夏休み「花火」
生ぬるい空気。虫の声。遅い日暮れ。 すべてが少しだけ特別で。一人で過ごすには、もったいなくて。 誰かと一緒に過ごしたくなる、夏の夜。 3度目のインターホンを押しても、今日のそのドアの向こうからは人の気配すらしなかった。 「留守かなー」 「だから新八は押し方が甘いアル。こうネ」 神楽ちゃんが僕を押しのけ、インターホンに指を伸ばす。 激しい連打。ドアの向こうで、ピポピポピポピポーンと長いベル音が一続きに響いている。 …。 「いないみたいねぇ」 姉上の言葉に、隣にいたちゃんが、あからさまにがっかりした顔になった。 「、気をしっかり持つアル」 「そうでィ。土方さんが体を張って、満点大笑い間違いなしの一発芸見せてくれるそうだから元気だしなァ」 「なんで俺が赤いカーペット乗んなきゃならねぇんだ。てめぇでやれや」 みんなに声をかけられ、がっかり顔をしてしまった事に申し訳なくなったらしいちゃんが、ごめんごめんと笑顔を作る。 せっかく来たのに。どこ行ったんだか。あのダル担任。 そう、ここは銀八先生のアパート。 前に一度課題をやりに来た時と同じ顔ぶれの僕らの手には、花火がたくさん入ったコンビニの袋。 夏だ!花火だ!と集まった僕らは、集合場所から近かった銀八先生の家に2度目の突撃を決行してみたのだ。 言い出しっぺは姉上。 僕にこっそりと 「ちゃん、先生とあまり外で会えないから。こういう時くらい会わせてあげたいじゃない?」と耳打ちしてきた。 たしかに、そうだよね。 なのに、当の本人はどうやら留守。 さぁて、どうしようか。とみんながドアの前で沈黙した時。 アパートの階段を、こちらへ上ってくる足音。 一斉に振り返った僕らと目が合った彼は、「はぁ?」という顔で眉間にシワを寄せ、白髪頭を掻く。 手にはコンビニの袋。 ああ、買い物行ってただけだったのか。 隣でちゃんの顔が、わかりやすい程に輝いた。 この、つい笑ってしまうほどダダ漏れな恋心を毎日見せつけられれば、そりゃあ教師と生徒という線を超えてしまいたくもなるかもしれない。銀八先生だって。 実際のところはわからないけれど、客観的な立場からの僕の感想。 銀八先生おかえりなさーい、とみんなで笑顔で迎えてみる。が、 「いや、あの、サインとかマジ勘弁してください。キリないんで。一般の人にも迷惑かかるんで」 じゃっ、と言いながら足早に僕らの横を通り過ぎつつも、抜け目無くちゃんの手だけを引いて、部屋の中へ入ろうとする。 「いや、僕ら、入り待ちのファンじゃないですから!せめて、何しに来たかくらい聞きましょうよ!」 「んだよ。おめーらは何でそう突撃好きなんだよ。今度はなんの課題だよ。俺ァなんやかんやで忙しんだよ、他の場所あたれや」 「違うの、先生。課題じゃなくてね。一緒に花火しよ?」 先生に手を掴まれたままのちゃんが言う。 「ああ?花火ぃ?」 「行きましょ、先生。ちゃん、先生と一緒にやりたいんですって」 「どうせジャンプでも買って来て忙しいんでしょう?花火くらいいいじゃないスか」 「そうアル。来ないとがどうなっても知らねーアルぜ」 僕らの声に、うざったそうに顔をしかめる先生。 でも結局は、諦めたように玄関にコンビニの袋を放り、鍵をかけ直す。 そんな先生を見て、ちゃんがとてもうれしそうに、笑った。 先生のアパート近くの公園で。 僕らは鮮やかな光と鼻をつく火薬の匂いに包まれていた。 「土方さーん。危ないですぜィ」 と、言い終えるより先に沖田君が放り投げたネズミ花火が、土方君の足元で派手に回転する。 「おわァァァァ!!てめっ、何しやがる!!」 「いやぁ、土方さんのそーゆー華麗なステップが見たくて、つい、ねェ」 「つい、じゃねーよ!てめぇも華麗に踊りやがれェェ!」 こんな危険なネズミ花火チームとは裏腹に。 「うわー」 「オイオイ、随分伸びやがんな、コイツ」 しゃがみ込んだ銀八先生とちゃんは、じっと地面を見つめている。 そこには、黒くもこもこと伸びる、なんていうか…花火の美しさとか華やかさとは縁遠い物体。 「いや、あんたらハナっからヘビ花火って。テンション上げていきましょうよ、もっと」 「ヘビ花火の哀愁がわからねーようじゃ、お前はまだまだ新八だな」 「哀愁?これ哀愁なんですか?!」 「あたりめーだ。派手さが売りの花火の中で、この地味な動きだけで生き残ってきたコイツはすげぇ。ツッコミで生き残ってきた新八並みに地味すげぇ。哀愁を通り越して、侘び寂びすら感じるね、コレ」 「地味すげぇとか言うなぁ!つーか僕の人生、ヘビ花火に例えられちゃうの?!」 花火用のロウソクでタバコに火を付け、ヤンキー座りで。 うちの担任は、花火なんて華やかなものを前にしてもやっぱり気だるい。 その隣で手持ち花火に火を付けたちゃんが、楽しそうに先生に笑いかける。 そんなちゃんを見る先生の目は、いつもより少しだけ優しい。 うん。やっぱり来てよかったですね、姉上。 花火セットの中身も少なくなってきた頃。 「これって、ここに火付けるのかなぁ」 ちゃんが、長い棒の先に火薬のついた花火をロウソクに近付けた。 正確には、火薬の上に付いた、短い導火線を。 あれ?それって、もしかして手持ち花火じゃなくて。 …ロケット花火ィィィ?! 「ちゃん!ソレ!ソレ違う!!」 叫んだけど、時すでに遅し。 ロケット花火の導火線には、すでにロウソクの火が移ってしまっていた。 周囲の慌てぶりに、え?え?と訳がわからない顔のちゃん。 「危ねぇ!」 土方君が駆け寄る。より、先に。 ちゃんの手から素早く花火を奪った銀八先生が、思い切りそれを空に投げた。 笛のような甲高い音を響かせて飛ぶロケット花火。そして、派手な破裂音が上空で弾けた。 全員、固まったままソレを見る。 一番固まっているのは、もちろんちゃん。 「バカヤローか!おめーはよ!あんなモン持ってたら頭パーンだろーが!パーン!」 沈黙を破った銀八先生が、ちゃんに怒鳴る。 「だって、普通のシューって花火だと思って。あんなパーン、なやつだと思わなくて」 危機一髪だったことをようやく悟ったちゃんは、軽く涙目。 動揺のあまりにシューとかパーンとか、もう何を言っているんだか状態。 いや、たしかに、長い棒が付いてて手持ち花火みたいなルックスはしてるんだけど。 でも、導火線付いてる時点で、気付こうよ。ちゃん。 「あ゙〜。でも良かったぁ。危なかったよ、ほんと」 「ほんとね。良かったわ、火傷しなくて」 「大丈夫か?おい」 みんなに囲まれ、ようやく落ち着いてきたらしいちゃん。 銀八先生は、「おめーのやるこたぁ、ほんとありえねー」とか、まだブツブツ。 「先生、ごめんね」 ちゃんが、申し訳なさそうに下を向いて先生に言う。 「あんま、ヒヤッとさせんなや」 そう言って銀八先生は、ちゃんの頭をポンと叩いた。 それにしても。 さっきのロケット花火を投げた素早さは、いつものダルさからは想像もつきませんでしたよ、先生。 公園のトイレに行って、みんなの所に戻ろうと歩き出すと、後ろから思い切り腕を引っ張られた。 「いたた!え?あれ?どうしたんですか?」 そこには、僕の腕を掴んだ姉上と、神楽ちゃん、沖田君。 「ちょっとコンビニまでアイスでも買いに行きましょ?」 姉上が笑顔で僕を引いて歩き出す。 ははーん。 「2人きりにしてあげよう、ってことですか?」 「そうよ。いいじゃない?たまには」 「俺らも、そう野暮じゃないんでねィ」 まぁ、そうか。せっかくの機会だもんな。 「オイ、てめーら。どこ行くんだ?」 花火のゴミを捨てに行っていた土方君が、ちょうど向かい側から歩いてきた。 「あー、あの、その、アイスをね、買いに行くんで!一緒に行きましょうか!」 「そうネ!よく冷えたクールマヨ買いに行くアル!」 少し慌てぎみ、口ごもりぎみの僕らを見渡して。 「なるほど、そーゆーことかよ」 土方君は、多少おもしろくなさげにため息をついた。 僕らとしては、ちゃんと銀八先生を応援したいけれど。 やっぱり、土方君の気持ちも知っているから、なんか気まずい。 さっさと行こーぜ、と土方君は僕らの先に立って、コンビニの方向へと歩き出す。 「あの、土方君」 「んな、申し訳なさげなツラすんじゃねーよ」 土方君が、遠慮がちに声をかけた僕を睨む。 「いんだよ。わかってんだからよ。あんな楽しそうなの見てたら邪魔するつもりなんかねぇよ、俺だって」 きっぱりと言い放った後。ただ、と付け加える。 「ど〜も、あのダル教師見てると時々腹立つっつーか、納得いかねぇっつーか。そんだけだ」 眉間にシワを寄せる土方君の横顔に僕は、 「うん。気持ちはすごくわかるよ、土方君」と、同意した。 賑やかな夏の夜の締めくくりは、2人のために。 僕らほんっと、いい生徒でありクラスメイトだと思いませんか?銀八先生。 + |