チョークの5文字
「銀八ィ。おんし、そういやぁ今日誕生日じゃなかか?」 朝の職員室。 マグカップに注いだコーヒーに2本目のスティックシュガーを入れていた時、背後から馴染んだ声がそう言った。 「ああ…そーいやそうね。つか、脳みそスッカスカのクセによく覚えてんね、誕生日」 「当たり前じゃ。わしゃあ友達の記念日を忘れるような薄情な男じゃないぜよ、金時」 「いや、名前間違えてんのが何より一番薄情だから。つーかお前、1発目の台詞でちゃんと『銀八』っつってんじゃん。何、そのわざとらしい間違え方。いい加減俺もツッコむのめんどくせーんだけど」 「今回の誕生日企画にはホスト金さんネタもあると聞いちょるからのう。1行目から『金時』呼びしてしもーたら読者様が混乱するじゃろうと思ったわしなりの配慮じゃきー」 「んな別次元での配慮をする前に俺への配慮をしろやァァ!」 そんな、いつもと変わらぬ一連のやり取りを交わしていると「朝っぱらからうるせーなーアンタら」と、同じくコーヒーを注ぎにやって来たらしい服部が割って入ってくる。 「るせーな。そのダメなケツにスティックシュガー刺してやろーか。何本いけるか限界に挑んでやろうかコノヤロー」 「1本たりとも入れられてたまるかァァ!てめー痔ィ舐めてっといつか痔に泣くぞ!」 結局、朝の職員室の『お茶コーナー』はいつものメンバーによるいつもの騒ぎとなり、他の教師陣に迷惑顔で睨まれる羽目となる。スンマセン、と3人揃って隅に寄り、壁にもたれた。ミルクをたっぷり入れたコーヒーを啜り一息つくと、湯飲みになみなみと緑茶を注いだ辰馬が隣に並んだ。その隣にはブラックコーヒーを啜る痔持ちが。 「どうじゃ、銀八。今日は誕生日じゃし、なんぞ生徒からサプライズでもあるかと実はドキドキしちょるんじゃなかか?」 「はぁ?んなわけねーだろ。この高校のどこにんなかわいらしー生徒共がいるっつーんだよ」 「いや、そういや俺も8月の誕生日ん時、朝教室入ったら皆してバースデーソング合唱してくれたなァ」 「え、マジで?あんの?そんな青春ドラマみてーな事」 「おお、わしも去年の誕生日にはクラス一同から、ゆーてプレゼントもろうたのー」 「マジで!?」 「ま、アイツらなりに意外と気ィ遣ってくれるもんらしーぜ。だからお前んとこも…」 「いや、うちはねーな」 ハッキリとキッパリと、そう答えた。かなりの自信を持って。 「おめーらもわかんだろ?うちのバカ共ん中に一人としてんな事に気ィ付くよーな奴いると思う?どいつもこいつもてめーの事でいっぱいいっぱいだっつーの」 「ああ…まぁZ組は、なァ」 「…ま、そうじゃの。Z組じゃしのー」 さっきまでとは打って変わって、あっさりと認める2人。担任ではないにしろ、この2人だってZ組の授業を受け持っているのだ。奴らの生態なんぞ、手に取るようにわかっているのだろう。 「ま、誕生日なんぞそうめでたいモンでもないがやき気にしなや、金時ィ!アハハハハ!」 「そーだそーだ!ま、俺たちが気付いてやっただけでもありがてーと思わねぇとな!」 「何ソレ?フォローのつもり?なんか逆にイラッとくんだけど。いらねーんだけど、そーいう感じ」 まぁまぁ、と適当に流しながら、2人は自席に戻って行った。 誕生日、ねェ。 別に誰が知ってよーが知らなかろーが。祝われようが祝われなかろうが。俺には関係ねーっての。 6時間目終了。 そして帰りのショートホームルームも、何事も無く終了。 「起立、礼」 さようならー。 いつもと変わらぬ元気だけは良い挨拶が教室に響く。 帰り支度を始め出す生徒たちをぐるり見渡して、沈黙5秒。そして、深く深く溜息をついた。 「…おめーらよォォォ」 教卓に両手を付き、つい下がった頭のまま一言そう吐き出すと、気付いた生徒達がこちらを不思議そうに振り返った。 「…え?なんですか?先生。『おめーら』なんですか?」 不審げに尋ねてくる新八。周囲もカバンを持とうとしていた手を止める。 「いや、なんつーの?期待はしてねーよ?これっぽっちも期待なんかしてねーし?わかってたし?けどよォ、もしかしたら、とか思うじゃん。俺的にも一応こうして放課後までは待ってみたりするわけじゃん。そういう1日って長かったりするじゃん」 「…いや、あの、え?銀八先生、一体何の話してるんですか?」 「なんか悪いモンでも拾い食いしたアルか。もしかして私が先週校庭で落とした酢昆布拾って食べたアルか」 「いよいよ、脳みそにまで糖が回ったんじゃねーの」 「あー、土方さんの脳みそがマヨでヤラれちまってるみてーにですかィ」 「うるせェ。マヨは心を満たすものであって脳みそを冒したりはしねーんだよ」 ああだこうだと目まぐるしく変わる話題。ついには起こり出す争い。 うん、やっぱり朝言った通り。俺の読みは外れていなかった。こいつらが人の誕生日なんつーもんに気付き、尚且つ祝ってやろうなんて気遣いの出来る思考回路を持っているわけがないのだ。 「いや、いいや、もう。つーことで撤収ー」 「ええ!?何すか!?なんかあるなら言って下さいよ!なんかスゴイ気持ち悪いんですけど!」 「ああー?じゃあアレな。明日の国語、マラソンしながら慣用句で山手線ゲームな」 「何ですかソレェェ!今の話題にも国語の授業にもまるで関係無いじゃないですかソレェェ!無駄に難易度たけーし!」 「るせーな。気分だよ、俺の。悪ィかコノヤロー」 尚も口を尖らせ文句を言うZ組の面々に背を向けて、教室を出た。 ちょうど同じタイミングで廊下を通りかかった辰馬と目が合う。奴は人の顔を見るなり「ま、気ィ落としなやー」と勝手な解釈と共に高笑いを始めたので、思い切りケツを蹴り上げておいた。 放課後。 人気の無い廊下を、Z組の教室目指して歩く。 本日の日直である新八から、日誌が届かなかったのだ。個人的には別に届こうが届くまいがどうでも良いことなのだが、ごくたまに校長が抜き打ちで学級日誌をチェックしにやって来る。その時に担任からの一言やら印鑑やらが抜けていると、ネチネチしつこく言われる事になるわけで。それもまた面倒なのだ。 手間掛けさせやがって新八の奴。明日両手と頭の上にバケツ持たせて昔の漫画のように廊下に立たせてやる。 頭の中でひたすらにボヤきながら、到着したZ組の戸を引いた。空の教室には西日が差し込み、静かに並ぶ机の影が足元まで伸びている。 求めるものは探すまでもなく、教卓の上に堂々と載せられていた。なんでこんなトコに置いといて届けんの忘れるかね。歩み寄ってそれを手に取ろうとした時、ふと、ショートホームルーム終了時にはまっさらだったはずの黒板に記された文字が目に入った。 白いチョークの線は黒板をめいっぱいに使って、たった5文字の平仮名を綴っていた。 「…」 ほんと、バカだわ、アイツら。 わかってんなら口で言えや、口でよ。俺が日誌無ェのに気付かなきゃ、明日の朝までこのままだろーが。日誌なんか無くても気付かねーことのが多いんだぞ、自慢じゃねーけど。 よく見ると5つの文字は、一つひとつ筆跡が違うようだった。誰が書いたのかは知らないが、どうやら一人の思いつきではないらしい。 「…ま、口で言われんのもアイツららしくなくて気持ち悪ィやな」 だから、ま、これも有りか。 誰が見ているわけでもないというのに、何となく下を向いて。それから、笑った。 教卓の日誌を拾い上げ、黒板の字はそのままに教室を出る。…が、廊下を数歩行ったところでまた戻る。 白衣のポケットから携帯電話を取り出した。 ロクに使った事の無いカメラを立ち上げ、黒板に向ける。 「…まぁ、なんつーかアレだ。証拠っつーかね。辰馬と服部に同情されたまんまじゃ面白くねーし。うん、それだけだけどね」 誰が聞いているわけでもないというのに。一人口から漏れる言い訳にうんうんと頷きながら。 シャッターを押した画面に並ぶ白い文字を確認した後、初めて使う『保存』のボタンを押した。 見慣れた黒板に無骨に並ぶ、『おめでとう』の5文字を。 |