6.傷跡「忘れたい?」






お風呂から上がり、さんと神楽ちゃんを寝室に案内すると、道場は夜の静けさに包まれた。
テレビの消えた居間も、もう暗い。
女たちの長風呂など待ちきれず、男たちは先に寝てしまったらしい。

寝室に向かおうと居間を横切りかけた時、縁側に、人がいることに気付いた。
闇の中、庭に薄く積もった雪と月明かりに照らされて、銀色の髪がゆらりと揺れる。



「銀さん、まだ起きてたんですか?」

声をかけると彼は振り返り、おう、と一言。
あぐらを掻き、立て膝をついて。
片手には杯。

「飲むか?」
かたわらに置かれた日本酒の瓶を示しながら、彼は言う。
「人の家のお酒勝手に飲んでおいて、何言ってるんです。後で、飲んだ分払ってくださいね」
「かてーこと言ってんじゃねーよ。酒がまずくなんぞ」

まだ眠れる気分じゃなかった私は、台所から杯をもう一つ持ち出した。
縁側に並んで座り、しばし無言で安酒を味わう。


「銀さん」
「あ?」

さんて、素敵な人ですね」
「ああ?なんだよ、いきなり」

突然の話題に銀さんが眉をしかめる。
でもお構いなしに。

「銀さん」
「あー?」

さんのこと、罪の意識で世話焼いているんですか?」

今度は、黙った。
杯に口をつけるその横顔は、いつも通り動かない。

「あいつから聞いたのか?」
「少しだけ」

月を見上げるその表情が、微かに翳ったように見えた。
触れられたくないものに触れているのだろう事はわかっている。
けれど、このままでは。
このままではいけない。
漠然と、そう思うのだ。
2人を見ていると。

さんに責任を感じているから、気を使っているんですか?」
「なんだ、そりゃ」
「少なくともさんは、そう思っているみたいですよ」

『知ってたはずだ』
思い出すのは、以前彼に言われた言葉。
『こんなことしても誰も幸せになれねぇことくらい』

自分も罪悪感から、誰かの側にいようとしたことがある。
でも、そんなことでは、お互い幸せにはなれない。
本当には、笑えない。
それを教えてくれたのは、今目の前にいる彼。

「バーカ」
ため息混じりにそう言い捨て、銀さんは頭をガリガリと掻いた。
「そんなんじゃねーよ。それじゃあ俺がお前に説教たれたことと同じじゃねーか」
彼も、どうやら同じ事を思い出していたらしい


「じゃあ、銀さんは今も」
さんを?
最後まで声に出せなかった言葉は、それでも彼には伝わったらしい。
「さぁ。どうだろうな」
同じ答え。
さっきの、さんと。

さんは、自分は思う通りにしただけだから誰のせいでもないって。そう、言ってました」
銀さんは黙ったまま自分の杯に酒を注ぎ足す。
「銀さんは、本当は忘れたかったですか?それとも、すでに忘れたはずでしたか?」

思わぬ再会を悔いているのか、どうなのか。
銀さんの表情からは、読み取れない。
2人が、何故離れたのかは知らない。
ただ、さんの言うとおり、一緒にいる限り、消えない傷跡が過去から銀さんを逃さないのであれば。
それが、離れた理由だったのなら。
銀さんは、もう会うことを望んではいなかったのかもしれない。
忘れようとしていたのかもしれない。
前に進むために。
お互いのために。


「どうなんだろうなァ」
私になのか、自分になのか。
よくわからない口調で、銀さんは言った。


静けさが、また押し寄せる。
後は2人、月明かりの下で、ただ杯に口をつけた。