 「銀ちゃん!まずは焼きソバだと思うアル!続いてタコ焼きとおでん…違うネ!やっぱりおでんが先でタコ焼きは後ヨ!」 「いや。順番はいいから、どれかにしろよ。おしとやかな格好の時ゃ胃袋もおしとやかにしとくもんだ」 神楽ちゃんは「わかったアル!じゃあ、おしとやかにお好み焼きから始めるネ!」と、何がわかったんだか手近な露店に駆けていく。 「さー、僕は何を食べようかな…って…2人とも、1発目から綿菓子って甘すぎるでしょ」 いつの間にやら銀さんの手には綿菓子が。 さんと2人、1本の割り箸からふわふわの塊をちぎっては口に運んでいる。 「バカヤロー。1発目とシメは綿菓子ってェのが露店的ルールだ」 「いや、ソレ、銀さん的ルールでしょ。何さんに嘘教えてんですか。つーか2本も食べる気なんですか、綿菓子」 僕は普通に、しょっぱいものでお腹を満たすことにしよう。 そう思い焼きソバの露店に並んでいると、後ろから 「銀時。あれ、あれ何?」と、さんが銀さんに呼びかける声がする。 「ああ?ヨーヨー釣りだろ。あーやって釣ったらもらえんの」 銀さんは、さんに自分の腕をとらせる代わりに持った杖で、ヨーヨーを釣る子供たちを指し示す。 さっきから、さんの「あれ何?」にこうして銀さんは一つひとつ答えている。 「なんだよ。やりてーのかよ」 銀さんが声を掛けると、さんは思い切りうなずいた。 ガキかよ、と言いながらも銀さんはさんを連れてヨーヨー釣りの屋台へ向かう。 多分、うれしいんだ。銀さん。 普段ワガママ言わないさんが、こんな風にはしゃいで、したいこと言ったりするのが、さ。 焼きソバが出来上がるのを待ちながらヨーヨー釣りの屋台に目をやると、さんがものすごく真剣にヨーヨーの小さな輪っかを狙っている姿が見えた。 その横に並んでしゃがみ込み、呆れたように頬杖をつきながらも、銀さんの目は優しい。 そして結局、釣り紙が破れて落ちてしまったヨーヨーに再チャレンジする羽目になっているのは銀さんで。 ほかほかのソースの匂いを手に2人の方へ戻ると、銀さんが釣り上げたヨーヨーを人差し指から下げたさんが、子供みたいにうれしそうな顔で、それを眺めていた。 「そういや神楽は?」 ふと思い出したように銀さんが言った。 「あれ。お好み焼き見てたんですけど。どこ行ったんだろ」 さっきまでいた露店の前にはもういない。 神楽ちゃんの小さな姿は、人波の中ではすぐに飲み込まれて見えなくなってしまう。 「あ。あそこ」 さんが指差した先。 行き交う人の隙間に、茜色の袂が揺れる。 「神楽ちゃん、1人で先に行ったら迷子になっちゃうよ」 「オイコラ。『坂田銀時様、神楽ちゃんが迷子室でお待ちです』とかいう恥ずかしい呼び出しだけは勘弁しとけよ」 僕と銀さんが歩み寄りながら声を掛けたが、神楽ちゃんは何かに夢中。 背中越しに覗き込むと、そこはガラス細工の職人さんの露店だった。 神楽ちゃんが見つめる先には、色とりどりのガラス玉が付いた髪飾りが並んでいる。 やっぱり女の子だね、神楽ちゃんも。 「きれいね」 その横に並んでさんが言うと 「なんかキラキラしてるネ。宝石アルか?」と一つを手に取りながら、神楽ちゃんは自分も目をキラキラさせている。 「ガラスみたい。神楽ちゃん、ほしいの?」 「…いらないアル。こんなん着けてチャラついた奴と思われるのやーヨ」 興味の無さを装うように手にしていた髪飾りを元に戻し、神楽ちゃんは目をそらした。 さんはその様子に微笑んで、 「おじさん。その、えんじ色の髪飾り一つ下さいな」と、店主に声を掛けた。 はいよっ、とおじさんがお金と引き換えにさんに手渡した髪飾りには、深くて渋めな赤いガラス玉。 不思議そうな神楽ちゃんに、「ちょっと後ろ向いてね」と言いさんは髪飾りを彼女の頭に差した。 「えんじ色はね、大人の女の赤なのよ?落ち着いていて、全然チャラついてなんかいないでしょう?」 さんの言葉に、露店に置かれていた鏡を覗き見た神楽ちゃん。 2〜3度回転して自分の姿を見ると、 「これで私、よりお色気モンモン悩殺レディネ。罪な女になってしまったアル」と、胸を反らした。 いやモンモンしてどーすんだよムンムンだろ、という銀さんのツッコミはものともせず。 うれしさを抑え切れないように、口元をほころばせながら。 うん。似合ってるよ、ほんと。 神楽ちゃんにも、その浴衣にも。 まぁ、悩殺かどうかは別として、ね。 「お前は?」 まだ鏡の前にいる神楽ちゃんをよそに、銀さんが、並んだ髪飾りを見ながらさんに言った。 「え?」 突然の質問にさんが首を傾げる。 「オヤジよォ、その青いの見して」 「はいよ」 銀さんが受け取ったのは藍色の髪飾り。 さんの頭にかざして、うんうんと1人頷いている。 銀さん、もしかして?! 珍しくカッコイイじゃんか、銀さん! 彼氏っぽいじゃんか、銀さん! 「オヤジィ、これ、安くなんね?」 …って、いきなり値切んのかいィィィ! 前言撤回。 やっぱり、銀さんはあくまで銀さんだよ。 「いや〜、安くって言ってもねぇ。それでも随分安くしてるんだよ?なんせ手作りで一品物なんだからさぁ」 当然オヤジも渋る。 当然さんはその様子に「私はいいの」と遠慮がちに銀さんの着物を引く。 「そこをさァ。オヤジの商品だって別ぴんに付けてもらった方が宣伝になんだろ?こいつよォ、今日のためにわざわざ貯金崩して浴衣買って、めかし込んじゃってんだよ。ぶっちゃけ他所様よりきれいだろ?うちの。そんなこんなを込みで、安くなんね?」 食い下がる銀さんの言葉に、さんの顔が一気に赤くなった。 貯金崩して浴衣、なんて。 もちろん僕は知らなかったけれど。 そんなコトまでちゃんと知ってるんだな、銀さんは。 …ていうか、聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらいのノロケを、よくもまぁ堂々と。 露店のオヤジも、その銀さんの台詞にさすがに吹き出した。 「わーったよ。負けたね、兄ちゃんには。浴衣美人の奥さんに免じてマケてやらァ」 「さすがだねェ、大将。話がわかるじゃねーの」 そうして手に入れた髪飾りを、黙ってしまったさんの髪に差す銀さん。 「やっぱ俺のセンスに間違いはねぇな。その浴衣にはこの色だろ」と、1人で納得。 「…銀時。どうして貯金崩したなんて知ってるの?」 うつむきぎみのさんが恥ずかしそうに口を開いた。 「呉服屋のオヤジに聞いたけどォ?『銀さんは頑張ってめかしてくれる女がいて幸せだね〜』だとよ」 そう言ってニヤリと笑う銀さんに、返す言葉もないといった様子のさん。 銀さんの顔の広さを侮っていたらしいね。 鏡に映った藍色の髪飾りを見てさんは、まだ赤い顔のまま 「ありがとう、銀時」と、銀さんを見上げて、笑った。 ところで。 「…銀さん。彼女の前でプレゼント値切るっていう荒業は男としてアリなんですか?」 互いの髪飾りを褒め合いつつ楽しげに歩く神楽ちゃんとさんの背中を見ながら僕が尋ねると、 「いいか、新八ィ。露店で値切らねーのは、据え膳を食わねぇ男並みに恥だと覚えとけ」 という、堂々とした答えが返ってきたので、それ以上は聞かないことにした。 …正しいか間違っているかはともかく。 まぁ、どっちにしても参考にはしないでおこう。僕は。 店と店の間。 木の長椅子が無造作に並んだ休憩スペース。 座って食事を楽しむ人たちに混じって、僕らもそこに腰を下ろした。 銀さんはというと 「やべっ!チョコバナナ忘れてたよ、オイ!」 と何がヤバイのか、いきなり叫んで走って行ってしまったままだ。 さんの隣で焼きソバを食べる僕。 僕の隣でタコ焼きを食べる神楽ちゃん。 祭囃子に耳を傾けながら、僕たちが無言でそうしていると。 誰かがさんの隣…僕とは逆隣の、銀さんのために空けておいたスペースに腰掛けた。 視界にちらついた蝶の柄。 網笠の下で揺れる、キセルの煙。 「たっ…!」 その名を叫びかけた僕の声は、先に言葉を発した彼によって遮られた。 「よォ。久しぶりだなァ、」 「…高杉君」 さんが、声の主を見つめた。 「相変わらず銀時の横にいやがるたァ。お前も懲りねぇ奴だな」 クク、と喉の奥から漏れる笑い声。 「そう思う?」 立ち上がろうとした僕を手だけで制して、さんは小さく笑った。 「お前をそんな体にした連中と、護り切れなかった野郎に、まるで恨みがねーわけじゃあるめェ?」 「どうして?護られたから私はこうして、お祭りにだって来れているのよ?」 僕も神楽ちゃんも、張り詰めた空気に、すぐにでも立ち上がろうと身構えているのに。 でも、さんの声がいつも通り穏やかなままだから、僕たちは動けないまま2人のやり取りを聞いていた。 その時。 「てめーはホントに祭り好きだなァ。今度はどんな花火打ち上げに来やがった?それとも腹踊りでもしてくれんのか?」 さんの声以上にのん気なトーンが、背後から聞こえた。 見ると後ろの長椅子には、いつの間にか銀さんが高杉と背中合わせに腰掛けていた。 左手のチョコバナナをかじりながら。 でも、右手だけは、腰の木刀。 「なァに」 高杉は網笠の下で、口元に笑みを浮かべた。 「懐かしい奴が江戸にいるって聞いたんでなァ。挨拶に寄っただけよ。殺気立たねーでも何もしやしねぇさ」 今日のところは、な。 小さくそう付け加えた高杉に、 「高杉ィ。ワリィが俺ァ束縛しちゃうタイプだからよォ。てめぇがこいつに手ェ出せるような隙は与えねぇよ?」 対する銀さんの声は変わらない。表情も。 でも、その目だけは、いつもと違う。 「だろうなァ。こいつを炎ん中から連れて出て来た時のてめぇのツラ。あれァまさに夜叉の形相ってやつだったぜ?」 怖ぇ、怖ぇ。 そう言って笑う高杉が、立ち上がる。そして、 「昔のよしみで忠告しといてやらァ。いい加減懲りた方が、何かと身のためだってな」 と、さんを見下ろした。 「懲りる理由が見つからないもの」 さんはさらりとそう返して、彼を見上げる。 ゆるやかに煙を流しながら歩いて行く彼を、「高杉君」とさんが呼び止めた。 振り返ることなく、止まった背中。 「生きていてくれて、良かった」 さんの言葉に、無言のまま蝶柄の着物は人波の中に消え入った。 「びっ…びっくりしたぁぁ…」 ようやく訪れた安堵感に僕は肩で息をついた。 「なんもされてねーか?」 銀さんがさんの隣に腰掛け直しながら尋ねる。 「大丈夫」 一瞬、祭囃子も、人の声も、何もかもが聞こえなくなる程。 僕らは緊張していた。 突然現れた客に。 やっとここが、にぎやかな祭りの場だったことを思い出す。 「それにしても…許せねェ」 しばしの沈黙の後、静かに口火を切った銀さんの様子に言い知れぬものを感じて、僕は彼を見た。 銀さんも、僕を見返す。まっすぐに。 「…チョコバナナってよォ、いつの間にあんなカラフルになったわけ?」 食べ終えたチョコバナナの棒を振りながら銀さんが溜息をついた。 「えええ?!今、この空気でチョコバナナ?!あの切り出しで、チョコバナナ?!」 「だってよォ、お前知ってた?ピンクだの水色だの黄色だのって。あれァどうかね?やっぱチョコは茶色が一番、糖好きの心をスイートにそそんだろ」 「知らねーよ!食べたらみんな同じでしょーが!」 「何言ってるアル、新八。チョコバナナは硬派に茶色を選ぶべきネ」 「いや、神楽ちゃんまで乗らなくていいってば」 「私もチョコは茶色が好きかなぁ」 「えええ?!さんまで!もう何?!もしかして緊張してたの僕だけ?!」 一気に戻ってきた祭りの雰囲気に、僕はツッコミながらも内心、銀さんに感謝していた。 そうですよね、銀さん。 やっぱり祭りはこうでなくちゃ。 本当は、あんなことがあって、一番緊張と複雑な思いを抱えたのは他でもない。 銀さんとさんなはずなんだ。 その証拠に。 銀さんはくだらない話を続けながらも、隣に座るさんの手を握ったまま離さない。 あのつないだ手から互いにどんな言葉を交わしているのかなんて、僕には想像もつかないけれど。 でも、きっと2人にしか。 いや、その頃を生きてきた人にしかわからない何かを、交わし合っているはずだから。 露店にぶら下がる裸電球が、柔らかく夜空の下で灯りをつなぐ。 いつまでも耳に残る祭囃子を、僕らはそれぞれ逃さないよう閉じ込める。 過去ごと、全部飲み込んで。 この暖かな灯りに包まれている今だけは、切ない思いをどこかにしまって。 軽快で郷愁を誘うリズムに、揺られ続ける。 そんな、ある祭りの夜。 |