台風
薄墨の空から流れる雨は吹き狂う風を受けて、恐らく相当な築年数を誇るであろうこの家に鋭角に切り込んでくる。 打ち付けられて震えたガラスの余韻を受けて、古い木の窓枠はきしんだ音をたて続けている。 朝、テレビでお天気お姉さんが言っていた。 大型の台風が江戸を直撃しまーす、って。底抜けに明るい声で。 「おーおー、すげェな、オイ。吹っ飛ぶんじゃねーの、ココ」 窓に叩きつけられる雨の筋を眺めながら、銀さんが言葉の内容とは裏腹にひどくのん気な声で言った。 「なんか、夜にかけてもっとひどくなるらしいですよ。ほんとに大丈夫かなぁ、ここ」 「んな心配すんじゃねーよ。形あるものはいつかは壊れるんだよ、新八君」 「いつかは、って。今は困りますよ。いくらなんでも」 「まァ、レィディオだって壊れかけの方が本当の幸せを教えてくれるくらいだから」 「いや、何で無駄に発音いいんですか。ラジオでいいでしょ。つーかラジオはともかく、壊れかけの家から幸せなんて教われませんよ」 へーへー、とやっつけ感たっぷりに返事をしながら立ち上がった銀さんは窓に背を向け、居間を出る。…そしてそのまま玄関へ。 こんなすごい天気の中どこ行く気?!この人! 「ちょっ!銀さん!どこ行くんですか?!」 「あー?すぐ戻るわー」 答えになっていない返事。その背中は傘を片手に戸の向こうに消えた。 僕の疑問は、壁の時計を見た瞬間解決する。 ああ、そうか。さんの仕事が終わる時間だ。 杖を使っているから両手で傘を持てないさんが、こんな天気の日に出歩くのは、どうしても他の人より難しい。 雨風の強い日のこの時間、必ず銀さんがふらりと万事屋を出て行くことに気付いたのは、つい最近のことだった。 「新八ー。銀ちゃんどこ行ったアル?」 玄関の音を聞いたらしい神楽ちゃんが奥から出てきた。 「さん迎えに行ったみたいだよ」 「マダオのくせに意外と押さえるとこ押さえてるアルな。アンニャロー」 …まぁね。気の利く彼氏には見えないんだけどね。 それにしてもこの天気の中さんを家まで送って行ったら、ずぶ濡れだろうな。 お風呂でも沸かしておくか。 風呂場を出た時、玄関の戸が勢い良く開いた。 「けーったぞォ〜」 「…お邪魔しまぁす」 ぐったりとした様子で入ってきたのは、髪からも着物からも雫をしたたらせた銀さんとさん。 「あれ?おかえりなさい」 とりあえずさんちより、近い万事屋に駆け込んで来た、という感じか。 「あ゙ー、使えねーわ、傘。マジ使えねぇ。長ェ付き合いなのに、こうも俺の信頼を裏切りやがるたァ思わなかったよ、コノヤロー」 傘立てにボロい傘を投げ込みながらボヤく銀さんの隣でさんが、くしゅっと小さなクシャミを一つ。 「大丈夫ですか?風邪ひいちゃいますね、これじゃ」 2人にタオルを渡すと銀さんは頭をぐしゃぐしゃと拭きながら、 「新八ィ、風呂沸かして」と、予想通りの台詞。 「今沸かしてるとこですよ」 「…おめーはいい奥さんになれんぞ、新八。俺が保証する」 「いや、うれしくないです。ソレ」 「新八君は優しくてお母さんみたいねぇ」 「いや、さん。やっぱりうれしくないです、ソレ」 銀さんの後にお風呂に入ったさんは、銀さんから借りた甚平を着て出てきた。 上衣がちょっとしたミニ丈の着物に見えるくらいダブダブだけれど、とりあえず、濡れた着物はまだ乾かないし。 同じく濡れた着物の代わりに甚平を着ている銀さんの隣に並んで座ると、なんていうか。 「ペアルックアル。バカップル入ってるネ」 そう、ソレ。 僕の思ったことを代弁したような神楽ちゃんの言葉に、銀さんとさんは互いに互いを見比べる。 「なんだガキ共。うらやましいのか、コノヤロー」 「そうしてると、普通にカップルに見えないこともないですね」 「え?何?どーいうこと?新八君。普段どう見えてんの?」 「金婚式目前レベルのベテランぶりに見えますけど」 「ああ…」 「いや、なんでおめーが納得してんだよ」 なるほど、とでも言いたげな顔をしたさんに銀さんがツッコむ。 「しょーがないじゃないですか。正直、初々しい感じとか見たことないですもん」 「初々しいってお前…しょーがねーだろ、モトサヤだし。なぁ?」 「ねぇ?」 「…いや、だからソレ、なんか生々しくて掘り下げにくいんでやめてくれませんか。2人とも」 相変わらずの2人にツッコミを入れる気力を削がれ、諦めてテレビのスイッチを入れた。 時刻はちょうど夕方の天気予報タイム。北上する大きな渦を示した天気図と、気象予報士の『夜半には江戸を直撃』という淡々とした説明が流れた。 「まだまだひどくなりそうねぇ」 「お前、帰るつもりでいんじゃねーだろーな」 テレビを見ながら困ったようにつぶやいたさんに、銀さんが眉間にシワを寄せる。 「でも」 「でも、じゃねーっつの。こんな天気でわざわざ帰るほうがバカらしーだろーが」 「そうですよ、さん。危ないし。こんな時家で1人なのもアレだし」 「お泊り会アル!朝まで語り明かすネ!」 「何をだよ。おめーはいつも通りなんだからテンション上がる理由はねーんだよ」 さんは、窓の外の止まない雨と、僕たちを交互に見て、 「じゃあ、お言葉に甘えて」と、微笑んだ。 夕食を終えて、居間でまったりテレビを見ていると。 突然、プツリと音をたてて画面が真っ暗になった。 いや、テレビだけじゃない。 部屋の中が、一瞬で暗闇に落ちた。 「え゙え゙え゙!停電?!」 「キャホォォォ!真っ暗アル!何が始まるネ?エレクトリカルパレードアルか?」 「エレクトリってんのはおめーの頭だ。いーから懐中電灯出せ、懐中電灯」 「えーと、たしか机の引き出しに…」 闇の中、方々から聞こえるみんなの声。 途端に耳に付き出した雨と風の音は、いつの間にやら随分と激しくなっていた。 距離感も何も掴めないまま手探りで机の方へと手を伸ばしていると、後方からガン!という物音。 「いたーい…」 あ、さんの声。 「何やってんだ、おめーは。いーから座っとけ」 続いて呆れたような銀さんの声。 どうやらさん、何かにどこかをぶつけたらしい。 ようやく開けた机の引き出しから探り当てた懐中電灯のスイッチを押す。…押す。押す、あれ? 「おーい、どうしたァ、新八ィ。焦らしてんじゃねーぞ。3回目のデートまではイエスと言わない女子ですか?コノヤロー」 「計算の上に成り立つ偽者の純情アルか、コノヤロー」 「いや、あの…なんか、電池切れてるみたいなんですけど…」 「はァ?新しい電池ねーのかよ?」 「ないですよ。そんな用意のいいもの、うちに」 「新八、買ってこいヨ」 「えええ?!この雨の中?!」 「そーだ、新八ィ。補充品は常に切らさねーようプラス1で用意しとくのがお母さんの鉄則だろーが。んなこっちゃ母失格だなァ、オイ」 「いいよ!失格で!つーかあんたらは鬼ですか?!」 声だけでも結局いつも通りのやり取り。 そんな進まない事態を黙って聞いていたさんが 「新八君、ロウソクは無い?」と、救いの一言。 「あ、そう言えばロウソク、どっかで見たような」 「あー、押入れだわ、押入れ」 そう言った銀さんの、こんな状況でも変わらずダラダラとした足音が居間から和室へと移動した。 押入れを手当たり次第に探っているらしい音が派手に響く。 そして、シュッという小さな音と共に、柔らかい光が灯った。 やっと照らし出された部屋の中。 和室にはロウソクを掲げて立っている銀さんの姿が見える。 「とりあえず1本しかねーから、大事に使うよーに」 幸い大きなロウソクで、結構な時間持ってくれそうだ。 僕らは引き寄せられるように、その灯りの周囲に集まった。 背中を丸めて和室に座り込み、なんとなく押し黙ってその炎を見つめる。 時折どこからともなく来る風や誰かの息遣いに微かに揺れながら、僕らを照らす炎を、じっと。 頼りなげなその灯火が絶えないようにとでも願うかのように。ただ、息を潜めて。 「あ〜あ、ったくよォ。テレビも見れねーからつまんねーし、クーラーつかねェからあちーし。文明の利器もこうなっちゃシメーだな」 沈黙を破った銀さんが、大げさに溜息を吐きながらボヤき出す。 ゆらりとロウソクの炎が揺れて、壁に伸びたみんなの影も一瞬震えた。 「いや、何どさくさに紛れて生活レベルのランクアップしてるんですか。元から無いでしょーが、クーラーなんて」 「わかってねーなァ、新八。おめーには何も見えちゃいねェ。信じる心を忘れた奴には何も見えやしねーんだよ。例え電気が復旧しようと、おめーの心のブレーカーは落ちたままだよ」 「いや、うまくねーよ!」 銀さんはごろりと肘をついて横になり、退屈そうに大きなアクビをする。 「こーいうのもたまにはおもしろいアル。オバケ屋敷みたいネ。なんか出そうアル」 「バカ言ってんじゃねーよ。ここがオバケ屋敷なわけねーだろーが。ここはみんなの万事屋であってそれ以上でもそれ以下でもねェ」 神楽ちゃんが軽く放った一言に、銀さんが素早く切り返す。 まるで自分に言い聞かせるかのように。はっきりと。 「…怖いんですか?銀さん」 僕がニヤリと笑ってみると、 「バッキャロー、何言ってやがんだ。怖いとか訳わかんねーよ、オイ。俺ァただ、真実っつーモンを教えただけだから。それ、大人として当然の事だから」 僕を睨み付け早口で反論しつつも銀さんは、「あー風強ェ。万事屋壊れんな、ここ万事屋が」と不自然なまでに『万事屋』を繰り返し強調するのだった。 「することねーし。寝ちまうか、もう」 もう何度目かの大アクビをした銀さんが頭を掻きながらダルそうに言い出した。 その言葉を聞いた神楽ちゃんが、急に勢い良く立ち上がる。 そして無言のままバタバタと和室を飛び出して行った。 訝しげにその背中を見送る僕たち。 ガン、とかゴン、とか。派手にあちこちにぶつかる音を響かせながら戻ってきた神楽ちゃんの手には、自分の敷布団と掛布団。 「何してんの、お前」 また何をメンドクサイことを、と言いたげな呆れた表情で銀さんが神楽ちゃんを見やる。 「今日は私もここで寝るアル」 「はぁ?なんで?」 「だってロウソクここにしかないヨ。私の部屋真っ暗ネ」 「寝る時ゃいつだって真っ暗だろーがよ。なんで今日だけ灯りを囲んで寝なきゃなんねーんだよ。こんなんもおもしれーっつってたのおめーだろーが」 「これはこれで修学旅行みたいでおもしろいアル」 言いながら畳の上にさっさと布団を広げる神楽ちゃん。 修学旅行なんか行ったことないクセに、なんのテレビでそーゆーシーンを見たんだか。 「いや、神楽ちゃん。それはちょっと…アレでしょ。お邪魔だし…」 僕はそんな神楽ちゃんの袖を引っ張った。 だって、さんがいるのに。 逆に僕のほうが、今日は神楽ちゃんの押入れの前に布団敷いて寝ようと思っていたのに。 でも神楽ちゃんは、お構い無し。敷いた布団の上にうつ伏せに寝転がる。 「しょーがねーなァ」 だが、もっと嫌がるかと思っていた銀さんは、意外にもあっさりとそう言った。 そして自分も立ち上がり、布団を床に広げ出す。 ロウソクを囲むように並べられた布団は計3枚。 まぁ、それが万事屋にある布団の最大枚数なんだけれど。 どうやらこの計算は、神楽ちゃんの布団、僕の布団、そして銀さんとさんの布団、ということになるらしい。 それを見て神楽ちゃんが、うれしそうに笑った。 「キャホォォ!まず何するアルか?!やっぱりUNOは外せないネ!」 「なーに、『夜はこれからだ』みてーな顔してんだ、てめーは。ガキはさっさと寝ろ」 はしゃぐ神楽ちゃんに冷たく言い放ちながらも。 なんか、銀さんも楽しそうに見えるのは、僕だけ? そしてその隣で笑うさんも。 いや。なんだかんだで、それ見て笑っている、僕もか。 「新八君、お妙さんは1人で大丈夫かしら?」 敷いた布団の上に座り直しながら、さんが心配げに僕を見る。 「大丈夫です。姉上は仕事に出てますし、どっちにしても帰ってくるのは朝方だから、その頃には台風もだいぶ通り過ぎてますよ」 そう、と安心したようにさんが答えた。と、同時に。 窓の外が一瞬真っ白になった。 続いて、木の柱が微かに震える程の低く重い音が轟く。 「うわ、雷?」 窓の外を見た僕の視界の片隅で、さんの肩が微かに反応するのが見えた。 あ、そうか。大きな音。 雷鳴は、爆音を彷彿とさせるのかもしれない。 さんの苦手なものを思い出して僕は口を開きかけた。 窓の外にはもう一度白い閃光。 布団の上で寝転がっていた銀さんが体を起こす。 けれど、その銀さんが手を伸ばすよりも早く。 さんの両耳を塞いだ、小さな手。 「…神楽ちゃん」 そう、さんの背後に立ってその耳に手を当てていたのは神楽ちゃんだった。 恐ろしい音を一つも耳に入れまいとするかのように、ぴたりと押し当てた手。直後に轟いた雷鳴はさんにとって、きっと、さっきよりずっと遠くに聞こえただろう。 驚いたような顔で、神楽ちゃんを見上げるさん。そして、銀さんも。 「銀ちゃん、遅いヨ。私の勝ちアルな」 勝ち誇ったように胸を反らして笑う神楽ちゃんに、ポカンとしていた銀さんの口元がふっと緩んだ。 「るせーよ。こん次ゃ負けねーよ」 「新八は話にもならないアル。大仏のように動かなかったネ。さすがダメレベルが違うアルな」 「何ををを!僕だって今度は負けねーぞ!チクショー!」 そんなよくわからない張り合いを始めた僕らを見て、さんが笑った。 そして、自分の耳を塞いだままの神楽ちゃんの手をそっと取る。 「ありがとう。もう、大丈夫」 神楽ちゃんに笑いかけるさんの表情からは、さっきの怯えた色は抜けていた。 そして僕ら3人を見渡すと、 「頼もしいのね、万事屋は。ここにいれば、怖いものなんか無いわね?」 そう言った。 「あたぼーネ!万事屋は最強アル!そのほとんどが私の功績アルけどな!」 「何言ってやがんだ。俺7、神楽2、定春1くれーの割合に決まってんだろーが」 「…ちょっ!待てェェ!それ僕入ってないでしょーが!」 「んだよ、うるせーな。じゃあ欄外に『メガネ切り捨て』って書いといてやるよ。満足かコノヤロー」 「何ソレ?!切り捨てって!僕、端数処理扱い?!小数点以下扱い?!せめて四捨五入にしてチャンス広げてくれてもいいだろーがァァ!」 「…って、オイィィ!雨漏りしてんぞ!新八ィ!バケツと雑巾持って来いィィ!」 「ハイィィィ!…つーかマジ壊れかけじゃないですか!この家ェェ!」 空からは相変わらずに、地を這うように響く雷の音。 けれどそんなものを掻き消すような、騒ぎ声と。 歪んだバケツに落ちる雨だれの音。 肩の力が抜けたように表情を緩めるさんと、その様子を見て安心したように再び布団に寝転がる銀さんと。 そんな2人を見て、なんとなく満足気分な僕ら。 窓の外には強い風。打ち付ける雨。 古い柱を折りそうに、欠けた瓦を飛ばしそうに、ただひたすらに。 声を出す度に揺れるロウソクの炎は頼りないけれど。 いつまでたっても復旧しない電気は困りものだけれど。 不安は感じない。 だって例えロウソクが燃え尽きても、こいつら、変わらずこの調子のままなんだろうから。 決してみんな口には出さないけれど。 きっとそれぞれが心のどこかで、今、この居場所がある事に感謝をしながら。 こんな夜を超えるのだ。 きっと、嵐の度に。 + |