学校祭「3日前」
窓の外はもうすっかり夜色に染まって、三日月の空。 校庭をぼんやり照らす外灯に体をぶつけながら、夏の名残の虫たちが羽ばたいている。 けれど、教室の中はいつまでも蛍光灯が同じ色に照らしていて、いつまでも授業中と変わらずに騒がしくて。 時間なんて、忘れてしまいそうだ。 …いや。その表現は控えめ過ぎるかな。 忘れている。 間違いなく。みんな。 学校祭まであと3日。 案の定、企画の決定にどのクラスよりも時間を要した3年Z組は、今頃になって準備に焦り出している。 普通は早くから計画的に準備するだろうから、こんな時期にまで慌てる必要はないんだろうけど。 そこはソレ。…3Zだし。 大体準備だって、この面々で無駄なくスピーディーに進行するわけがなく。 焦っていると言っても、実際焦ってるの僕だけじゃない?とか、いじけた事を思ってしまわないでもなく。 もちろん担任に、クラスの状況を見て指導する気などまるでなく。 それどころか。 「オイお前ら。居残りまでして、ちょっとした青春アスリートですか?駆け続けて1ページと言わず2、3ページ青春刻んじゃう気ですか?コノヤロー」 顔を出したと思ったら、コレだ。 「銀八先生…もうちょっと待ってくれませんか。あと3日しかないんですから」 僕の言葉に顔をしかめて、 「おめーら帰らねーと俺が帰れねーんだよ。いいから諦めろよ、もう」 とか、教師にあるまじき台詞を吐く。 「大体よォ、進みがワリーのはてめーらが相変わらずバカだからであって、俺ァ被害者だろーがよ」 そう言われると…まぁ、言葉を返しにくいわけなんだけど。 たしかに今も、こんな会話をしている僕と銀八先生の後ろでは。 看板用に用意した木材片手に「オイ、誰かノコギリ…」と言いかけた土方君の足元に、「ハーイ、どうぞー」と軽い口調の沖田君がノコギリを振り下ろし。 そんな企画一切無いのに、個人的に準備したらしいミニ丈のメイド服を手にした近藤君が、「お妙さん!衣装は僕が用意しましたので、ぜひ試着を…」まで言ったところで姉上が投げた机に潰されているし。 なんでか知らないけれど、差し入れのおはぎを持って現れたエリザベスと一緒に、桂君は窓際に正座してお茶啜ってるし。 協力し合って一生懸命準備しています、だからもう少し時間を下さい。 …とは間違っても主張できない、そんな状態。 「先生、もうちょっとだけダメ?」 ちゃんも一緒に先生に言ってはくれるんだけど。 「いや、お前コレ、もうちょっとやったところで、より一層バトルロワ度が高まるだけだろ」 と的確に見抜かれてしまった。 「オラ、おめーらとっとと帰れ。悪いこた言わねぇ。学祭のこたァ忘れろ。アイツなら1人ででも立派にやっていけるさ」 「いや、なんの別れ話?!」 ああ、コレは明日からもっと早い時間に「帰れ」って言われそうだな。 まだ何も進んでいないのに。 せめて銀八先生にもうちょっとやる気があれば、クラスももう少しまとまると思うんだけど。 僕が1人苦悩していると、教室の戸が、軋んだ音を立てて開いた。 「坂田君、ちょっと」 戸の隙間から顔を覗かせて、手招きをしたのは校長先生だった。後ろには教頭先生の姿も見える。 「すんませんね〜。コイツらおっせーから帰れない感じすか?」 えっ、そうなの?! 慌てる僕をよそに、校長先生は「いや、そうじゃなくて」ともう一度銀八先生に手招きをする。 「何すか」 面倒くさそうに、銀八先生は廊下へ。 心配そうに見送るちゃん。 僕らもなんとなく、気になって。 それぞれ、戸や壁に耳をくっつけて廊下の声に集中した。 「あのね、坂田君。まぁ、ちょっとした噂なんだけどさ」 校長先生のもったいぶった言い回し。 何すか、ともう一度尋ねる銀八先生の低い声が続いた。 「君がね…なんていうか、最近、特定の女生徒と一緒に下校しているってゆー噂を小耳にしたんだけど。どういう事?」 耳を澄ませていたZ組生徒全員が、固まった。 もちろん一番固まったのは、ちゃん。 僕らはもちろん全員知っている。 学校祭準備で帰りの遅いここ1週間ばかり、銀八先生がちゃんを家まで送って帰っていること。 バレていたなんて。 しかも、校長先生に。 「どういう事って何がすか?」 銀八先生の声は、相変わらず落ち着き払っていて慌てる様子もない。 でも、ヤバイんじゃないのかな。 この状況。 「何が、って…。マズイよ。特定の女生徒を特別扱いするような行動は。何か教師と生徒にあるまじき関係にあるんじゃないの?と疑われても仕方ないじゃろ。そんな事があれば温厚な余としても、変な噂が立つ前にそれなりの措置を取らねばならなく…」 ああ。やっぱり校長先生はソレが目的なんだ。 予想通りの展開に僕が唇を噛んだ時、 「違います!」 いきなり戸を開けて、廊下に飛び出して行ったのはちゃんだった。 「それは私が銀八先生に無理を言って…」 必死にそう主張するちゃんを、銀八先生が手で制す。 そして、正面から校長先生を見据えた。 「送ってんのは事実すよ。けど、だから何だっつーんすか?」 開き直りとは違う。 ごまかしとも違う。 いつかは、こんな話が出ることも銀八先生は覚悟していたのかもしれない。 そう思えるくらい、きっぱりとした口調だった。 それは、自分のことなんかより、ちゃんを真っ向から護ろうとするように。 そう、聞こえた。 「いや、君ね…」 そんな銀八先生の様子に、校長先生の声も少し変わった。 校長先生が、そもそも銀八先生をあまり快く思っていないのはみんな知っている。 こんな絶好のチャンス、逃すわけがないんだ。 そう思ったら、勝手に体が動いていた。 ちゃんに続いて、僕も廊下に飛び出す。 「校長先生!ちゃんを送ることは、僕らが銀八先生に頼んだんです!」 正直、出たトコ勝負のノープラン。 でも何か言わなければ。そう思ったら出た台詞だった。 「は?君らが?」 突然増えた乱入者に、校長先生はちょっと驚いたように肩をすくめた。 「そうです!ちゃん、家遠いし、帰り遅くなると危ないんで!送ってあげてくれって先生に頼んだんです!」 ちゃんが、目を丸くして僕を見ている。 「そうです、校長先生。か弱い女子が夜遅くに1人なんて危険ですもの」 後ろから、姉上の声が続いた。 「そうアル。んち遅くなるとバスあんまり無いヨ。仕方ないネ」 そして神楽ちゃんが。 「そーそー。ぼーっとしてて危なっかしーしな、コイツ」 土方君も。 「いや、だって、家遠い生徒なんて他にもいるじゃろ。なんで彼女だけ…」 詰め寄るZ組生徒たちに多少たじろぎながらも、校長先生はしぶとく攻撃してくる。が、 「え〜、私は遠いけど、パパが迎えに来てくれるしぃ〜」 あっさりとハム子ちゃんが切り返した。 「学祭準備で遅くなったせいで事件に巻き込まれたりしたら、学校の責任問題にもなるんじゃないですかねィ」 事件とか、責任問題とか。 校長先生が一番弱いだろうポイントを的確に突いてくるあたりは、さすがサド王子沖田君。 さすがの校長先生も、そこまで言われてはツッコミどころに困ったらしく。 「…つーことなんすけど。なんか問題ありますかね」 黙ってしまったトコロに、銀八先生が頭を掻きながらダメ押しした。 「…もういい!なんでもないわ!好きにするがよい!」 苛立たしげにそう吐き捨てて、校長先生は大股に暗い廊下に消えて行った。 ほっとして校長先生の背中を見送っていた僕の視界に、斜め前で微かに震えるちゃんの肩が映った。 「ちゃん?」 僕の呼びかけに振り返ったちゃんの目には、もう、溢れそうに涙がたまっていて。 それでも堪えているらしく、鼻の頭なんか真っ赤で。 「ありがとう〜…」 それだけ言ったらもう我慢の限界だったようで、次から次へと雫が頬をつたってこぼれ落ちた。 怖かったんだ。きっと、すごく。 自分のことよりも、先生がどうなっちゃうかって。 そのことが、何よりも怖かったんだろうな。 あの時、校長先生の前に飛び出して行ったちゃんも、銀八先生と同じ。 真っ向から、護りたいと思っていたんだ。銀八先生を。 そのちゃんの頭をポンポンと銀八先生が優しく叩いた。 そして、 「おめーらその団結力、学祭準備に活かせりゃあ、どのクラスにも負けねー出し物できんのによ」と、小さく笑った。 わかりにくいけれど、それは、先生にしては最大級の感謝の表現だってこと。 僕らはちゃんとわかっている。 「先生。コレ、貸しにしときますからね?」 姉上がにっこりと笑って銀八先生を見る。 「そうですね。明日からは学祭準備、先生にも手伝ってもらえそーですね」 僕が笑うと先生は、はーっと大げさにため息をついた。 そして、 「バカヤロー。俺ァ青春の1ページ作りにあくせく働く気はねーぞ。プロデューサーとしてビシバシいくから。てめーらちゃっちゃと動けよ」 と、うざったそうに言った。 電気の消えた教室を背に、僕らはぞろぞろ廊下を歩く。 準備なんて何一つ進んでいないのに、なんだか一仕事終えたような、清々しい気持ちで。 明日からは、銀八プロデューサーのもと、本格的に準備始めなきゃね。 今だけは、このZ組でなら、なんでもできそうな気がするから。 そんな帰り道。 学校祭まで、あと3日。 + |