学校祭「朝」
いつもどおりの眠い朝。 いつもどおりの通学路。 けれど見慣れた校舎に一歩足を踏み入れれば、ポスターやら看板やらであちこち派手に装飾された廊下が、今日はいつもと少し違うことを告げてくる。 普段は整然と並んだ教室の机や椅子も昨夜のうちにすっかり並び方を変えられて、お客様を迎える準備は万端。 でも、まずはその前に。 やる気ゼロの表情で、ただ1人まるでいつも通りにやって来るだろう、我らが担任をお出迎えしなくちゃね。 騒がしい3年Z組の前の引き戸が、ガラガラと開けられた。 ただそれだけの音すら面倒くさそうに聞こえてしまうのは、なんていうか…先入観なんだろうか。 いつも通りの席が無いから立ったまま朝のホームルームを待っていた私たちを見て、教室に足を踏み入れた銀八先生の顔が、より一層面倒くさそうになった。 それは当然の反応で、私たちとしては期待通りの反応でもある。 何故なら今日の私たちの服装は、下こそ制服のズボンやスカートのままだけれど…それ以外は。 ワイシャツの襟元に、だらりと緩めたネクタイ。 揃いの白衣に、揃いのずり落ちメガネ。 そう、Z組生徒一同、いわゆる銀八スタイル≠ナ銀八先生をお迎えしたわけなのだ。 プロデューサーである銀八先生には、黙って用意して。 先生の第一声を期待を込めて待つ私たちにかけられた言葉は。 「え〜…。ホームルームを始める」 「えええ?!放置ですか?!」 少しの沈黙はあったものの、あくまで普段通り進行しようとする銀八先生。 先生のツッコミを待っていたはずが、結局、新八君が先生にツッコんでしまう羽目となる。 「え〜と…やっぱり俺がツッコまなきゃならねー感じになってんの?ソレ」 「わかってるなら何か言いましょうよ」 結局Z組のクラス企画は、喫茶店的なモノで行こうと決まったわけなんだけれど。 普通にやっても面白くないし。 メイドになったり、ヌイグルミを着たりするような模擬店は、当然他クラスでも企画されていて。 何かもっと、Z組らしさを表現できないか?と追求した結果。 …こうなった、と。 誰がどう見ても、「あ、3Zだ」ってわかるのは、この格好でスイーツ出すのが一番だもんね。 …もう1つ。衣装の準備に手間がかからない、というのも、時間の無い私たちにとっては大きな理由だったんだけれど。 「まぁ、なんかもうツッコむのダリーし。なんでもいいけどよ。とりあえず、おめーら、めんどくせーから問題は起こすんじゃねーぞ」 「先生!問題って何アルか?殺人事件アルか?殺ゴリラ事件アルか?」 「殺ゴリラなら、行き過ぎたストーカーで恨みを買ったと簡単に理由が割れるから大した問題じゃねぇよ」 勢いよく挙手した神楽ちゃんの質問に真顔で答える銀八先生。 それに対し、今度は近藤君の手が挙がる。 「先生!ゴリラは『森の賢者』とも呼ばれているんです!尊敬されても恨みを買うようなことはありません!」 「よし、わかった、賢者。森に帰れ」 あっさりと近藤君を受け流した後、「そーじゃなくてよ」と銀八先生はタバコの煙を吐き出す。 「なんか、あんだろーが。他校の不良とモメるとか、学祭的な面倒事がよォ」 「いや、先生。そんなベタな。ナイですよ、今時」 新八君が笑う。 「おめーらみてぇに学祭だからって浮かれてる奴ァ、なんかやらかすモンなんだよ。俺に面倒かけたら、うちのクラス即撤収で漢字ドリル100ページな」 えええ?! 学校祭なのに? なんでドリル?!小学生? 銀八先生が突然課してきたペナルティに、教室が驚きと不満でざわめく。 「んな罰、必要ねぇすよ、先生。俺たち風紀委員がついてて問題なんか起きるわけないじゃないすか」 そのざわめきを落ち着かせるように、土方君が自信たっぷりに言い切った。 「そうでさァ。いざとなったらクラスに代わって土方さんが人生から撤収するんで心配いりやせんぜィ」 「オイ総悟、てめぇ。ソレ遠まわしに『死ね』って言ってやがるだろ」 「じゃあ、より直接的に言いまさァ。土方、死ねコノヤロー」 「よぉぉぉし!てめーが死んどけやぁぁ!」 …と、他校生がどうのこうのの前に、クラス内ですでに争いが巻き起こっているわけなんだけど。 みんな、慣れたもので。 止めるでもなく、巻き込まれない位置に避けただけ。 「ま、学祭撤収でも土方撤収でも俺ァどっちでもいーけどよ。そこんとこ頼むわ」 銀八先生は投げ遣りにそう言って、サンダルの音をたてながら教室を出ようとする。 が、戸に手をかけたところで立ち止まった。 「ー」 え?私? 「はいっ」 「準備室」 たった一言そう私に告げて、銀八先生は教室を出て行った。 何だろう。 いつも私から準備室に通ってしまっているせいもあるけれど、先生から呼び出しがかかることなんて、滅多に無いから。 …私、何かしたっけ? 「失礼しまーす…」 準備室の建て付け悪い戸を出来るだけ静かにすべらせて、中を覗いた。 窓際に立っていた銀八先生が、私を見て、黙ったまま手招きをする。 若干、不機嫌そうな顔。 戸を閉めて、何がなんだかわからないけれど、とりあえず指示通り側へ。 怖々と見上げた私の首元に、目の前に立つ先生の手が伸びる。 「んな正確に仮装する必要ねーっつーの」 そう言うと先生は、2つ目まで開いていた私のシャツのボタンを、面白くなさげに1つしめた。 「だって先生、2つ開いてる」 「俺ァいーんだよ。お前はダメだ」 そんな、どこかのガキ大将みたいなこと言って。 つーかお前下手だな、と言いながら私のネクタイをほどいて締め直す先生の顔を見ていたら、なんだかおかしいような、うれしいような。 だって、このための呼び出しだったんだよね? 「あんまり隙見せてんじゃねーぞ。さらわれても知らねーぞ」 「大丈夫だよ」 「どうだかねェ」 先生はため息をつきながら、白衣のポケットからタバコを取り出した。 「プロデューサー、うちのクラスちゃんと見に来てね?」 「いんじゃね?別に。俺いなくても問題ねーって。おめーらならプロデューサーから独立しても芸能界で生き残っていけるって」 「今日ね、私、パフェ作り担当なの。だから、先生に食べに来てほしいなぁ、って」 自分から立候補したパフェ担当。 先生の好きなもの、作りたかったから。 そう。動機は呆れるほど不純。 食べてほしいのは不特定多数のお客様じゃなくて、たった一人。 先生が、眉間にシワを寄せて私を見た。 「…なんでおめーは、んな、行きたくなるような理由をわざわざ作りやがんだよ」 ぶっきらぼうな言い方でも、最高にうれしい返事。 それは銀八先生流の、来てくれる、という返事だから。 「じゃあ、待ってるね」 準備室を出ようとした私の背中に 「あ」と、銀八先生の声がかかった。 振り返った私に先生は、「ちょ、ソレ脱げ」と顎で示す。 どうやら私の着ている白衣のことを言っているらしい。 「なに?」 よくわからないけれど、とりあえず脱ぎながら聞いてみる。 先生は、壁のハンガーにかかった自分の白衣…今着ているのとは別の、洗い替え用の白衣を下ろして私の肩にかけた。 「正確に仮装すんなら、こっちのが良くね?」 「…コレ、着ていいの?」 どうしよう。 なんだか、今すごく、自分が特別だと言われたような気がしてしまった。 微かにタバコの香りがする先生の白衣。 着こんで少しよれた先生の白衣。 腕を通すと、大きくてブカブカで、指先しか見えなくなってしまう。 でも他の誰も着ていない。用意された衣装じゃなくて本物。 私だけ。私と、先生だけ。 「でけーな、オイ」とか言いながら、先生は私が着た白衣の袖を折る。 そして、私をしげしげと眺めて。 「…俺の女を主張するには地味だな、やっぱ」と顎をさすりながら言った。 主張なんか、いらないのに。 私がどれだけ先生バカか、知っているくせに。 うれしくて頬が緩むのを、もう抑えられそうにない。 「そんな予想以上にうれしそーな顔してっと他校の不良より先にさらっちまいますけど」 「え」 真顔で言われたから、ちょっと慌てた。 だって学校祭になんの未練もない先生ならやりかねないから。 だからと言って、さらわれたいような気もしてしまう自分も自分。 「いや、だから。考えてることダダ漏れね、お前」 先生が少し笑って、私の頭を軽く叩いた。 …スピーカーでも付いてるんだろうか。私の頭。 先生は、学校祭なんて嫌いなくせに。 私の学校祭は結局先生が特別にしちゃうんだから、おかしいよね。 だってコレで私はもう、誰よりも今日1日を幸せに過ごせる自信があるし。 始まる前からすでにお祭みたいにはしゃいだ気持ちで。 先生にも少しでも、楽しかったと思ってもらえるといいなって。 ていうか、思ってもらうぞ、と。 ブカブカの白衣で教室へと戻る廊下。 1人心でつぶやいた、学校祭の朝の決意表明。 |