約束
僕たちは万事屋だから、当然色んな人から色んな仕事が舞い込んでくるわけで。 雨漏りの修理だの。 ペットの捜索だの。 ラブレターの配達だの。 そんな和やかげな依頼が大部分だけれど、中には危険を伴う仕事もあったりして。 ましてや銀さんはあんな人だから。 例え報酬に見合わないような事態に巻き込まれようと。 例え手荒に行く手を阻まれようと。 こうと決めたら、まっすぐ突き進んでしまう人だから。 結果、無茶をする羽目になり、シャレにならないほど傷だらけになることも少なくはない。 まぁ、そんな銀さんだから、僕ら一緒にいるんだけれど。 一緒に、無茶しようと思えるんだけれど。 「いでで。おめーら、もうちっと優しく扱えねーの?」 僕と神楽ちゃんの肩を借りて歩く銀さんが、いつもと変わらぬ小憎らしい口調でぼやいた。 でも、その額からも、腕からも、背中を斜めに走る刀傷からも、血が滴っている。 「もうすぐ万事屋ですから。我慢してください。ていうか、ほんとにお医者さん行かなくて大丈夫なんですか?」 「あー?いいって。大して深い傷じゃねーし。金ねーし。寝てりゃ治んだろ」 一応自分の足で歩いているわけだし。 この感じだと大丈夫だとは思うけれど。 「でも一応、万事屋着いたらお医者さん呼んできますよ、僕」 「いいっつーの」 「じゃあ、私は呼んで来てあげるネ」 「なんでだよ。もっといいっつーの」 「病気や怪我の時は気が弱くなって人恋しくなるものアル」 「何知ったようなこと言ってやがんだ。つーか、いいから、マジで。あいつには知らせん、な…」 銀さんの言葉が途中で詰まった。 その顔は、「やべっ」の顔。 まっすぐ前へと向けられたその視線を追うと、『スナックお登勢』の前で、お登勢さんと立ち話をするさんがいた。 2人とも驚いたように、こちらを見ている。 あーあ。呼ぶ前に、見つかっちゃったよ。 「ったく、何やってんだィ。ボロボロじゃないか。早く入んな」 「ちょっと仕事、というか…成り行きで」 銀さんの代わりに僕が答えると、お登勢さんは呆れたように溜息をついた。 僕たちはとりあえず、『スナックお登勢』の中へ入れてもらった。 わざわざ階段上って万事屋に入るより、お医者さん呼ぶにも手当てするにも、ここの方が人手もあって助かるから。 表情にこそ出さないが結構キツイだろう銀さんを、床に座らせる。 「僕、お医者さん呼んできます」 そう言って店を出ようとしたら、「待ちな」とお登勢さんに止められた。 「すぐそこのヤブ医者なら、川向こうで事故があったとかって、ついさっき駆り出されて行っちまったよ」 「えっ」 1番近いお医者さんなのに。 呼べばすぐ来てくれるお医者さんなのに。 「じゃあ救急車」 「いや、だから。たいしたことねーって」 今度は面倒臭そうな銀さんの声が僕を止めた。 「…わかりました。じゃあ、とりあえず手当てしますから」 僕は諦めて、救急箱を借りようとお登勢さんに向き直った。 口は相変らず元気だし。傷を見てから考えればいいか。 「ちょっとアンタ。大丈夫かィ?」 そのお登勢さんが心配そうに声をかけたのは、銀さんではなくさんだった。 彼女は硬い表情で口をつぐみ、白い着物を血で染めた銀さんの背中を見つめている。 そりゃ、そうだよね。 自分の大切な人が、切られていて。血だらけで。 普通、女の人なら、ショックで倒れても不思議じゃない状況かもしれない。 目をそらさず、まっすぐ見ていられるさんは、やっぱり強い人なんだな。 …なんて事を僕が一人思っていると。 そのさんが、黙ったまま銀さんの背中の前に膝をついた。 「お登勢さん。救急箱あります?」 「ああ。ホラ、使いな」 カウンターの陰から出した白い箱を、お登勢さんはさんに手渡す。 「いや、お前、いいって。ほら、もう血ィ止まってるしィ。新八がやるしィ。つーか俺、自分でできるしィ」 背後の動きに気付いた銀さんが首だけ振り返り、まるで諭すかのようにさんに声をかける。 何、その逃げ腰な感じ。 そんな銀さんの襟首に手をかけたさんは、そのまま上半身の着物を腰まで引き下ろした。 問答無用とばかりに。半ば、引っぺがすように。 「いてててて!わかった!わーったから、そっと!そっとやれって!」 むき出しになった背中の傷は見た目よりは浅かったらしく、たしかにもう血が止まっている。 けれど、まだ生々しい色のまま。 さんは動じることなく、救急箱を探りながら 「お登勢さん、消毒薬ありませんか?」と、問いかける。 「そういや切らしてたね。アンタらんとこに無いのかい?」 「あ゙ー、うちも無かったかも」 急に振られて僕も慌てる。 買ってきます、と走り出しかけた僕を遮るようにさんの手が伸びた。 その手はまっすぐに僕の前を横切り、カウンターの一升瓶を掴む。 え?ソレ。 日本酒? 背中を向けているため、そんな事に一切気付いていない銀さんの後ろに再び膝をついて。 さんは、瓶から直接口に含んだ中身を、ぶーっと豪快に銀さんの傷へ吹きかけた。 え゙え゙え゙?! 「あだだだだだだ!」 当然、暴れ叫ぶ銀さん。 「てめぇぇ!何しやがんだ!せめて、やるならやるって言えや!」 ちょっと涙目になりながらさんに猛抗議。 …そういえば、お酒ってアルコールだから消毒作用があるって聞いたことはある。 「大丈夫よ。切られた時の方が痛かったでしょう?」 相変わらずのおっとりとした物言いのままさんは、手拭いで背中の血の跡を拭う。 大丈夫かどうか決めんの俺ェェ!と叫ぶ銀さんの主張は却下らしい。 「傷、開かないといいんですけどね。大丈夫かな」 さんの後ろから傷を覗いて僕が言うと、背中越しに振り返った銀さんが『余計な事言うな!』という目で睨んできた。 「お登勢さん、針と糸…」 次の瞬間、さんの口から繰り出されるとんでもない単語。 「あ゙あ゙あ゙!いい!それはいいから!俺シャイだし!ATフィールドハンパねーし!傷も心も簡単に開かねーから!」 もうなんだか訳わからない理由でさんの言葉を遮る銀さん。 ていうか、その慌てぶりって。 まさかさん、本気ってこと? ならいいんだけど、と優しく言いながらさんは包帯を広げ、慣れた手つきで銀さんの背中に巻いていく。 でも口調とは裏腹に締め上げる力は強いらしく。 銀さんの口から、あだだ、いだだ、と悲鳴が漏れる。 「だァから、おめー乱暴なんだって!もちっと優しくしろや!」 乱暴、ていうか、なんていうの? 男?男の手当て?さん。 サバイバル? 前言撤回。 倒れないだけ強いんだ、なんて。 倒れるようなレベルじゃなかったんですね、さんは。 「なんかわかんないけど、かっけーアル!!私も手伝うネ!」 「いや、神楽ちゃんはいいから。おめでた事じゃないから。たくさん撒き散らせばいいってもんじゃないから」 一升瓶片手にテンション上がる神楽ちゃんの事は、銀さんのためにとりあえず止めておいた。 手慣れた素早い処置に、特に出る幕無く離れて見守る僕と神楽ちゃんの横で、 「やるじゃないか、あのコ」と、お登勢さんがつぶやいた。 「ありゃ、人を『生かそう』とし続けてきた奴の手つきだよ」 「生かす?」 「生きるか死ぬか1分1秒を争う奴を救うためには、多少荒っぽくても素早い判断と的確な処置が必要ってもんさね」 お登勢さんの言葉に、やっと気付いた。 ああ、そうか。 さんは昔、戦で傷ついた人たちを、こうして手当てしてきたんだ。 なんでもいいから、生きてほしいと。そう願いながら。 きっと、銀さんのことも。 「あんなか弱そうなコに野郎の手綱が握れんのか心配だったんだけどねェ。どうして、なかなかのモンじゃないか」 お登勢さんはそう言って、満足げに笑った。 「あ゙ー、いてー。だから、あいつにバレたくねんだっつの」 ブツブツとボヤきながらも、店のソファに腰掛け直す銀さんの表情はさっきよりずっと安心して見えた。 腕の血も拭われ包帯が巻かれて。額には絆創膏が貼られて。 見た目には痛々しいが、とりあえず心配なさそうな様子。 一通り手当てを終えたさんは、血のついた手拭いを洗いに奥の水場へ行っている。 「銀さん。さんて、なんだかすごいですね」 「おめーら、だまされんなよ。あいつ、こえーから。マッドサイエンティストだから」 たしかにね。ちょっと予想外だったかも。 「アンタ。あのコ、ちゃんと大事にしてやりなよ?」 そんな銀さんに、お登勢さんが口を挟んだ。 「あー?んだよ、ババア、いきなり」 「いい年こいて無茶すんのも大概にしてさ。少しは安心させてやったらどうだィ?」 「別に好きで無茶こいちゃいねーよ。けど」 一旦言葉を切った銀さんは、眉間にシワを寄せてうざったそうに溜息をつく。 「止まるわけにゃいかねー時もあんだろーが」 「まぁ、アンタはそう言うと思ったけどね。でもあんな風に気丈に振舞ってても、あのコが平気なわけないのもわかってんだろ?」 「そりゃあねェ」 あっさりとお登勢さんの言葉を認める銀さん。 それでも。 わかっていても止まらないのが銀さんなんだと、僕らだってわかっている。 「心配かけねーとか、できねぇ約束するつもりはハナからねぇよ」 銀さんは、だるそうにそう言い捨てた。 そして少しの間の後、言葉を加える。 「だからって、死ぬつもりもハナからねぇけどな」 そうだ。銀さんは、いつでも、どんな事態にも、死ぬ覚悟で臨みなどしない。 その言葉が本当であることは、僕も神楽ちゃんもよく知っている。 多分、お登勢さんも。 「あいつ、昔から護身用に短刀携帯しててよ」 銀さんは、床に転がったままのさんの杖を拾い上げながら、突然そんなことを言い出した。 あいつ、とはもちろんさんのことだろう。 たしかに、今もその杖の中に小さな刀を隠し持っているのは知っているけれど。 でも、いきなりどうしてそんな話を?銀さん。 「あんな怪我するような苦しい目に遭ったらよォ、ちっとは考えんのが普通だろ。刀で自害、っつぅ手も」 「自害、って」 銀さんから出てきた予想外の台詞に、僕は言葉が詰まった。 そりゃあ、敵に命を取られるくらいなら自害を選ぶことを誇りとする侍もいるし。 ましてやさんは、半身にあれだけの傷を残すほど。 今も消えない恐怖を心に残すほど。 苦しみを味わったはずなのだ。 銀さんが言うように、自ら命を絶った方がマシと考えるのが普通の事態だったのかもしれない。 「あの傷もよォ、医者が言うには、ただの火傷じゃあんな酷く残んねーんだと。恐らく、挟まれた半身引きずり出そうとして、もがいて暴れて、焼けた皮膚が余計グチャグチャになったんじゃねーかってよ」 銀さんの淡々とした声に。 死んだ瞳の奥に。 さんが選んだ痛みが、垣間見えるような。そんな気がした。 「それってよ、どんなんなろーが諦めなかったっつーことだろ。生きることを」 「…銀さん」 「だから俺も、切られよーが、毒盛られよーが、手足なくそーが。どんなんなっても生きて帰らねぇと、あいつに顔向けできねーだろーが。そんだけ」 必ず生きる。 それはきっと何より大切な、約束。 「そうかィ。それだけの覚悟があるんなら、何も言うことはないさね」 お登勢さんはタバコの煙をくゆらせながら、口元に笑みを浮かべた。 銀さんがゆっくりと立ち上がる。 痛そうに一瞬顔を歪めて。 あんまり動かないほういいのに。 声をかけようとして、僕はやめた。 銀さんが向かっていたのが、店奥へ続く入口の方向だったから。 その先の、さんが手拭いを洗いに行ったまま戻らない、水場に向かって。 包帯だらけの銀さんの背中は、暖簾の奥に消えた。 それはきっと、これからも側にいる人と。 もう一度、約束をするために。 一緒に歩いていくための、ただ一つの約束を。 + |