小学生の頃、少女漫画の雑誌なら毎月おこづかいで買っていたけれど。 少年誌を読んだことは無かった。 クラスの男の子たちが読んでいた記憶はあるけれど、少女漫画と違って少しばかりゴツイ絵柄のヒーローたちには、これといって興味も湧かなかった。 それなのに、今になって。 「先生、これ、もう読み終わった?」 デスクに無造作に置かれた今週号のジャンプを指差すと、ソファの銀八先生が先週号のジャンプをめくりながらチラとだけこちらに視線を向ける。 「とりあえず1巡目は終了」 「読んでもいい?」 「どーぞ」 許可の出たジャンプを手に先生の隣に腰掛ける。2つになるページを繰る音。 先生がいつもこんなに熱心に読んでいて、国語科準備室にはいつも何週分もが積まれてあって、私はそこに毎日通っていて。 こうなってしまうのは、必然と言えば必然な気もする。 「ねぇ、先生なんで先週号読み返してるの?」 聞いてみると、「ああ?」と紙面からは目を離さないままの先生の声が返ってくる。 「今週のBL●ACHの急展開に先週分から読み返さずにはいられねーんだよ。まさかあそこで日●谷があんな事になるとは…」 「待って!待って!言わないで!まだ読んでない!」 「…お前って、いつからんなジャンプ愛読者だったっけ」 ふと気付いたように私を見る銀八先生。 いつから、と言われると、いつかなんて自分でもよくわからない。 「先生見てたら、おもしろそうだなぁって思って…いつからだろ」 首を傾げる私に先生は、「ま、いい心がけじゃねーの」と一言返して再びジャンプに目を戻す。 静かな時間。 それは、いつのまにかお決まりになってしまった月曜日の放課後。2人きりの読書タイム。 そもそも銀八先生を見ていれば、携帯電話を活用してマメに誰かと連絡を取るようなタイプではない事など容易く想像がついて。 国語科準備室ならともかく、最悪の場合自宅に放りっぱなしの『携帯しない電話』になっている日もしばしば。 メールも基本、自分からする事は無く。しても件名無しで1行。当然絵文字も顔文字も無し。 相手によっては…それは主に坂本先生とか服部先生のようなんだけれど、返事をしない事すらあるようで。 それでも私がたまに入れる意味の無いメールには、キチンと言葉を返してくれる。 先生は、意外と律儀。 よく晴れた通学途中の朝。 あんまり空が青くて、きれいで、伝えたくて。 つい、携帯を開いた。もうすぐ会えるのは、わかっていたけれど。 『いい天気だね』 返信は1分後。意外と早い。 『サボんなよ』 口元が緩んでしまった。だって、わかっているクセに。こんなにいい天気で、気持ちが良くて、もうすぐ先生に会えるのに。サボったりなどするわけがない。『サボらないよ』。レスは即効。 もう一度、携帯が震えた。 『昼メシ屋上だな』 ほらね。これでもう、ますますサボるわけがない。早く、早く学校へ。慌てて答えを打ちながら、足取りは自然、早くなる。 『うん、屋上だね』 そして自分の返信画面に、ふと気付く。件名無しの1行メールは私もだ。 初めて銀八先生にメールをした時は、文面を考えるだけで30分もかかった。長すぎないよう、短すぎないよう。絵文字の使い過ぎはうるさいかな、とか、これじゃカタすぎるかな、とか。もう消したり入れたり色々大変で。送信ボタンを押そうとしてやめて、また押そうとしてはやめて。 なのに、いつのまにだろう。たった1行でも、何も理由なんてなくても。ちゃんと銀八先生は受け止めてくれる事に気付いたのは。 そしてもう一つ、気付いていること。 学校で会えない土曜日と日曜日。そのどちらかだけは、用事なんて無くても先生からメールをしてくれる事。 勉強してんのか、とか、夜更かしすんな、とか。そういう時だけやけに教師っぽい内容だったりするから、なんだかおかしくて、嬉しい。 そして今日は土曜日。 昼時、部屋の机で携帯が鳴った。 銀八先生からの休日の1行。そして返す、また1行。 『天気よすぎね?』 『気持ちいいよねー』 『二日酔いに響く』 『二日酔いのツボ押さなきゃ』 『とっくに押してるっつの』 その後は2度寝でもしてしまったのか、『大丈夫?』と入れても、もう返事は来なかったけれど。 多分今起きたんだろうなぁ、じゃあ起きてすぐにメールくれたのかなぁ、なんて。そんな事を考えるだけで、めいっぱい幸せな土曜日を過ごせてしまう私は、やっぱりバカなんだと思う。 それは、いつのまにかお決まりになってしまった、件名の無い、意味だって無い、ほんの何巡かだけの1行メール。 甘いものは昔から大好きだった。 けれど新製品なんかを、そう熱心にチェックするほどだったわけではなくて。 大概、決まった自分好みのものを購入して帰るだけ。そして、「おいしかった」と満足して、おしまい。 けれど最近は、それだけでは終われない。 自分以上に甘いものが大好きな人のことが、つい思い浮かんでしまうから。 「先生、コレもう食べた?」 放課後。手に持ったお菓子のパッケージを見せると、銀八先生の眉間にシワが寄る。 「何コレ、新製品?『いちご大福チョコバー塩キャラメル風味』って、エライ事になってっけど、旨いの?コレ」 「まだ食べてないから、わかんない」 「お前また俺で試す気だろ。人をリトマス試験紙的なもんだと思ってんだろ、お前」 「じゃあ私が食べるからいいもん」 「いや、食わないとは言ってないけどね」 当たり前のように手を伸ばしてくる先生から、逃げるように包みを遠ざける。 「一人で食べちゃダメだよ。体に悪いから」 「ちゃん、ドS?持ってきて見せつけといて『食うな』って、どんなサドっぷり?」 「半分こにしよ」 「俺大きい方な」 「…文句言ってたクセに」 「なんかよく考えてみたら旨そうな気ィしてきた」 「やっぱり?」 おいしいものは2人で一緒に。その方が、きっと、もっとおいしい。 これもう食べたかな。こんなの好きかな。 それは、いつのまにか欠かさなくなってしまった、何とも幸せな新製品チェック。 自分が食べる前にまずは銀八先生の反応を見るべく、チョコバーをかじる顔を横から覗き込んでいたら。 いきなり後頭部を掴んだ大きな手に引き寄せられて、「わ」と声を上げかけた口が甘い唇に触れた。 いちご大福でチョコレートで塩キャラメルの香りの唇。 「どーよ」 微かに残る甘い味。まだ頭を抑えられたままで離れることの出来ない距離から先生の声。 「…変な味」 「だろ」 「おいしそうだと思ったのになぁ」 「つーか俺だけ犠牲になんの御免だから」 道連れ決定〜。そう言った先生の手がもう一度私を引き寄せた。 おいしくないものも、2人で一緒に。 先生となら、道連れも悪くない。 毎日なんて、きっとすべてが、積み重なった いつのまにか。
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