夏休み
銀八先生のバイクに乗って、少しだけ遠くへ。 見知った街を抜けて、よく晴れた海沿いの道を、のんびりと行く。 私の頭には空色のヘルメット。 今日会ったら、「お前専用」って先生が頭に乗せてくれたヘルメット。 それから、 「行き先にご希望は?」 って聞くから、どう答えていいかわからず黙ってしまうと、 「たまにはワガママ言っとけ」 と先生。 「海」、って私が答えたら、先生のバイクが走り出した。 もう何もかもがうれしくて仕方ない、夏休みの1日。 隣の隣の町にある、にぎやかな海水浴場。から、少し離れた小さな砂浜。 地元人らしきおじさんがジャージで犬を散歩させているだけの、そんな場所で、私たちはバイクを下りた。 先生はメットを外し、一つ伸びをして。 「とりあえず海来たけど、あとは?なんか要望ねぇの?」と、私を覗き込んだ。 どうしよう。 もう十分、満足いっぱいいっぱいなんだけど。 いいのかな。これ以上、望んでいいのかな。 「あのね。手、つないで歩きたい」 思い切って言ってみると、先生は「りょーかい」と答えて、私の右手に自分の左手をからませた。 そして、砂浜を歩き出す。 ゆっくり、ゆっくり。 先に立つ先生の背中と、境目の無い海と空とを交互に見ながら、私もゆっくり、ゆっくり。 つないだ手が暖かい。 「先生、いい天気だねー」 「あー」 「海きれいだねー」 「おー」 砂浜に腰を下ろすと、聞こえるのは波の音だけ。 先生は自分の両腕を枕に仰向けに寝転がった。 くわえたタバコからぷかぷか浮かぶ煙が、ゆるく時間を刻む。 ぼんやり空を見る先生を見ていたら、ふと目が合った。 先生は、自分の頭の下に敷いていた手を片方、砂浜に伸ばす。 そして私に「どーぞ」と言った。 その意味がわかって、なんだか急に心臓がうるさくなって。 いいの?いいの?って、心の中で先生に聞く。 そぉっと先生の腕に頭を乗せて同じように寝転ぶと、目の前にめいっぱい空が広がった。 こうして見ると、空はこんなに広いんだ。 青くて、雲の欠片すら無くて、どこまでも真っ平。 「空広いねー」 「さっきからお前の感想はそのままだな。みじけーし。もっと修飾語とか活用しろや」 「おかしいなぁ。国語得意なのに」 「得意っつーか、つい得意になっちゃっただけだろ。不純な動機で」 「…」 はい、どーせその通りです。 「あ。あの雲、先生に似てる」 「何。もしかして『白いから』とか言う?」 「白くて、ふわふわで、くるっとしてるとこ」 「今、天パをバカにしたろ。世界中の天パを敵に回したぞ、お前。明日起きたら天パに改造されてっかもしんねーぞ」 「こわっ」 「こえーだろ。雨の日なんかクリンクりンだぞ。手の施しようねーぞ」 心地よい天気に誘われて、なんだかいつも以上にのんびり会話。 腕枕で早くなった脈も、ゆるい空気にくつろぎかけた頃。 砂の上に半身を起こした先生が、寝転んだままの私を見下ろした。 先生の左腕は、まだ私の頭の下。 先生の右手は、私の顔の横。砂の上。 今まで空でいっぱいだった私の視界は、一気に先生で覆われる。 「先生、人っ。人見てるよ?」 「あー?誰もいねーよ?」 あれ? 先生の腕に閉じ込められたような状態で、なんとか視線だけを彷徨わせると、さっきまでいた犬とおじさんはいつの間にかいなくなっていた。 「それって、アレ?見られてなきゃOKっつーこと?」 私の動揺を察知したらしい先生が、楽しげに言う。 「そうじゃないけど」 「けど、なによ?30文字以内で答えなさい」 「…そうかも」 負けを認めた私に、先生は少し笑って。 「だから、みじけーって、答え。修飾しろって」 そう言うと、私の唇に、優しく唇で触れた。 静かな空に波の音。 ゆるやかに、ゆるやかに、砂の上。 コンクリートの校舎の中とは、違う色で時間が流れる。 青くて、透明で、きっといつまでも焼き付いて離れない色で。 本当は、なくてもいいと思っていた夏休みを、好きになってしまった海辺の午後。 |