「先生ー、プリント集めて来たよ」

国語科準備室のドアを開けると、銀八先生は机に向かったまま背中で「あー」と返事した。

「ここに置いていい?」
「おー」

上の空で適当な答え。
後ろ姿だけ見ると真面目に仕事でもしてそうだけど。
ちゃんとわかっているからね。ジャンプ読んでることくらい。
立て膝ついて、相変わらずだらしのない座り方で。
でもそんな背中を、見てるのが好き。

先生の後の棚にプリントを置いたら、ふと壁のカレンダーが目に入った。

「卒業までもう半年近いのかぁ」
ほとんど独り言のつもりでつぶやくと、
「まだそんなにあんだ」
急にマトモな返事が返ってきたから驚いた。

「聞いてたんだ。先生」

私がそう言うと、先生は急に、くるりとイスを回してこちらに向き直った。
じっと私を見る。
そして。

「銀八≠チて呼んでみ?」
「えっ??」
「先生≠カゃなくて銀八=v
「なんで?急に。どうして?」

動揺を隠しきれない私。
でも先生は知らぬ顔で私の手首を掴み、自分の方に引き寄せる。
座る先生を見下ろす、いつもとは逆の目線。

「いいから呼んでみって」
「だって、そんないきなり。ずっと先生≠セったのに」
「練習だよ、れんしゅー。やっと卒業してよー、さぁいざ!って時に先生≠カゃあ、俺的にもいまいちノレねぇしよー。まぁ、逆に禁断のナントカ感が出て興奮すっかもしんねーけど、それはそれとして」
「何言ってんの、先生?!何言ってんの?!」

なんだか怪しげになってきた話はとりあえず途中で切っておく。
先生は私の腕を掴んだまま立ち上がった。
距離が更に縮まる。
息のかかるような距離から、私を見下ろす真っ直ぐな目。

「呼ばねーとちゅーすんぞー」

ほらほら、と顔を寄せる先生。
近過ぎて目が見れない。
卑怯。
私がこんな距離に弱いことや、先生には結局逆らえないことなんて、先生はみんなわかっているんだから。


ぎんぱち。

下を向き、かなりボリュームを落として。
呼んだというより、つぶやくような私の声は、先生には届かない。

「ああ?聞こえねーって」

耳元の声に、今度は顔を上げた。
噛まないように、一呼吸。

「…銀八?」

先生は一瞬黙って。

「よくできました」

そう言って笑うと、私の唇に唇を重ねた。
愛おしむように、優しく。

「呼んだのにちゅーした」
離れた先生の顔を睨んでみると彼は、
「いや、思ってた以上に呼び捨てってキタから、つい」
と、悪びれなく言うのだった。



本当はずっと呼んでみたかった、名前。
心の中でなら呼んだことのあった、名前。
本当に呼べる日が来るなんて思ってもみなかった、ずっと。
いつか、当たり前のように先生の名前を呼んで。
誰よりも呼んだと思える日まで、側にいられたらいい。

そんな事を、1人そっと願ってみる、放課後。



いざという時に備えて



(復習しとけよ)
(だからいざ≠チて…)








「まだそんなにあんだ」は、多分先生の本音。