隙間と実感
[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。 10月10日、0時ちょうどまで、あと15秒。 通話ボタンを押す。耳元で繰り返される呼び出し音。あと5秒。4、3、2で電話が繋がる。受話器の向こうの声が『もしもし』を最後まで言い切る前に、吸い込んだ息を言葉にして一気に吐き出した。 「先生、誕生日おめでとう!」 『…すげ。ジャスト0時』 その少しばかり驚いたような声に、満足。だって、このためにちゃんと15分前からベッドの上に正座して、時計を見ながら待っていたのだから。 そんなあれこれを誇らしげに説明しようとした時、受話器の向こうの話し声に気付いた。初めはテレビだと思っていたその声は、よく聞くと知っている声に思える。あれ、この声って。 『金時ィ!おんし誰と電話しちょるんじゃあ!アハハハハ!』 『坂田てめぇUNOの勝負がまだついてねーぞコラァ!』 『るせーんだよ!てめーら!電話くらい静かにさせろや!』 聞こえるのは銀八先生の他に2つの声。どちらも学校でよく聞く声だ。 「もしかして、坂本先生と服部先生?」 『なんか知らねーけど酒持って乗り込んで来やがったんだよ、うちに。勘弁してほしーわ、マジで』 要は自宅まで誕生日を祝いに押し掛けて来たという事らしい。非常に迷惑げに言う銀八先生だけれど、きっとこの大騒ぎが嫌いじゃないのだろう事もよくわかる。だって何だか、楽しそう。 『お!もしかして彼女じゃろー!どれどれ、わしに代わってみい』 『いーから邪魔すんなっつの…って、オイコラァァ!』 何やら銀八先生の怒鳴り声、そしてガチャガチャと雑音が混じる。 どうしたのかと待っていると、遠くなる銀八先生の声と入れ替わりに別の声が聞こえ出した。 『アハハ!わしじゃ、わしじゃー!なんじゃったらわしがこれから迎えに行っちゃるきに、一緒にバースデーパーチー…うっ!』 1人笑いながらしゃべりまくる坂本先生の声が途中でうめき声と共に途切れた。 『オイ!ズリーぞ!次俺に変われ!俺!』 『うるせーっつってんだ、酔っ払い共。てめーはまずそのウゼェ前髪切ってから出直して来い』 そんなやり取りと共に、何やらカタカタと物音が聞こえた。続いて、これは恐らく…足音。そのバックには『逃げるのか!』という服部先生の叫び声が響いている。 「…先生?」 『おう、ワリ。アイツらうるせーから今ちょい外出て来た』 ようやくキチンと耳に届いた先生の声。 「電話、まずかったかな?ごめんね、急に」 『ああ?いーんだっつの。まずいのはアイツらの頭ん中だから』 「楽しそうだね。誕生日パーティー」 『あんなもんパーチーでもなんでもねーよ。ただてめーらが飲みてーだけなの、アイツらは』 そうは言いながらも、十分楽しんでるくせに。そう思うと何だかおかしい。口には出さないけれど。 「ねぇ、先生」 『ああ?』 「卒業したら私もそのパーチー、仲間に入れるかな?」 そんな風に一番近くで先生の誕生日を祝える坂本先生や服部先生がうらやましくて、つい聞いてみる。すると、バーカ、とぶっきらぼうな答えが返ってきた。 『お前が来んならアホ共は追い帰すに決まってんだろーが。なんで邪魔されにゃならねーのよ』 「…」 じゃあ来年の今頃は、2人で過ごしていられるのだろうか。そうだといいなぁ。そんな幸せな想像に、ただ嬉しくて。返す言葉を無くしてしまう。 『アイツら多分今日帰りそーにねェからよ。お前はとっとと寝とけよ』 「うん」 『じゃーな』 「先生?」 『あー?』 「…おめでとう」 もう一度、言いたかった言葉を改めて。心から、伝えた。しばし黙った先生の代わりに、微かな風の音が受話器にぶつかる。 『…も、めでたかねーけどな。トシもトシだし』 「めでたいよ」 『そうかねェ』 「だって先生が生まれた日だし。それって、なんていうか…すごく、すごい事だし」 言いたい事なら次から次へと溢れて落ちそうな程なのに、表現する術を見つけられない自分がもどかしい。なんと言えば伝わるのだろう。自分はこんなにも、先生が今ここにいてくれる事がめでたくて幸せで仕方ないのだけれど。先生にも同じく思ってもらうには、どうしたら良いのだろう。『めでたい』と思ってほしい。先生にも。 言葉が混乱するばかりの自分を他所に、受話器の向こうから小さく吹き出す声が聞こえた。 『国語力、ゼロな』 「…授業マジメに聞いてるよ?」 『知ってる』 「…」 『ま、でも、そーかもしんねーな』 「え?」 『こんな電話もらっちまってるし?』 「うん」 『うるさくてしゃーねーけど、飲み相手もいるわけだし?』 「うん」 『めでてェ、ってこーゆー事だわな』 「…うん」 そして受話器の向こうに流れた沈黙は、心の深く深くを震わせた。それは幸せな沈黙だから。この会話の隙間が、先生が今日を『めでたい』と実感するための隙間なら、こんな幸せな空白は無いから。 『じゃ、戻るとするわ』 その沈黙はどのくらいだったのか。とても長かったように感じたけれど、本当はほんの僅かな間だったのかもしれない。「じゃあな」ともう一度言う銀八先生に、「おやすみなさい」と答えた。途切れる通話。けれど、その向こうに、まだ先生の気配が残っているような気がして。少しの間、受話器から耳を離すことができなかった。 と、急に、耳に当てたままの電話が着信音と共に震えたから、飛び上がるほど驚いた。 メール着信。 あ、銀八先生。 『つーことだから明日二日酔い予定。朝一、ツボ押しに来るよーに』 メールには、そんなメッセージ。 もちろん、行くよ。 いちご牛乳を持って、二日酔いに効くという掌のツボ押しに。 そしてもう一度、顔を見て、「おめでとう」と言うために。 明日は教室よりも先に、国語科準備室に飛んで行くから。 隣では過ごせない、誕生日のジャスト0時。 きっとこれも同じ。 明日の朝と、来年の誕生日を待つための、幸せな隙間なんだ。 |