9.ただ、それだけ






今日も江戸の空には、冷たい雪が舞う。
冬の低い太陽を柔らかく濁らせて、ゆっくりと街中を包み込みながら。
地面に落ちては消えていく白い欠片は、凍える季節の切なさを増してゆく。



近所のコンビニ帰り、ジャンプ片手にぶらぶら歩いていると、「坂田さん」と声をかけられた。
寒さとは別に、肩がすくむ。
この地獄の番人のような恐ろしー声は。

「…あー。どーも、ヘドロさん。いや、ヘドロ殿下」

店の前で左手を振るヘドロは、今にも右手に持った鉢植え投げつけてきそうな殺気だった顔。
こえーって、相変わらず。
呼び止めんなって。
あいつ、なんでこの凶悪ヅラと毎日働いてられんの?

「お礼を言いたかったんですよ。さんのこと紹介してくれて助かりました。従業員、随分前から募集してたのに何故か誰も来なくて困ってたんですよ」
「いえいえ、滅相もないです。すいません」
ノシノシと歩み寄ってくるヘドロに多少後ずさりしながら手と首を振る。
「よく働いてくれるし、お花にも優しいし。とても助かっていますよ」
「ああ、そっすか。良かったっす。つーかマジすんません」
じゃっ、と踵を返し立ち去ろうとした時、あの、と呼び止められた。
「今日はこれから、さんのお見舞いですか?」
「は?」
「いや、体調が悪くてお休みしたいと今朝電話があったから。もしお見舞いならうちのお花持っていってもらおうと思って」

体調ワリぃ?聞いてねーぞ、そんなの。
つーか、自分から言うわけねェやな、あいつが。

にわかに落ち着かない気持ちになった。
あの頑固ヤロー、マジに調子悪くなきゃ仕事休んだりするような奴じゃねェんだ。

「坂田さん?」
ヘドロの呼び声を背に、俺は走り出していた。




万事屋の玄関を駆け上がり、不思議そうな新八と神楽を尻目に、鍵を引っ掴んでまた外へ飛び出す。
さほど遠くないあいつの家まで、バイクを飛ばす。
向かってくる雪は、視界をさえぎるようにゴーグルの上で溶けては流れた。



あいつがここに来るまで。
あいつとの記憶はいつも、心のどこかに隠れたり顔を出したりしながら、決して消えること無く重くぶらさがり続けていた。

天人の爆撃で、傷だらけになった姿を見た時。
狙った理由は白夜叉の女だから、と天人共の口から聞いた時。
体中の血が沸き立つような怒りに、震えた。

天人に対しての怒りなのか。
自分に対しての怒りなのか。
あるいはその両方か。
わからぬままに、目の前の奴らをただ切り捨てた。

病院のベッドで、包帯だらけになって目を覚ましたあいつが、微かな微笑みと共に発した第一声。

『おかえり、銀時』

おかえり、じゃねんだよ。
俺なんか待ってっから、こんなことになってんだろーが。
恨み言の一つも言いやがれ。
痛い、苦しい、ってのたうち回りやがれ。
なんで何も言わねェ。
なんで笑ってんだ。
バカか、おめーは。

包帯が取れても傷と後遺症は残ると医者から聞いて、一生側にいなければと最初は思った。
戦よりも何よりも。
俺がアイツの足にならなくてどうするってんだ。

けど、そもそも俺が側にいた事がすべての原因なんじゃねぇのか?
結局護りきれやしねぇから、傷つけちまったんじゃねぇのか?
頑なに側にいようとすることだけが、護ることになるとは限らない。

ぐるぐると回るばかりの想いに答えを出したのは、あいつの方だった。

私を、背負おうとは思わないでね。私は、ちゃんと歩けるから。
私は、好きなように歩く銀時が好きなの。
誰かのためじゃなく、自分の魂を自分の手と足で貫く銀時が、好きなの。

そう言って、あいつは、ある日俺の前から姿を消した。
田舎の叔母の所で療養しているらしいと人づてに聞いたのは、しばらく後のこと。

戦が終わった後、会いに行くべきか悩んだ。
けれど、それは、えらく都合のいい事のように思えた。
今さら、何が言えるってんだ。
側に戻ってこいって?
一番辛い時に、側にいなかった俺が?
言えるわけねーだろ、そんな調子のいい事。

追う事もできず。
忘れ切ることもできず。
ただ、そうして、雪が降る度に蘇る胸の疼きを、何度見ないフリしてやり過ごしてきただろう。
情けねェ、話。

だからあいつが俺の目の前に現れた時、戸惑いながらも喜んでいる自分がどこかにいて。
俺に会いに来たのだと、そう思いたがっている自分が心の片隅にいて。
自分の身勝手さにイラついた。

元気そうな姿には安心した。
変わらない笑顔にも。
だが、杖を支える手と引きずる左足を見ていると、何度も無意識に手を伸ばしそうになった。
ただ、あいつがそれを望んでいるのかわからず、結局手を差し出すことはなかった。

お妙の言葉を思い出す。

『責任を感じているから、気を使っているんですか?』

負い目がねェわけあるか。
んなの当たり前だ。
けれど、義務や責任じゃねェ。
気を使うなんて、高尚なモンじゃねェ。
ましてや、あいつのために支えになろうとか、んなかっこいー理由でもねェ。

俺が、側にいたかっただけだ。
俺が、護りたかっただけだ。


本当は、ただ、それだけだったんだろーが。俺ァよ。
今も、昔も。