その言葉に、代えて

side新八






覗いた財布の乏しい中身に、立ち止まりかけたケーキ屋の前を何事も無く通り過ぎた。
昨日も今日も、そして明日も仕事の予定は無い。閑古鳥鳴く万事屋の買い物担当としては、食べていくので精一杯だと言うのにケーキなんて贅沢品を買う余裕がどこにあるのか、と、一瞬とは言え血迷いかけた自分の足に問いたい。
10月10日。
今日という日くらい幾分かの贅沢をしてもいいのではという気持ちはもちろんあるものの、現実とは厳しいものだと諦めざるを得ない。
けれど、最低限の食材が入るのみの軽い買い物袋しか持っていないというのに、足取りは何故かさっきから鈍る一方。ふと気付けば頭の中で「何か無いか、何か…」と考え込んでいる自分がいるのだ。何か。お金が無くても、少しくらい喜ばせられるような、何か。

未だ思いもつかない『何か』を求めて町のあちこちに目を走らせながら歩いていると、向かい側の通り。風に揺れる馴染んだ銀色が、ふと視界に入った。
こちらにはまるで気付いていないらしい白い着物の背中は、派手な色のネオンがちらつくガラス戸の前で立ち止まる。
…パチンコ屋。
背中を丸めてガラス越しに中の様子を窺った後、彼はためらいの無い足取りでその中へと消えて行った。開いた自動ドアから一瞬漏れる、騒音にも近い賑やかな音楽。ポカンと開いた口が、しばし閉じてくれそうにない。

こっちが…こっちが残り少ない生活費のやり繰りに頭を悩ませながら、それでも何か祝いをと考えているというのに…パチンコとはなんだァァァ!!

一気にやる気が失せた。祝いなんて無し無し。バカバカしい。パチンコの成果で大好きな糖分でも仕入れて一人祝いすればいいのだ。まぁ、勝てればの話ですけど。

傾きかけた陽に伸びる自分の影。それを追って歩く草履の足音は、怒りというよりは呆れにも似た寂しさを主張するように静かだった。通りかかった小さな公園に方向転換すると、溜息と共に木のベンチに腰掛ける。
今からパチンコならどうせ帰りは遅いのだろうし、神楽ちゃんも午後から出掛けている。今万事屋に帰っても一人なわけだ。少しくらいのんびりしていても何の問題も無い。

見上げた空には、細い紫雲が茜を留めるようにゆったりと伸びている。陽が落ちるのが、いつの間にかこんなにも早くなった。暗くなるのも、きっと、もうすぐ。ブランコに乗っていた子どもたちも、誰からともなく呼び掛け合いながら夕暮れの町へと散り始める。誰かが待つ、それぞれの家へと。




「おう、新八君。何してんだ?こんなトコで」

聞き覚えのある声がして振り返った。声の主は公園の入口からこちらへと歩み寄って来る。

「長谷川さん」
「いやぁ〜新八君。ちょっと見てコレ。俺、とうとうツキが回ってきたかもしれねーよ。すげーんだぜ。大勝ちだよ、大勝ち」

気持ち悪いくらいに頬を緩ませながら長谷川さんは、両手に抱えた紙袋を自慢げに示す。中にはこれでもかという程に菓子やら日用品やらが詰まっていた。

「パチンコですか?」
「そーそー。いや〜、やっぱマジメに朝一から並んどくもんだね。目当ての台ゲットしたら、あっという間に絶好調だよ?俺の人生のツキはこれから巡って来るのかもしれねェなァ、もしかしたら」
「あれ?パチンコ屋なら、うちの大将見ませんでした?さっき入ってくの見たんですけど」
「銀さん?来たけど、人の勝ち分からチョコレートやら菓子やら奪うだけ奪って帰ってったけど?ついさっき店の前で別れたばかりよ」
「え?帰った?」
「なんか最近糖分足りてねーからよこせ、とか言ってさァ。俺の玉一箱やるから隣で打ってけって誘ったんだけど『今日は帰っとくわ』なんつって、さっさといなくなったけど?何かあんのかね、今日」

その言葉に、固まった。何かあるのか、って。あるとしたら、それは一つで。

「ま、銀さんはいいよなァ。別に何も無くったって、帰りゃ、おめーらみてーに迎えてくれる奴がいんだからよォ」

空を仰ぎながらしみじみつぶやいた長谷川さんの言葉を、最後まで聞く余裕は無かった。考えるよりも先に、足は走り出していた。
走れば間に合う。さっき帰ったばかりなら、きっとまだ先回りできる。
全速力で家へと向かうこの足の理由なんて、自分にもよくはわからないけれど。
ケーキが無くてもいい。ご馳走が無くてもいい。でも、せめて。彼が空っぽの万事屋に帰る事だけは。せめて今日は、それだけは避けなくてはと。ただ漠然とそう思った。

人の多い通りを避け、店と店の間の路地を無理矢理駆け抜ける。軋む階段を一段飛ばしに上がると、万事屋到着。引き戸を開けて倒れ込んだ玄関には、まだ誰の靴も無かった。よかった、間に合った。
その時、背後で閉じたはずの引き戸が再び乱暴に開く音がした。てっきり銀さんだと思い振り返った先で、その予想は外れる。

「神楽ちゃん?」

そこには、まるで自分と同じように全速力で帰ってきましたとでも言わんばかりの神楽ちゃんが、膝に両手を付き、息を切らしていた。

「何?どうしたの?そんなに慌てて」
「…新八こそ何してるネ。汗だくでキモイアル」

互いに顔を見合わせ、そして黙る。理由をはっきり言いたくないのは、どうやらお互いらしい。なんとなく、口元が緩んだ。釣られるように神楽ちゃんも笑った。
そんな2人の背後でもう一度、引き戸が開く音がした。今度は外れる事の無い予想。万事屋の大将のお帰りだ。

今日が何の日であろうと。何一つ、特別なものが無かろうと。
額に汗して玄関に集合している僕らを怪訝そうに見下ろす彼に、言うべき言葉は決まっている。「銀さん」「銀ちゃん」。2人同時に、口を開いた。



「おめでとう」の言葉は、そっと心の中でだけつぶやいて。
特別でもなんでもない、いつも通りの言葉に代えて彼を迎える。
きっと、何より必要な言葉を。
これからも幾度と無く、繰り返されると信じている言葉を。








その言葉に、代えて

side神楽






家路に着く子どもたちの声を背中で聞きながら、しゃがみ込んだ草むらの中で空を見上げた。
いつの間にか陽は消え入りそうに傾いている。下ばかり見ていたから、まるで気付かなかった。そろそろ帰らないとお腹も空いてきた。けれど。
すっかり人気の無くなった公園の一角で立ち上がり、周囲を見渡した。向こうの草むらはさっき探したし、すべり台の下だって見てみた。なのに求めるものは何一つ見つかってくれそうになかった。


誕生日と言えば、ケーキにご馳走、プレゼント。それが定番。
そう教えてくれたのは、公園の遊び仲間たちだった。
そんな話を聞くまでは、正直、今日という日に何の計画も無かった。けれど『定番』とまで言われては…引き下がれないではないか。
ケーキは万事屋のパシリである新八に任せておけばいい。ご馳走なら、お米がまだまだたくさんあった。あれで十分。けれど、プレゼントは?プレゼントなんて気の利いたもの、新八が気付くわけないネ。名案だと思った考えは、すぐに行き詰ることとなる。じゃあ、何を?
ふと目に入った公園の小さな花壇。整然と並んだ色鮮やかな花たちは、とても簡単に手に入れられるものだった。歩み寄り、手を伸ばそうとしたが、いつかも同じ事をしようとして言われた言葉を思い出した。『バカヤロー。これァ取っちゃいけねーもんなの』。なんで?と尋ねると彼は白髪頭を掻きながら事も無げに、『人の苦労横から掻っ攫うような真似するより、てめーで汗水垂らして手に入れた方がなんかかっけー感じすんだろ?』と言った。そう、そんなかっこ悪い真似、自分はしない。だからそのまま公園の片隅へと走り、草むらの中を覗き込んだ。あるのは色気の欠片も無い雑草ばかり。そして、そのまま、華やかげなものは何一つ見つけられないまま、今に至るのだ。




「おう、激辛嬢ちゃんじゃねェの。お前さんまで何してんだ?んなトコしゃがみ込んで」

不意に聞き覚えのある声が背後から掛けられ、振り返る。見慣れたサングラスがこちらを見下ろしている。

「マダオは人の心配より自分の人生の心配が先ネ」

言い返すと彼は非常に傷付いたような顔をして、うな垂れる。が、それでもめげずに話を続け出す。さすが、マダオ。

「さっき、あっちの方のベンチに新八君もいたけど。一緒だったんじゃねーの?」
「新八いたアルか?ケーキ持ってたアルか?」
「ケーキぃ?いやぁ…軽そーな買い物袋しか持ってなかった気ィするけどなぁ。おめーらんトコは相変わらず景気が悪ィなァ。見てよ?俺のこの景気の良さ。俺ァとうとうツキが回ってきちゃって…」
「…」

ケーキは任せたと思ったのに。どこまで行っても使えないメガネアル。
ここはやはり、自分が頑張るより他無いらしい。
誇らしげに両手に抱えた紙袋の経緯を語るマダオに背を向け、雑草を掻き分ける手を再び動かした。だが一向に立ち去る様子の無いマダオが、途切れた会話を再び続かせる。

「嬢ちゃんもよォ、今日は早く帰った方いーんじゃねーのか?」
「今大忙しのてんてこまいネ。余計なお世話アル。命が惜しけりゃありったけ酢昆布置いてさっさと帰れヨ」
「いやいや…なんでアンタらは人の景品を当然のように奪おうとするわけ?…ていうかなァ、銀さんもさっき帰ったとこだし…新八君も今、全速力で帰ってったからよォ」
「銀ちゃんと新八が?」

つい反応して振り返ると、彼はニヤリと物知り顔で口元に笑みを浮かべた。

「ま、こんな俺だから言える事だが、さっさと帰んなきゃと思う家があるっつーくらい幸せなこたァねーやな。俺なんか帰っても一人ぼっちだと思うと帰る気しねーもんな。パチンコ勝っても泣けてくらァ」
「…」

さぁて寂しいオッサンは飲みにでも行くとすっかね、なんてベンチに腰掛け、煙草に火を付けるマダオに背を向けた。

「…帰るアル」
「おお。銀さんによろしくな」


公園の入口を出て。そして、走り出した。全速力。いつもの道を駆け抜け、茶屋の脇から屋根へと上り、酒屋の屋根へと飛び移る。目指す場所へと、間に合うように。早く、早く。
階段を駆け上って玄関を勢いよく開いた。そこに見慣れたブーツはまだ無かった。けれど、代わりに。

「神楽ちゃん?」

そこには、まるで自分と同じように全速力で帰ってきましたとでも言わんばかりの新八が、草履も脱がぬまま倒れ込んで息を切らしていた。

「何?どうしたの?そんなに慌てて」
「…新八こそ何してるネ。汗だくでキモイアル」

互いに顔を見合わせ、そして黙る。理由をはっきり言いたくないのは、どうやらお互いらしい。おかしそうに口元を緩ませた新八に釣られて、なんだか笑えてしまう。
そんな2人の背後でもう一度、引き戸が開く音がした。今度は外れる事の無い予想。万事屋の大将のお帰りネ。

今日が何の日であろうと。結局手ぶらで帰ってきてしまったことに今気付こうと。
額に汗して玄関に集合している自分たちを怪訝そうに見下ろす彼に、言うべき言葉は決まっている。「銀さん」「銀ちゃん」。2人同時に、口を開いた。



「おめでとう」の言葉は、そっと心の中でだけつぶやいて。
特別でもなんでもない、いつも通りの言葉に代えて彼を迎える。
きっと、何より必要な言葉を。
これからも幾度と無く、繰り返されると信じている言葉を。








その言葉に、代えて

side銀時






長谷川さんから奪ったチョコレートを手に、万事屋の階段を上る。
最近どうにも不足している糖分を求めてアテも無いまま外に出たが、運が良かった。あのマダオが大勝ちしてる場面に遭遇するとは。まぁちょっとばかりのツキの良さは何倍もの悪運になって返ってくるのがマダオだから、巻き込まれないためにも当分近寄らないに限る。
それにしても、今更ながらに感じる若干の名残惜しさ。
長谷川さんが玉分けてくれるなんざ、次は何十年後になるかわからない。
そういえば新八は買い物に出ていたし、神楽だって遊びに行くと出掛けたきりだ。何も急いで帰ってくる必要など無かったではないか。
やっぱ、もったいねーことしたかも。溜息混じりに夕暮れ時の薄暗い万事屋の戸を横に滑らせる。だが、中へ入ろうとした足は、踏み出す前に止まった。
そこには。
何故か肩で息をし、靴も脱がずに玄関でへたり込んでいる新八と神楽がいた。

…何してんの、コイツら。

「銀さん!」
「銀ちゃん!」

尋ねるより先に、2人から揃って声が上がった。はぁ?急な事にこちらとしても素っ頓狂な声が出る。

「 「おかえりなさい!」 」

2人同時に発せられた言葉に、今度は声が出なかった。
今の状況と2人の様子から、そこに至るまでの何かが、ものすごく漠然とではあるが感じられたような気がして。だからこそ、ツッコミを入れるのは後回し。まずは言うべきことがある。

「…おう、けーったぞ」

答えると、2人は汗だくのまま笑った。なんだ、そりゃ。後回しにしていたツッコミを入れる自分の口も、何だか笑えていた。祝いの台詞なんざまるで言いやがらない可愛げの無ぇコイツらの、特別でも何でも無いその言葉が、「おめでとう」に聞こえる自分が何より一番おかしかった。




なんてことない「ただいま」と。なんてことなく返される「おかえり」が。
これからも幾度と無く繰り返されればいい、だなんて。

一体いつから、そんなめでてェ事を思うようになっちまんたんだかね、俺ァよ。













銀さん、Happy Birthday!!!
誕生日おめでとうー!!!

昨年に引き続き万事屋には、意地でも口では「おめでとう」と言わせないでみたり。
だって言いそうにないよなぁ…って思っちゃうんですよ、あの3人見てると。
「口には出さずとも…」感がたまらんのです。万事屋と言えばサイコー。
銀さんには、新八と神楽がいる事が一番めでたいですよねv
本当におめでとう!銀さん!