5.傷跡「敵わない」
いつもとは違うお客さんを迎えての賑やかな夕食も終わり、寛いだ空気が冷たい夜を暖める。 「お風呂どうぞ」 居間の神楽ちゃんとさんに声をかけた。 すでに男性陣は冷えた体を温め終わり、のんびりとテレビを見ている。 「キャッホォ!待ってましたネ!」 道場の風呂は昔門下生も使っていたので、数人が一度に入れる広い造り。 神楽ちゃんは、以前からお気に入りだ。 「私は最後でいいですから」 遠慮がちに言うさんを、はしゃいだ神楽ちゃんが引っ張る。 「何を言うネ!!裸の付き合いをしてこそ家族ヨ!うちの風呂は広いから遠慮はいらないアル!」 「いや、神楽ちゃんさっき、同じ釜のメシを食べたらって言ってたじゃない。ていうか、うちの風呂なんだけど」 新ちゃんの冷静なツッコミをものともせず、神楽ちゃんは「出稼ぎの先輩として日本の伝統行事、背中流しっこを伝授するネ」と言い出し、更にツッコミを受けている。 「遠慮しないで、さん。一緒に入りましょ?そのほうが神楽ちゃんも喜ぶし」 そうさんに声をかけると、視界の隅で、それまでごろ寝していた銀さんが半身を起こし、何か言おうとこちらを見るのが目に入った。 え? それを聞くより先に、さんが口を開いた。 「じゃあ、お言葉に甘えて」 「」 銀さんに名前を呼ばれたさんは、その先を遮るように 「お風呂いただいてくるね」 と、笑顔を向けた。 気になった。 けれど、その先を聞くことはできなかった。 「アネゴんちのお風呂は広くてサイコーアル。セレブ気分ネ」 湯船に飛び込んだ神楽ちゃんが、気持ち良さそうに体を伸ばす。 「広いだけでボロボロだから恥ずかしいわ。でも直すのもお金だし」 後に続いて湯船に入ると、遅れてさんが浴室に入ってくる音がした。 「、早く来るネ。アネゴんちのお風呂は銀ちゃんちのビンボー風呂と一味違うアル」 「本当、広いのね」 そう言ってタオルを片手に湯気の向こうから姿を現したさんに、私も神楽ちゃんも一瞬言葉を無くしてしまった。 軽く引きずる左足の足首から太腿まで、そして左肩から胸元、左腕の手首にまで。 焼け爛れたような、何かに打たれたような、激しい傷跡が広がっていた。 痛々しく桃色に隆起し、引きつった肌。 大きな傷口を塞いだ縫い跡。 すべて古傷だとわかるが、刻み込まれたように生々しく、くっきりと体を這う。 その左半身に、ようやく、さっき銀さんが言いかけた言葉がわかった。 『いいのか?』 彼は、さんに、そう聞こうとしていたのだ。 見られてもいいのか? 知られても平気か?と。 たしかに、見て見ぬフリをすることすら不自然なほど、その傷跡はあまりに痛々しすぎた。 私たちが言葉を詰まらせたのに気付いたらしいさんが、自ら口を開いた。 「ごめんなさいね。一緒に入るとあまり良い気分がしないかと思ったのだけど」 こんな反応には慣れた様子で。 まるで何でもない事のように話す彼女が、なんだか、余計に痛々しい。 「でも、なんだか隠し事をしているようでイヤだったから」 湯船に体を沈めながら、さんが微笑む。 「事故か何かで?」 「戦争中に天人に。でも、志士にはもっと酷い傷を負った人が大勢いたから、それに比べれば私は幸運なの」 私の知らない攘夷戦争。 話でしか聞いたことの無い、その場所が。冷たく暗い戦場が。実際に存在していたことを。 実際に、誰かを傷付け、誰かの命を奪って来たことを。 改めて、思い知らされたようだった。 銀さんも、そんな中をくぐってきたのね。 「痛かったアルか?」 神楽ちゃんがそうっと、肩の傷跡に触れた。 その仕草に、さんが表情を和らげる。 「うん。でも、もう忘れちゃった」 この人、強い。 瞬間、そう感じた。 忘れなければ、前に進めないことだってある。 それは逃げることにはならない。 何があろうと歩き続けるための、一つの手段。 「銀さんは、この傷のこと、知っているんですね」 私の言葉に、さんは一瞬黙った。 「お妙さんは銀時とお付き合いされてるの?」 笑顔で尋ねられ私は、まさか、と力強く否定する。 お付き合いだなんて。 そんなわけ、ないじゃないの。 あんなダメ侍と。 「あの人は責任を感じているのね。きっと、今でも。随分気を使わせてしまっているみたいだもの」 遠くを見るような目で、さんは言った。 最初会った時に思った。 哀しい表情をする人だなって。 笑っているのに、何故か。 哀しい笑顔だと。 「責任?」 「この傷。自分と関わったせいだ、って。自分が護れなかったせいだ、って。思っているのね、きっと」 詳しい事情はわからない。 でも、なんとなく、銀さんが背負う気持ちに想像がついた。 いつ死ぬともしれぬ身で。 多くの敵を切り、恨みを背負うその身で。 自分の近くにいた者が傷付けられるような事があれば、自分を責めずにいられようはずもない。 それでも側にいたいと、側にいてほしいと、お互いが思ったのならば。 それは、多分、誰のせいでもないはずなのに。 でも、この傷を見て、俺のせいじゃないと言える銀さんではないことは、私にもわかる。 「この傷、銀ちゃんのせいアルか?」 「まさか。そんなわけないの」 神楽ちゃんならではの直接的な質問に、さんはすぐ首を振った。 「私は、自分の思う通りにしたら、たまたまこんな事があっただけなの。自分で選んだのよ?それは誰のせいでもないでしょう?」 「さん。今でも、銀さんを?」 立ち入った質問だとわかっている。 でも、つい尋ねてしまった。 まるで何でもない事のように話す彼女の言葉の裏側に、今も何かが潜んでいる気がして。 さんは、返事の変わりににっこりと笑った。 そして、 「さぁ。どうだろう」 と独り言のようにつぶやいた。 「久しぶりに会ってわかったのは、私が側にいると銀時は、過去から抜け切れないということ」 本当はもう、あの頃の事なんて、忘れたいはずなのに。 忘れて過ごしていたはずなのに。 最後の小さなつぶやきは、再会を悔いる言葉のように、聞こえた。 彼女が言う『忘れたい』は、戦のことではなく自分自身の事を指しているように、聞こえた。 敵わない。そう思った。 思ってしまってから、考える。 何が? 何が、さんに敵わないと思ったのか。 一人の女性として? 人間として? それとも。 これまで、つきつめて考えようともしていなかった、想い。 やっと、気付いた。 そうか。銀さんへの想いが。 敵わないと思ったんだ。 |