8.その距離が、もどかしい
さんが江戸に来てから、2週間が過ぎた。 無事仕事も見つかり、住む部屋はさんが自分でいつの間にか見つけてきていた。 僕的には銀さんが、 「うちに来いよ」 とか言い出しちゃうのかな、なんて思っていたんだけど。 その場合、神楽ちゃんはあのままか? それともうちに連れて来た方がいいのか? とまで考え込んでいたんだけど。 そんな単純ではないらしく。 さんは、一人で生活を始めている。 銀さんも、それに対して何も言わない。 仕事? そう、仕事は見つかりました。 僕たち万事屋の活躍で、と言いたいところだけど、そうではない。 さんが働くことになったのは、お花屋さん。 それだけ言うと、もう、なんか、いかにも可憐で、男子からの人気ナンバーワン!みたいな職場に聞こえるけれど。 しかし。 その花屋の名前は、『ヘドロの森』。 そう、あの地球制服をもくろむ(ようにしか見えない)ヘドロさんが経営する花屋だ。 もちろん近所だから、ヘドロさんのお店に大分前から『従業員募集中』の貼り紙があるのは知っていた。 誰が働くんだよあんなおっかねー花屋、とはそれを見た時の、銀さんのセリフ。 まったくだ、と僕も神楽ちゃんも揃って納得したものだ。 しかし、職探しに歩いていた時、さんがその貼り紙を見つけてしまったのだ。 「このお花屋さん、従業員募集中ですって」 立ち止まったさんに僕らは慌てた。 「いや、悪いこたァ言わねー。ここはやめとけって!」 「そうですよ!食われちゃいますよ!」 「そうネ!、生贄にされるアル!」 え?え?と不思議がるさんを止めるべく騒いでいたら、店の奥から当のヘドロさんが出てきてしまった。 「おや、坂田さん達。こんにちは」 固まる僕ら。 さんもさすがに青ざめた顔で、銀さんの後ろに隠れる(その銀さんは、僕を自分の前に押し出すんだけど)。 「今日はいい冬晴れですねぇ。お花達も喜んでいますよ。おや?そちらの方は?見かけない方ですね」 さんに気付いたヘドロさん。 はじめまして、と恐ろしい声で挨拶してくる。 「といいます。はじめまして」 恐る恐る言葉を返すさん。 「お花を買う時は、ぜひうちにいらして下さいね、さん。丹精込めて手入れしていますから」 くわっと顔の影を強くするヘドロさんに、僕も銀さんも神楽ちゃんも逃げ腰なんだけど。 さんは、店先に丁寧に並べられた鉢植えや、みずみずしい切り花を改めて眺めて、 「本当。とても大事に手をかけてらっしゃるんですね」と、感心したように言った。 そして、僕たちに小さな声で「怖いと思ったけど、優しそうな方なのね」と、有り得ない事を言い出したのだ。 そしてあれよあれよという間に、さんはヘドロさんちの従業員に決定してしまっていた。 いや、止めたんだけどね。 僕たち、みんな。 止めるでしょ、そりゃ。 でも当のさんは、大丈夫よ、と笑って言うのだ。 逆に恐れおののく僕たちの様子に、不思議そうに首を傾げたりするのだ。 「銀さん。さんて、意外と怖いもの知らずなんですね」 「あいつァ昔っからああなの。根性座ってるっつーか、疑うこと知らねーっつーか、バカっつーか」 やれやれ、と首を振る銀さん。 「おまけに頑固で、言うこと聞きやがらねェし」 「でも、そんなところが良かったわけでしょ?」 ニヤリと笑って言ってみると銀さんは、 「新八くーん。君、最近生意気じゃね?しめちゃうよ?銀さん、マジしめちゃうよ?」 僕の首に腕を回して、本気で締め上げてきた。 『ヘドロの森』は万事屋のお隣だからして、さんとは、度々顔を合わせるようになった。 とは言っても、気を使っているのか、彼女から万事屋に立ち寄ることはなく。 仕事帰りの彼女を僕や神楽ちゃんが偶然見かけて声をかけ、遠慮がちに2回程あがっていった程度。 それは遠慮もあるのだろうが、それ以上に、銀さんとの距離を計りかねているようにも見えた。 それは、銀さんも同じ。 2人きりで会っている様子も無いし。 さんが万事屋に寄った日の帰りは、銀さんがバイクで送って行ったけれど、すぐに帰ってきたし。 2人の会話も他愛ない話題ばかりで、昔の話なんかはまるで出てこない。 まぁそれは、僕や神楽ちゃんがいるからかもしれないけど。 それにしても。 昔のことは、少しだけ姉上から聞いた。 事情が事情だから、仕方ない気はするんだけれど。 なんとなく、もどかしいような、あと一歩のような、微妙な距離感で2人は接していた。 それでも、僕は知っている。 『ヘドロの森』から出てくるさんの帰り姿を、ベランダから心配そうに見送る銀さんを。 さんの杖の音が聞こえなくなるまで。 そして、ぼんやりと、張り詰める冬の空を見上げるのだ。 あの、死んだ魚みたいな目で。ぼんやりと。 |