4.記憶
村はずれにある一軒の廃寺。 そこが、天人と戦う攘夷志士たちの根城だった。 男たちは戦に出て、傷つき、ここに戻る。そしてまた、ここから次の戦いへと赴いていく。 抗えない大きな流れの中で。 誰もが何かを見失いそうになりながら。 戦場へと。 血と炎の中へと。 その間、この寺を守るのは女たちの役割だった。 天人に家族を殺され身寄りをなくした者。 志士を夫や息子に持つ者。 戦う術は知らずとも、彼らの思いに賛同する者。 戦が激しくなり、侍達が日々劣勢に追い込まれていく中で、その数は少しづつ減っていったが。 それでも。 数人の女が、志士を最後まで支えんと、ここで戦っていた。 ただひたすらに「信じて待つ」という戦いを。 それは、長く、静かで、哀しい時間。 そんな日々を、何度繰り返したことだろう。 その年初めての雪が降った午後だった。 風の無い空をはらはら舞う雪が美しくて、本堂から庭へと下りた。 見上げると髪に、頬に、次々と冷たい綿が落ちる。 その色は、もうすぐ帰ってくるはずの待ち人を思い出させた。 雪と同じ色の、髪を。 ちゃん、と呼ぶ声が庭に届いて、本堂に上がった。 奥の水場の方から、夕食の準備をする女たちが自分を呼んでいる。 はぁい、と返事をして、そちらへと足を向けた。 その時。 頭の奥まで震わせるような轟音が、後方から響いた。 全身に鈍い痛み。 自分が何かの衝撃で壁に打ちつけられた事を知るには、やや時間が必要だった。 倒れた体は、痛みと軽い眩暈で動かない。 何が起こったのか、まるでわからない。 ようやく顔を上げた先。 見慣れた本堂の入口は跡形も無く吹き飛び、床に、天井にと次々炎が広がり始めていた。 ちゃん、ちゃん。 奥から女たちの声がする。 大丈夫、あっちには裏口がある。 今ならまだ、みんなは逃げられる。 早く、逃げて。 なんとか搾り出した声。 それでも呼ぶ声は、自分を助けようとこちらへ近付いてくる。 そこへ再び、あの音。 何かが爆発し、屋根の一部が吹き飛んだ。 古い木造の寺を這い回る火の手は、最早止めようもない勢いへと変わっていた。 お願い、逃げて。 もう一度、叫んだ。 いや。叫ばずとも、助けに来ることなんてもう出来なかっただろう。 本堂から水場や裏口へと続く細い廊下は既に、何者をも阻もうと炎がその紅い舌を伸ばし始めていた。 唯一の逃げ道は、さっき吹き飛んだ入口。 その向こうの、静かに、ただ静かに佇む雪景色に、手を伸ばした。 上半身を起こして、痛む足をどうにか動かして。 白く漂う欠片に、この手が、届くように。 だが、それを遮るように、燃え崩れた壁が目の前に落ちた。 もう見えるのは、朱に染まる景色だけ。 立ち上がりかけていた左足が、倒れた柱に挟まれた。 その柱をチラチラと炎が舐め、足から左半身へと熱が伝わっていく。 痛い。 熱い。 熱い。 いや、冷たいのかもしれない。 もう、わからない。何も。 痛みに意識が持って行かれる。 駄目。 生きなくては。 絶対に。 生きなくてはならないのだ。 だが自分にできることは。 力の限りに、挟まれた体を引きずり出そうと暴れることだけ。 そして、炎の中から、声が聞こえ始めた。 本当にここか?侍共の根城ってのは。 間違いねぇよ。ちょっと脅したら、村の奴ら吐きやがった。 ここにいるんだろ?あの野郎の女ってのはよ。 いくつもの声。 痛みに霞む目の先にいたのは、明らかに地球人ではなかった。 こちらに気付くと、奴らは実に楽しそうに目を細める。 おいおい、こいつじゃねーのか?白夜叉の女。 生け捕りにするんじゃなかったのか?もう死にかけじゃねぇか。 他の女は逃げちまったみてぇだな。めんどくせぇ。殺しちまおうぜ。 纏わり付くような笑い声。 炎なんてものともしない様子で、嘲るように自分を見下す目。 どうにか懐から取り出した短刀を抜いてみたものの。 今この状態の自分に何ができるというのか。 怖い。 痛い。 熱い。 もがく手足から力が抜けていく。 気が、遠くなる。 生きなければ。 どんなになっても生き抜こうとする彼のように。 どんなになっても誰かを護り抜こうとする彼のように。 諦めたくはないのに。 たくさんの別れに打ちのめされ続けてきた彼の背中にこれ以上、何一つ、背負わせたくはないのに。 後のことは、あまりはっきりと覚えていない。 痛みで意識を手放したからなのか。 無意識に忘れようとしているからなのか。 それは、わからない。 ただ、目には、炎と返り血で赤く染まる銀髪が。 耳には、天人共の笑い声の代わりに叫び声が。 記憶にあるのは、それだけ。 あの叫び声が、切られた天人のものだったのか。 銀髪の侍のものだったのか。 それも、わからない。 ただ、赤く染まった彼の、鬼神のような目を忘れない。 焼け落ちた寺からは、天人たちの死体だけが、見つかった。 今でも時々夢に見るのは、痛みでも炎でもなく、あの時の、彼の目。 |