花火
何故だかいつまでも外にいたくなる、夏の夜。 きっちり半分に欠けた月が、平らな藍の夜空にぽかりと浮かぶ。 見上げた神楽ちゃんが、「オムレツみたいアル」とおなかを鳴らした。 おめーは風流ってモンがねーな。 銀さんがため息をつく。 でもこうして花火片手に集まって、軒下でスイカを食べる僕らは、なかなかに日本の夏を満喫しているに違いない。 「たまには花火もいいもんだねェ」 店先のベンチに腰かけ、タバコの煙をくゆらせながら、お登勢さんが目を細めた。 「ビームみたいでかっけーアル」 「ぎゃああ!神楽ちゃん!ソレ、下に向けてなきゃダメだってば!」 はしゃいだ神楽ちゃんが赤い光の吹き出す手持ち花火を振り回すから、僕は慌てて飛び退った。 「正々堂々勝負するネ!怪人ダメガーネ!」 「いや、『正々堂々』の使い方おかしい!つーか、何?!『怪人ダメガーネ』って!」 「オイオイ。怪人ジミジャーネは燃やしても、家燃やすんじゃねーぞ」 お登勢さんに並んでベンチに座り、スイカをかじる銀さんが、やる気の無い声で止める…と言うよりは煽ってくる。 「『ジミジャーネ』ってなんだよ!『ダメガーネ』です!…いや、『ダメガーネ』でもないわァァ!」 「新八君はダメな子なんかじゃないのにね?」 銀さんの隣でさんが優しく笑った。 ああ、さんだけですよ、僕の味方は。 「でも地味じゃね?」 そんなさんに横槍を入れるのは当然銀さん。 「…」 「いや、さん!そこは否定しましょうよ!黙らないで!」 …やっぱり僕の周りって敵しかいないんだ。 信じられるのは所詮、自分だけだよ。うん。 それ以上言うのは諦めて、僕は花火を一つ手に取り火を付けた。 細い火薬の筒からは、萌黄色の炎が勢いよく流れ出し、辺りを染める。 それを見つめるみんなの顔が、ほんのひと時萌黄色に照らし出され、そしてまた、夜に落ちた。 「あー、なんかアイス食いたくね?ひとっ走り買いに行っちゃいたくならね?ジミメガネーゼ」 「いえ、そんな『シロガネーゼ』みたいに言ったってオシャレじゃないんで。そんなんでパシリなんてしませんからね。食べたいなら自分で行ってきて下さいよ」 僕が冷たく突き放すと銀さんは、あちーからめんどくせ、とダルそうに空を仰いだ。 まったく、どこまで勝手なんだか。 「!このビームなかなかの威力ヨ!もやってみ?銀ちゃんやっつけるチャンスネ」 さんに駆け寄った神楽ちゃんが、火の付いていない花火を1本差し出した。 「俺みてーなか弱い糖尿気味の市民をやっつけたところで世界は何一つ変わらねーぞ」 「そんなことないアル。一人一人の小さな一歩で世界は変わっていくネ」 「その通りだ、神楽。新八がアイスを買いに行こうと踏み出したその一歩が、地球の裏側で泣いているあの子を救うかもしれねーわけだよ」 「いや、救われるの銀さんだけじゃないですか」 なんだかよくわからない方向に流れた話は、神楽ちゃんが「と、いうわけアル」ともう一度さんに差し出した花火で強引に元に戻る。 だから、どういうわけだよ。 「私はいいの。見ているだけでも楽しいから」 そう答えてさんは微笑んだ。 そう。さんは、さっきから花火を見ているだけで参加していないのだ。 お祭りの時はあんなにはしゃいでいたさんなのに。 けれど、理由はなんとなくわかった。 苦手、なんだろうな。 間近で火事を見た時の、さんの様子を思い出す。 見ている分には楽しそうだし、大きな炎のように、恐怖感があるわけではないんだろうけど。 自分の手で持つには、あの吹き出す炎に苦手意識があるんだろうな。きっと。 「」 いつの間にか立ち上がっていた銀さんが、さんに呼びかけた。 その手には花火が1本。 ロウソクに近付けると、水色の光が小気味良い音と共に地面に散り始める。 そして銀さんは、空いている方の手でさんを手招きした。 さんは少し首を傾げて。 そうっと銀さんの側に歩み寄った。 花火に警戒ぎみに、若干遠回りしながら。 「オラ、持ってみ」 銀さんが、手に持った花火を顎で示す。 「でも」 「一緒に持っててやるっつの」 さんは少し迷い気味に手を出し、一度引き。 そして、おそるおそる、花火に手をかけた。 銀さんはそのまま、もう片方の手をさんの背後から回し、その手に重ねる。 いつになく緊張がちだったさんの表情が、少し和らいだ。 光に照らされて重なる、2つの影。 「近くで見た方が、ずっと綺麗なのね?」 銀さんを見上げるさんのうれしそうな顔が、煙の向こうで揺らめいていた。 「シメはやっぱ、これですよね!」 派手な花火は粗方片付き、最後に残ったのは線香花火。 「これなら私も大丈夫そう」と、さんが僕の手を覗き込む。 お決まりのように、バラバラだったみんなが一箇所に集まり、小さな円を組んでしゃがみ込んだ。 線香花火は、やっぱり円陣だ。 「なんかコレ、ちっちゃくてショボそうアル」 期待できないといった顔で、神楽ちゃんが線香花火をつまみ上げた。 「小さいけどすごく綺麗だよ。僕、得意なんだよねー。長持ちさせるの」 「新八のクセに言うじゃねーか。ワリーが俺の線香花火の粘り強さはハンパないからね。納豆でも引くからね、コレ」 「いーえ、こればっかりは僕だって負けませんよ。超ド級の根性見せますからね、僕の花火」 「そこまで言うなら、そのケンカ買ってやらァ。誰が1番長ェか勝負といこうや」 ニヤリと銀さんが勝ち誇った笑みを浮かべた。 「望むところです!」 「1番負けた奴ァ、1番勝った奴のためにアイスパシリな」 やっぱりまだ、アイスを諦めきれていなかったらしい。 「あれ?でも、銀さん。それを罰ゲームにすると…」 「うおぉぉーし!勝負と名の付くモノは負けないネ!」 「あたしも線香花火なら負けないよ」 神楽ちゃんも、そしてそれまで見ているだけだったお登勢さんも。 真剣な表情で、花火を手に準備万端。 そのテンションに僕の言葉は途中で掻き消された。 …ま、いいか。みんな盛り上がってることだし。 一斉に、線香花火に火が灯った。 風の無い空気にたちこめる白い煙と微かな火薬の匂い。 僕たちは黙って、柔らかな光を見つめた。 途切れ途切れに飛んでは散り、落ちては消える火花を、見逃すまいとでもするかのように。 その真ん中で橙色の火種は、細かく、でも弾けそうに強く震えていた。 頼りなげな紙の持ち手の先で、燃え尽きるその時を知っているかのように、ただ静かに震えていた。 「いいのよ、銀時。せっかく1番だったのに。私、買ってくるから」 慌てるさんの後ろに、銀さんは「うるせー」と眉間にシワを寄せながら着いていく。 「おめーみてーな危なっかしいの、こんな時間に1人で行かせた方が面倒なことにならァ」 ・・・やっぱり、こうなるよね。 あまりに予想通りの展開で、自分で驚くけど。 そりゃあね、銀さんが線香花火得意で、1番になったとしたってさ。 いや、2番だろうが3番だろうが。 さんがビリになっちゃったら、結局は銀さん、着いて行かずにはいられないんだから。 花火経験、ほぼゼロそうなさんだし。 その賭け、リスク的にどうなの?って思ったんだけど。 まぁ、夏の夜道に並ぶ2つの背中は、罰ゲームというにしては幸せそうだから、いいか。 |