雲間から時折顔を覗かせる三日月が、ゆるやかな流れに映っては沈み、浮かんでは散る。 きっとずっと昔から、そしてこれからもここにあり続けるのだろう透明なせせらぎは、足元の草むらから響く虫の音に相まって。何故だろう。静かだ、と。そう思わされる。 あまり頼れない今夜の月明かりの代わりに墨を流したような夜に色を付けるのは、やわらかな灯火。 「この川、上流はこんなに自然が残ってたんですね」 数歩前を行く新八が掲げた提灯が左右に動いて、草の茂る景色が仄かに揺れた。 「銀ちゃん、あとどのくらいアルか?」 その隣でこちらを振り返る神楽の、まるで宝探しにでもやって来たかのような表情が一緒に揺れる。 「覚えてねーよ、もうずっと来てねェし。つーかまだ見れんのかわかんねーっつってんのに、わざわざこんなトコまでよォ」 「いいじゃないですか。夏の川辺を散策なんて、風流な感じで」 「なんでも風流って言やァ許されると思ってんのってさァ、なんつーか日本人の悪い癖だよね。そんなん言ったら夏の夜長を飲み屋のネオンと共に過ごす風情っつーもんもあるから。キャバのおねーちゃん達の薄着もコレ、間違いなく夏の風流だから。あ、ていうかマジでそっちのが良くね?俺オトナの風流してくっからおめーら散策して来いよ」 「…なんかこんなん言ってる風流クラッシャーがいますけど、さん」 呆れ声の新八が、俺ではなくその隣を歩くに声を掛けた。 「そうねぇ。キャバクラで着物巻き上げられても夏なら涼しげで風流な感じがするものねぇ?」 「いや、それは風流じゃねーから。どっちかっつーと侘びとか寂びを感じちまうから」 「でもそのまま公園で一夜明かすのも夏にしかできないし…風情があるんじゃないかしら」 「…え?つーかソレ、遠回しな締め出しじゃね?つーかちゃん、笑ってるけど何気に怒ってる?実はワリとマジ?」 俺の問い掛けにもあくまで笑顔のだが、返ってくる答えは…無し。 「…ハイ、すんません。行きます」 渋々答えると、の代わりに神楽が「レッツゴー!」と提灯を高く突き上げた。 さらさらと川の流れに草を踏む乾いた音が重なる。 その心地よい一定のリズムは、とうとう堪え切れなくなったらしい神楽が走り出した事で崩された。 「私ちょっくら偵察してくるネ!定春ー、おいで!」 はしゃいだ声に応えるのは「ワン」という短い一声。 紅色のチャイナ服と白い毛並みの背は、あっという間に消えた。 「神楽ちゃーん、そんな走ったら転んじゃうよー!」 相変わらずお母さんみたいな新八が、すぐにその後を追っていく。 見えない姿の代わりに提灯が2つ、離れたり近付いたりを繰り返しながら夜を漂っている。 その様子を見ながら、が楽しそうに笑った。 「2人とも、うれしそう」 「ガキは夜のお出かけは無条件にはしゃぐもんなの」 「はしゃいでいるのよ?私も」 「じゃあお前もガキ」 まだ江戸に来て間もない頃。 かぶき町の荒々しい喧騒から、ふと逃れたくなって。見慣れた川を辿って町から抜け出した。 特に目的は無かった。 ただ、何となく。静かな方へ、静かな方へと。 そうして、いつしか、ここに辿り着いた。 「銀ちゃーん!!すごいヨ!早く来てみ!」 「うわー!きれい!」 先に行った新八と神楽の歓声が聞こえた。 どうやら、まだ見れたらしい。 追いついた背中越しに見える水際の草むら。 おぼろげで小さな光の粒が、いくつも空を舞いながら川面にまたたいていた。 持ち上げた提灯の火を吹き消すと、新八と神楽も慌てたように各々の手の灯りにふうっと息を吹きかける。 訪れた暗闇と共に強くなる、むせかえるほど濃い緑のにおい。そして、よりくっきりと空に浮き上がる光の筋。 「あれ何アルか?クリスマスツリーとかでピカピカしてるアレアルか?」 「ちげーよ。ありゃ、蛍。ケツが光る虫だ」 「なんでヨ?!ケツ光らせてどうしたいネ!浣腸入れやすいようにアルか?!」 「おめーはホント風流のカケラもねーな。奴らはなァ、あーやって派手にキンキラ着飾っといて、寄ってきたメスと一発・・・」 「アンタもやっぱり風流ねーよ!」 新八のツッコミが静かな夜に響き渡る。 「江戸でも蛍が見れるなんて、知らなかった」 嬉しそうに微笑んだの目の中を、いくつもの光が横切っていった。 「捕まえたアル!」 川辺にしゃがみ込んでいた神楽が、一際大きな声と共にこちらへ駆けて来た。 合わせた両手に閉じ込められた光が、肌色を透かして微かに漏れている。 4人顔を寄せ合って少しだけ開いた掌の中を覗き込むと、その光は、おぼろげに震えた。 「連れて帰って、定春52号にするアル」 神楽がそんなことを言い出すから、 「やめとけって」 つい、制止の言葉が出る。 「なんで?」 「来年見れなくなったら困んだろーが」 深い考えも理屈も無く、そんな台詞はするりと口をついた。 自分で自分に、少し驚く。 来年も見に来るつもり十分かよ、俺。 隣でクスリと小さな笑い声をたてたが、 「これからも何度だって夏は来るもの、ね?」とそんな俺と神楽を交互に見て言った。 少し残念そうに、でも納得した様子で蛍を夜空に放す神楽と、「また見れるよ、神楽ちゃん」と、優しく声をかける新八。 そして2人は、水際へと駆けて行く。 少しだけ暗闇に慣れた目で、蛍を追い空へと手を伸ばすガキ共をぼんやり眺めていると。 そこからはぐれた1匹が、まるで雪のように軽やかに、足元に舞い降りた。 何一つ警戒など知らぬ距離で、ただじっと。 昔、幾度か一人でここに訪れた時にも。 こんな風に小さな光は、時折驚くほど近くにやって来た。 動かない自分を窺うように目の前を横切り、離れ、そして寄り添うように足元にとまる。 けれど、一度も。それに手を伸ばした事は無かった。 捕らえようとすれば、この手を逃れて飛び立ってしまいそうで。 例え手にしても、すぐに消える儚い光だと知りすぎていて。 しゃがみ込んだが、壊れ物のようにゆっくり、蛍火を掬い上げた。 「ほら、銀時」 隣にしゃがんだ俺の掌に、は細い指の間から覗く灯りをそっと乗せる。 それは、熱など発してはいないのに何故か、温かくて。 触れてみて初めて知った。 きっと冷たいものだと、理由もなくそう思っていたから。 「銀ちゃーん!来年もコイツらの子ども、絶対見にくる事に決めたアルー!」 向こうからは神楽の叫ぶ声。 2つの背中は時に罵り合い、時に笑い合いながら、川辺を動いている。 その周囲で蛍が、まるで提灯のように左右に揺れて、夏の夜を照らす。 手にしても、消えてしまう。 けれど。 本当はいつだって、手を伸ばしたかった光。 もっとずっと、遠くにあると思っていた、光。 「ま、たまにゃあネオンの無ェ風流も悪かねーやな」 「そうね」 掌で微かに動く小さな息遣いを、の手に落として。 そのまま、自分の手を重ねた。 小さな手をすっぽり覆うと、2人を照らしていた光が隠れ、辺りは元の薄暗がりに包まれる。 そしてそのまま、こちらを見上げたに唇を重ねた。 触れる度に知るその温もりを、何度でも、追うために。 開いた掌から、小さな光は空へと飛び立つ。 けれど、哀しくはない。 たとえ手放しても。 今なら。 何度でも。 この手は、届きそうな気がしているから。 あの切ないほどに鮮やかで、幻のように優しい、夏灯りに。 夏灯り END |