はよく、ぼんやりと空を眺めている。

それは決まって、よく晴れた日の青空。

騒がしい授業中の教室でも。
友人に囲まれて過ごす休み時間の廊下でも。
まどろみたくなる昼休みの屋上でも。

あいつを見ていて、ふと、自分のクセに気付いた。
よく考えてみりゃ俺もよく空を見上げてる。
なんでって、んなもん知らねー。
下なんか見てるよりよっぽど落ち着くだろ。
あいつがなんで空を見上げているのかも、俺は知らねーし。

人にあふれた校内の喧騒の中では、一人空を見上げるあいつの周りだけ時間でも止まったようだ。
とんでもないクラスメイトに囲まれ、自分が平凡で存在感の薄い生徒だと信じて疑わないあいつは、実はひどく目立っていることに気付いていない。

いつのまにか、空を見上げるあいつに他の奴らだって気付き出している。


(ま、俺が1番早かったけどね)







はいつも、人の気配に敏感だ。

あえて自惚れを抜かせば、俺の気配に敏感なのだ。

俺が後ろを通り過ぎると、あいつは決まって振り返る。
もう、なんつーか自然に。
条件反射的な当たり前さで。

ほかに何人後ろを通ろうと、気にも留めない様子で友達と笑っているクセに。

なんで俺には気付く?
スリッパか?スリッパうるせーからか?

ためしにそっと足音を忍ばせてみたことがある。
でもやっぱり振り返られた。
なんなんだ。こえーな、なんか。

不思議でしょうがなかったそれすら、いつのまにか当たり前になる。

いつのまにか、通りすがりには目を合わせるのがお決まり。
それはもう、なんつーか条件反射的な当たり前さで。







は、昼休み、購買横の自販機にやって来る。

俺が自販機に百円玉を入れると、駆け寄ってくる足音。
後ろから細い手が伸びて、俺が押そうとしていたボタンを先に押す。

もう今では、自販機の前に立った時、近付く足音が誰だかすぐわかる。
それでも俺は気付かないフリをして、あいつがボタンを押すのを待つ。
あいつはあいつで、それに対する俺の一言を当たり前のように待っている。
今日はなんて言うの?とばかりに。
大喜利か?これ。さすがに、こんなお題、期待に応えられそうにないんすけど。

俺にとって、大事な糖分とカルシウム補給のいちご牛乳。

いつのまにか、学校でいちご牛乳を買う理由は、一つ増えてしまっていた。




そして今日のあいつは、俺が自販機に来るタイミングには間に合わなかったらしい。
いちご牛乳を買い終え、購買で昼飯をみつくろっていると、窓の外の抜けるような青空を見上げながら歩いてくる姿が見えた。

自販機に100円玉を入れるあいつの後ろに回り、押しなれたボタンを先に叩く。
あいつはあいつで、落ちてきたいちご牛乳を拾い、俺を見上げて「わかってるじゃん」とうれしそうに笑う。

いつのまにかあいつも、いちご牛乳の補給に余念がなくなっている。

いつのまにか日常になってしまった小さな出来事。
だからなんだってわけじゃねーけど。
悪かねぇよな。こんなんも。



次はどんな新しい日常が増えていくのか。

いつのまにか



期待しちまってるのは俺の方。