暮れかけた夏空に、ゆるりゆるりと白い煙がのぼってゆく。
時折手を振るように、生ぬるい風に微かに揺れながら。
小さなベランダでくすぶる麻の茎の匂いは、普段は届かない場所にしまってあるはずの記憶すらそっと撫でるように、心の深みへと潜り込んでいく。

手に握った杖を壁に立てかけ、ベランダの窓べりに腰掛けた。
煙の傍らで長い影を落としてたたずむ茄子の牛に、そっと指で触れる。
昔から、欠かすことなく焚いてきたお盆の送り火。
誰の故郷でも無い場所から迎え火を焚くのはおかしな気がして。いつも送り火だけのお盆がこうして終わっていく。
今年もそう。
江戸が故郷の者などいないけれど。
でも、せめて、ゆっくりと無事に帰れるように。
この煙を辿って、迷うことなく、あるべき場所へ帰れるように。
ただそう願って、ここで火を灯す。

最初は父と母、2人だけのためだった。けれど。
いつしか増えてしまった、送るべき人たち。
そして今年はもう1人。
送りたい大切な人が増えている。
初めてのお盆を迎える、彼女が。




昨年亡くなった叔母は、早くに両親を亡くした自分にとっては唯一の身内だった。
優しくて面倒見が良く、少しばかり心配性の彼女は、離れて暮らす自分の事をいつも気にかけてくれていた。
自分が天人に襲われ怪我を負ったことを知り、家に来るようにと強く勧めてくれたのも彼女だ。
3世帯が暮らす農家の嫁という立場だった叔母。
自分のように働き手にもなれない体の人間を受け入れる事は、さぞかし片身が狭かったであろうに。
その事実に気付いてすぐ、家を出るべきだったのかもしれない。
けれど、それから程なくして叔母が病に倒れた。
何もできない自分でも、世話になった彼女の看病くらいはできるかもしれない、なんて。
それは、一人になることから逃げたいが故の言い訳だったのかもしれないけれど。
そして昨年、長く臥せった末に叔母が亡くなり、自分も家を出た。
江戸へと。引き寄せられるように、この町へと。




ぼんやりと、記憶を辿るように空へ向かう煙の筋を眺めた。
橙色の空に溶けてゆく白。
これまで幾度となく見てきた、夏の終わりの色。

見送ることには、慣れている?
いいえ、慣れるはずもない。
その行き先がどこであっても。何度繰り返しても。





来客を告げる甲高い電子音が静かな部屋に響いて、ふと現実に引き戻された。
ベランダから部屋に上がり、玄関へ。
「どなた?」と尋ねると、ドア越しに「俺」と馴染んだ低い声。


「あーあ。暑ィな、オイ。やってらんねーな」

うだり気味の表情で部屋に上がってきた彼は、まっすぐにゆるく回る扇風機の前へ。そしてダルそうにしゃがみ込み、顔を寄せる。
風に吹かれて、銀色の髪が心地よさげに揺れた。

「何か冷たいものでも飲む?」
「おー」

力無く間延びした答え。
けれどこの声は、いつだって教えてくれる。
私の今いる場所はここだと、教えてくれる。
過去と今と。地面と空と。
どちらともつかない狭間で、あの煙を追って漂っていた心を引き戻してくれる。


麦茶を2つ盆に乗せて居間へ戻ると、扇風機の前に彼の姿は無かった。
代わりに開け放たれたままだったベランダの窓べりに腰掛けて、空を見上げる白い着物の背中。
さっき自分がしていたように。
白い煙の筋を辿って。

の叔母ちゃんよォ」

低くつぶやく声が聞こえた。

「俺がグダグダこいてる間、アイツのこと世話んなっちまったなァ」

声をかけることができないまま。
1人空に向かって語りかける、彼の背中を見つめた。

「長ェことかかっちまったけどよ。もう、心配いらねェから。だから、あとはそっちでゆっくりやっててくれや」

それだけ言うと彼は首だけ振り返り、立ち尽くす私に「なァ?」と小さく笑いかけた。

何も、返事が出来なかった。
涙が出そうで。
何も、言えなかった。

膝をつき、再び空を見上げた彼の背中に顔をうずめた。
温かい、背中。
送ることを慣れる日など、きっと、ずっと来ない。来るはずもない。
でも、大丈夫。
送り出しても、必ず帰ってきてくれる人がここにいるから。

「今年の夏はよォ、盆を過ぎても涼しくなりそうにねぇやなァ」
「…そうね」
「しょーがねーからよォ、暑いうちに夏らしく海でも行っとくか?」
「そうね」

内容とは裏腹の、やる気の無い声。
おかしくて笑うと、「何笑ってんだコラ」と睨まれた。

「銀時となら、どこにでも、行く」

背中に額を寄せたままそう言うと、後ろに回された彼の手が私の手を握った。そして、
「バーカ。どこへでもなんか行けっかよ。金ねんだからよ」
と、溜息混じりの答えが返された。

「ま、とりあえずバーさんとこでも行って1杯やっか」
なんて、彼らしい言葉を付け加えて。





そう。この人は、送り出しても必ず帰ってきてくれる人。
けれど、それだけじゃない。
送り出すばかりだった自分を、共に連れて行ってくれる人。
やっと見つけたから。
だから、もう、心配はいりません。
いつか、共に会いに行くから。その日まで。
そこでゆっくり、待っていてください。

ありがとう。
これまでずっと、ありがとう。



送り火











送り火は昔ながらのお盆の風習です。
先祖の霊が迷わず帰ってこれるように迎え火を焚き、帰りは無事に帰れるようにと送り火を焚くのだそうです。
茄子に割り箸をさして作った牛も、これに乗ってゆっくり帰れるように、という意味を込めて飾るのだとか。
ていうか、そもそも彼女が江戸に来る前は叔母さんの家にいたという設定を覚えてらっしゃる方ってどのくらいいるのだろうか…。
唐突にそういう初期設定を引っ張り出してくると、伝わりにくいですよね…(--;)すいませんです。
銀さんがこの日彼女の家にやって来たのが偶然だったのかどうかは、皆様のご想像にお任せいたしますw
グダグダと続いてきた「夏灯り」ですが、次回、完結を予定しております。
とは言え、相変わらずにこんな感じだとは思いますが、最後までお付き合いいただければ幸いです!