屋根より高い
珍しく早くに目が覚めた朝のこと。 いつも起きてくる頃には既に新八がめくり終えている日めくりカレンダーも、今日は私の勝ち。 目をこすりながら薄い紙を引っ張ると、新たに現れた日付は『5月5日』。 そして日付の下には小さな文字で『端午の節句』と書いてあった。 「…」 …何て読むアルか、コレ。こんなわけわからない文字読めないネ。 わかるのは恐らくこの文字が、『クリスマス』や『バレンタイン・デー』と同じく、今日が何かの日である事を表しているだろう、ただそれだけ。 5月5日…5月5日…あれ?そういえば、前に銀ちゃんが何か言っていたような。 そこまで思い出して、隣の和室の襖を勢いよく開いた。 「銀ちゃん、銀ちゃん」 布団の脇にしゃがみ込んで、ピクリとも動かない白い後頭部に呼びかける。 「銀ちゃんてば。起きてヨ。今日って何の日アルか?」 肩を掴んで揺すると、彼はうざったそうにその手を払った。 「…るせーな。二日酔いなんだっつの」 力無くそれだけ返した声は、すぐにまた寝息へと変わる。 反省。 このダメなオッサンを頼ろうとした自分が間違っていたアル。 和室の襖を再び閉じた。 いつもならこういう時には横から教えてくれるはずの新八は、今日は家の用事で少し遅れて来るとの事で、まだ来ていない。 こうなったら自分でリサーチヨ。 靴を履き、外に出て、見慣れたかぶき町の通りへと繰り出した。 会った人に片っ端から聞いてみれば、誰か一人くらい教えてくれるはずネ。 優しい5月の空気が頬を撫でる朝の散歩。 本来の目的すら忘れそうな心地良さに、家でまだもっさりと丸まっているのだろう天パの事を思い出す。 ああいう生活をしているから、頭も目も淀んでいくのヨ。アイツも私のように清々しい1日を迎えるべきネ。 ところが、清々しい気持ちには一瞬でヒビが入った。 向かう先に、見慣れた隊服の見慣れた人物の姿が目に入ってしまったからだ。 「おう。何してんでィ、一人で」 路肩に停めたパトカーの傍らで缶コーヒーを飲むドS警官の横を黙って通り過ぎようとしたら、声を掛けられた。 「気安く話しかけんなヨ。ダーティーポリスと話したらダーティーがうつるネ」 「ハイそれ、お巡りさんのガラスのハート傷害現行犯〜」 腹の立つ顔と台詞をそれ以上目と耳に入れるまいと傘を傾けて歩みを進めようとした、が、ふと思いついて立ち止まる。 「オイ、お前ら市民のために尽くす役人だろ。ちょっと質問に答えるアル」 「どーいう上から目線でィ。教えて下さいの間違いだろ」 「今日って何の日アルか」 「今日?」 質問に、奴の顔が一瞬反応した。 これは、知っていそうな手ごたえネ。 「今日が何の日か知りてーたァ物好きな奴もいたもんだ。今日はなァ…」 奴は何故か真剣な顔つきになり、声のトーンをグッと落とした。 「…今日は?」 「歴史上最低最悪の生物がこの世に産み落とされちまった、忌むべき日でィ」 そう答えるなり、奴はガチャリと重々しい音を立てて肩にバズーカを構えた。 狙う先は自分…ではなく、その向こうの自動販売機でコーヒーを購入中のくわえ煙草の人物。 「ハッピーバースデーィィィ!」 祝いの言葉と共に放たれたバズーカは派手な音を立てて命中。すんでで気付いて「うおわぁぁぁ!」と飛び退った最低最悪生物の代わりに自動販売機が吹っ飛んだ。 「総悟ォォ!てめ、何しやがんだァァァ!!」 「めでてー日に祝砲を打ち上げただけでさァ。俺ァ根っから口下手なもんで、こんな祝い方しか知らねーんで」 「打ち上げてねーだろ!打ち落としてんだろーが、俺に向かって!口下手なら何もせんでいいわァ!」 いつものやり取りが始まってしまい、やっぱりこのチンピラ警察共に関わるのではなかったと後悔しても時既に遅し。 それにしても。今日はそういう日だったアルか。 じゃあ、あの『端午の節句』って『マヨのバースデー』って読むアルか? でも私の誕生日ですら載っていないのに、あいつの誕生日ごときがカレンダーに載せてもらえるとはどういう事ネ。 もしかして、あの文字は銀ちゃんが書いたとか?…マヨの誕生日を? いやいや、違うアル。それもおかしいアル。 「オイ、お前ら見回り行くぞ〜…って、何してんの?!総悟!トシ!」 どこから現れたのか。いつの間にやら立っていたゴリラが町中で暴れる2人をしばし呆然と見つめて、やれやれと溜息をついた。 そして、ようやくこちらに気付いて「お」と声を上げる。 「なんだ。今日はアイツらと一緒じゃねーのか。迷子か?」 何アルか。どいつもこいつも、その3人セットが基本みたいな言い方は。 「お前と違って迷子になんかならないネ。もう帰るアル」 やっぱりコイツらでは話にならない。 帰って銀ちゃんをもう一度叩き起こそう。 その方がきっと早い。 そう思って踵を返した時。 ふと見上げた空。何件か向こうの家の屋根上に、ゆったりと泳ぐ魚が目に入った。 え?空に魚? 「何アルか、アレ!何で空に魚が泳いでるネ!新種アルか?!」 つい誰にともなく叫ぶと、後方でゴリラが「ああ」と声を上げた。 「そーかそーか。今日は端午の節句か。ありゃあ『こいのぼり』って言ってなァ、5月5日の男の子の日に飾るモンだ」 「たんごのせっく?」 そうか。思い出した。5月5日は男の子の日。 3月3日の女の子の日に、男の子の日もあるんだって銀ちゃんが言ってたんだった。 「でも何で魚ネ。男の子と魚に何の関係があるアルか」 「さぁ、よくわからんが、アレは家族を表してるらしいぞ。デカイ魚がお父さんで小さいのが子どもで…家族仲良くって事なんだろうさ」 ま、例えて言うならデカイのが俺でその下がお妙さんと新八君…。 実に楽しげに続くゴリラの言葉は最後まで聞かずに、その場を走り去った。 万事屋へと。 こいのぼり、こいのぼり。 階段を上がり、玄関を開け、いつも口うるさい新八がまだ来ていないのをいい事に靴をあっちとこっちに脱ぎ飛ばして中へ入る。 自分の寝床の下を探って、求めるものを引っ張り出した。 古い布。サインペン。わずかな色紙。それから。 「なんか棒…長い棒…」 慌てて探すが、なかなかイメージするものが見つからない。 銀ちゃんが起きる前に。新八が来る前に。 あいつらが用意した『ひなまつり』なんかより、私の方がプロデュース力があるってところを見せ付けてやるネ。 不思議そうに覗き込む定春に、「楽しみにしてるアル」と声を掛けて。 万事屋の『たんごのせっく』は、朝から大忙しだ。 side新八 |