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銀八先生の教育実習、最終日。 その日も、いつもと何も変わりはなかった。 教卓でアクビ混じりに「…はよーさ〜ん」と挨拶をする銀八先生に、シャキッとしろ!と小笠原先生が怒鳴って朝が始まる。 昼休みはパンとコーヒー牛乳を片手に教室にやって来てパイプ椅子にふんぞり返り。 食後にはやっぱりタバコをくわえそうになって、クラス中のツッコミを浴びる。…もうライターに火を灯す隙すら与えてもらえないタイミングで。 最後の国語の授業は結局、 「まァ、よーするに友情はプライスレスだから。おめーらもいつでも心にメロスを持って生きてくよーに」 …という相当強引なシメ方で終わった。僕らも「はァ…」と納得するよりほか無かった。 そして帰りのショートホームルーム。 これが、最後。 ほんとにほんとの、最後。 「3週間世話んなりました〜」 小笠原先生から、一言挨拶を、と振られた銀八先生の、本当に一言だった挨拶。 それだけ?とツッコミを入れたくなるほどに、あっさり。 だからと言って、長々と感動的な別れの言葉を語り出す銀八先生を期待していた者も一人としていないとは思うんだけれど。 「…もういいのか?」 ツッコんだのは意外にも、小笠原先生だった。 ほかにも話したいことがあるんじゃないのか、とでも言いたげな表情で銀八先生を見る。 「いや、いっスよ。じゅーぶん話しましたもん。コイツらとは」 銀八先生は、さらりとそう返した。 まぁ、ソレもそうだ。 これまで、授業以外でこんなに教育実習生と話をしたのは初めてだ。 だって、職員室は好きじゃないから、なんて理由でしょっちゅう教室に入り浸る実習生なんて、この人くらいだろうからね。 起立、礼、着席 お決まりの挨拶で終わる1日。 いつもどおりに終わる1日。 途端、銀八先生は「あ〜、終わった」と実に清々しそうに伸びを一つ。 「銀八先生」 その姿に、僕は声を掛けた。 「あ?」 さっさと戸口へ向かおうとしていた銀八先生が。そして先に立って既に戸口に手を掛けていた小笠原先生も、どうしたのかという表情で同時に振り返る。 そして、怪訝顔。 それもそのはず。 いつもなら挨拶が済んだ途端に席を立ち、帰り支度をする音で騒がしくなるはずの教室が、静かなままなのだから。 その視線は、まっすぐ銀八先生に注がれたままなのだから。 「んだよ。何、その感じ。すげー気持ちワリーんだけど。つーかこえーんだけど」 ひどく胡散臭げな様子で銀八先生は僕らを見渡した。 僕は席から立ち上がり、そんな彼の前へ。 そして、後ろ手に持っていたものを先生へと差し出した。 「先生、コレ、クラスのみんなからです」 僕の手に乗った長方形の包みに、銀八先生の目が、少し驚いたように見開かれた。 けれどそれは、ほんの一瞬の事で。その目はすぐに、いつもの死んだ眼差しに戻る。 「え〜と、これは、アレ?『銀八先生ありがとう。俺たち先生のこと一生忘れねーよ』的アレ?」 「いえ、一応礼儀として。僕らマジメなんで」 「…前から思ってたけど、宇都っちツンデレ?Mと思わせといてむしろS?」 呆れたように言いながらも銀八先生は、僕の手から受け取った包みをひっくり返したり、重さを確かめるように軽くゆすってみたり。どうやら興味は持っている様子。 「カステラにしちゃあ小さくね?あ、羊羹?俺羊羹なら小倉派なんだけど。抹茶とか認めねーんだけど」 「すいません。小倉羊羹は自分で買って下さい」 勝手に話を進める銀八先生は僕の否定に 「長方形の食いモンの王道と言やァ、カステラか羊羹だろーが」 と疑わしげに首を傾げる。 それ以前に何で食べ物だと思い込んでいるのかが疑問なんだけど。 先生、開けてみてよ。そんな彼に、待ち切れないように他の生徒が促した。 無造作に赤いリボンを引っ張り、包装紙を破り取り。 姿を現した白いプラスチックケースを見つめた後、彼はそれを開いた。 「…」 中から出てきたものを銀八先生は黙って手に取り、かざすように眺める。 それは、細い銀色のフレームのメガネ。 第一声を期待して待つ僕らにゆっくりと視線を向けた彼から出てきた言葉は、 「え?コンタクトじゃなくて?」 だった。 いつかの『モテるにはメガネよりコンタクトのがいいよね?』説を覚えていた僕としては、ある意味予想通りの反応。 けれど教室はブーイングの嵐に包まれる。 「プレゼントにダメ出しって。先生、最悪〜」 「や、だってメガネってどうよ?俺のキャラ的にどうよ?この地味系アイテム。つーかモテ度下がんね?」 みんなの非難をものともせず、銀八先生は右手のメガネをヒラヒラと振る。 「えーでも、メガネ似合う男の人って、なんか1割増で見えたりするかも」 女子から掛かった言葉に、興味なさ気だった先生が「マジで?」と反応する。 「それに先生、なんか先生らしくないからメガネとか掛けといたほういーよ」 別の女子からも声が掛かった。 そう。どっちかと言うと、それがメガネをチョイスした理由。 コンタクトなんかよりずっと、教師らしい貫禄をかもし出せるアイテムなのではないかと考えた結果だ。 「なんでだよ。俺ァメガネの力なんぞ借りねーでも、いつでもインテリジェンスな感じだろーが」 「全然」 クラス中が一斉否定。 わかってねーなァ、おめーら。 溜息をつきながら銀八先生は手にしていたメガネを何気ない様子で掛けた。 その姿に全員が注目した一瞬の沈黙。 そして続く、わぁっという歓声と妙な盛り上がり。 「似合うじゃん、先生!」 「ほら、その方が先生らしいって!少しだけど」 「すげー、メガネマジック。多少は落ち着いて見えるよ、先生」 褒められてんだか、けなされてんだか。 その微妙さに当然気付いている銀八先生の表情はものすごく不本意そうだ。 「つーかコレ、度入ってねーじゃん」 「当たり前じゃないですか。僕ら銀八先生の視力なんて知らないですもん。レンズは自分で入れて下さい」 「は?金ねーよ、俺。しばらくタダの伊達メガネ?俺」 「…まぁ、そこはがんばってください。大人なんですから」 ブツブツ言う銀八先生に、僕は内心うれしかった。 だって、使ってくれる、ってことだもんね。要するに。 すごくわかりにくいけれど。 教室の話題はメガネをきっかけに、いつの間にか『銀八先生が教師っぽく見える方法』談義へと移り変わっている。 「スーツ着てても先生っぽく見えないんだから他の方法は難しくない?」 「あ、先生。白衣とか着たら?なんか、教師っぽい気がする」 「いや、俺、国語担当なんスけど」 「国語で白衣っておかしい?」 「おかしいだろ。つーか俺教師になるって一言も言ってねんだけどね」 「見た目だけ教師らしくなっても何の意味も無いぞ」 そんなくだらないやり取りをする僕らの間に、唐突に厳しい声が投げ掛けられた。 振り返るとそこには、壁際で黙って様子を見ていた小笠原先生。 腕組みをして、相変わらず眉間に深いシワを寄せて、僕らを見ている。 「教師はそんなに甘いもんじゃない。3週間の実習で人にモノを教えられるような人間になれたとはまるで思えん」 はしゃいでいた生徒達も、何となく静まった。 担当教師からの最後のダメ出し。 ごもっとも、としか言いようがないんだけれど。 でも。 張り詰めた空気を黙って見守るしかない僕らの前で、小笠原先生は一つ咳払いをすると「だから」と言葉を繋げた。 「いつでも性根叩き直してやるから実習しに来い。そんなだらしないまま教師になってもらっちゃ困るからな」 その言葉に、みんなが少し驚いたように小笠原先生を見つめた。 数秒の沈黙の後、小笠原先生はその注目に耐え切れないように足早に教室を出て行った。 なんだか決まり悪げに。銀八先生とは目も合わせずに。 その背中を見送った後、僕らは顔を見合わせて笑った。 「また来い」なんて言葉が、まさか一番聞けそうも無い人から聞けるなんてね。 そして乱暴に閉じられた教室の戸を見たまま黙って首筋を掻いている銀八先生の背中を、生徒たちが叩く。 「そうしなよ、銀八先生。小笠原先生の指導まだまだ受けに来た方いいんじゃない?」 「冗談じゃねーよ、お前。美人女教師の放課後特別授業なら通いつめるけどよ。なんで薄ら寒ィヘッドのオッサンから補習受けにゃならねーのよ」 「だって先生、全然先生っぽくないもん」 「俺ァ、教師らしさ≠ネんつー、どこの誰が作ったとも知れねー型はぶち破っていくんだよ。俺の歩いた後に新たな道が出来ていくんだよ」 「…なんかイイこと言ってるっポイですけど、その道、誰も着いて来ないと思いますよ」 この3週間の昼休みと、同じ。 賑やかで、くだらなくて、まるで時間の無駄のような。 けれど、それは、暖かくて。手放しがたくて。 ふと見渡してみると、整然と並んだ教室の机は全て空っぽだった。 それぞれが思い思いに自席を離れて、けれど、同じ所を見て笑い合う。 どうしてだろう。 3週間なんて、あっという間だったのに。 今はもう、思い出せなくなりそうなんだ。 銀八先生が来る前の、この教室を。 あの頃見ていた、ただ小さな自分の机の色を。 「…銀八先生、いつもと変わんないね」 僕の肘を突付いた左隣の横山さんが小声で囁いた。 「うん…まぁ、こんなんで感動するような人じゃないでしょ」 「後でアレ見たら、喜んでくれるかな」 「ああ、アレね。どうだろう。…意外と1人で泣いたりしてね」 僕が笑うと、横山さんも「そうかもね」と笑い返してきた。 A組のみんなに囲まれる、相変わらずだらしない、やる気のない立ち姿を、僕は見つめた。 口にするのは、気恥ずかしい。 別れの言葉も、感謝の言葉も。 多分、僕ら以上に、この人は苦手だろうから。 だから、A組生徒32人分の思いは、その中に。 銀八先生が右手に握ったままのメガネケース。 その中で折りたたまれたまま、そっと出番を待つメガネ拭きに。 『また風邪で休んだら席貸りに来てもいいよ』 『目指せ禁煙』 『教師クビにならないようにね』 小さな文字で、びっしりと書き込まれたメッセージ。 この人のことだから、いつ気付くことになるのかなんて、まるでわからないけどね。 「宇都君、なんて書いたの?銀八先生に」 「んー、別に。普通だよ」 僕はそう言って、横山さんの問い掛けをはぐらかした。 なんとなく、口にするのは照れ臭かったから。 銀八先生は、気付くだろうか。 一番端っこに、無記名のメッセージ。 『やっぱり楽しいです。学校』 僕からだと気付くだろうか。 いつかの問い掛けの答えだと、気付くだろうか。 「宇都っちィ」 教室を出ようと戸に手を掛けた銀八先生が、気だるい声で僕を呼ぶ。 「はい」 初めは苛立ちしか感じなかった、その呑気な声に、答える。 「で?羊羹は?」 「…いや、だからソレは自分で買って下さいってば」 …最後に交わした言葉がそれって、どうよ? そうして、僕らと銀八先生が過ごした3週間は終わった。 あれから一度も、銀八先生とは会っていない。 教育実習後、学校祭に招こうと彼の大学を通じて一度だけ電話で話した事がある。 クラスを代表した僕の誘いに対し、返ってきた答えは 「俺、学祭嫌いなんだよね」。 不思議と腹は立たなかったし、寂しいとも思わなかった。 それはそれで、なんだかとても銀八先生らしいと思えてしまったから。 電話を切り際に一言 「受験がんばれよ〜」 と相変わらず呑気な、応援してんだか適当なんだかわからない声で言われたから、僕は 「採用試験がんばれよ〜」 と、口調を真似て言い返してやった。 僕は卒業し、無事合格した大学に通っている。 クラスの仲間達は、もちろん全てが志望校に合格できたわけではないけれど。 それぞれに、どこかで自分の決めた場所を歩いている。 どこからともなく流れてきた噂で、銀八先生が銀魂高校の教師になったことを聞いたのは、ごく最近。 あそこには個性的な生徒が多いと聞くから、きっと、銀八先生に似合っているに違いない。 きっと、そんな賑やかな校舎の中ですら何に遮られる事も無く、ぼんやり空を見ているに違いない。 そんな事を思いながら、僕もやっぱり空を見上げている。人波の中で、ふと立ち止まって。 いつの間にやらついてしまった、おかしなクセ。 今日もいい天気。 たったそれだけの事になんとなく満足して。また、歩き出す。 たった3週間の、ただの教育実習生と、その生徒だった僕ら。 けれど、忘れようがない。 だってあんな教育実習生は、今までもこれからも、坂田銀八以外にいないと思うから。 いい加減で、だらしなくて、面倒くさがりで、甘党で、ヘビースモーカーで。 でも、ごくたまに、やる時にはやってくれる教師。 不幸にもそんな彼の練習台となってしまった3年A組の誰もが。 あの時あの教室にいた、誰もが。 きっと、忘れない。 教育実習生 坂田銀八を。 END |