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「今日もご苦労なこったねェ。受験生諸君」

昼休み。
相変わらず昼食持参で教室にやって来た坂田先生が、僕の向かい…窓際のパイプ椅子にだらしなく腰掛けながらの第一声。
その口調は、ストレートにカンに障る他人事度全開ぶり。
無視を決め込もうとする僕の机に、断りもなくコーヒー牛乳のパックが置かれた。
そして見ただけで吐き気のしそうな、チョコトッピングにクリーム入りの菓子パンの袋が目の前で開かれる。

「なんでいつもココ座るんですか」
結局無視しきれず、不快感を顔に出して言ってみる、が、
「なんでも何も、窓際が空いてりゃゲットしちまいたくなんのが人間の心理っつーもんでしょ」
と、なんの悪びれもない答えが返ってくる。

別に好きで窓際なわけじゃないし。
どーでもいーよ、そんな心理。


食事を終えた坂田先生は、あーあ、と気だるげに伸びを一つして、耳にかかる髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
ポケットから取り出したタバコをくわえてジッポを握り、「ああ、違う違う」とまたしまう。
そして諦めたように椅子に深く腰掛け直すと、うざったそうに元々緩めのネクタイを人差し指で引っ張りながら足を組んで、体勢は一転、居眠りモード。
なんともビッグな態度だ。
なんか…もう、好きにすればいいけど、どこかヨソでやってほしい。
気が散ってしょうがない。
目の前にいられると。

少しイラ立ちぎみに、その横顔を見上げてみると。
眠っているかと思った坂田先生は、後ろ頭で手を組み、窓の外をぼんやりと眺めていた。
その、何一つ時間にも枠にも囚われないような、一人自分の世界にいるような、呑気な目に余計イラついて。
僕は視線を手元に戻すと、頭の中に無理矢理ねじ込むように、声には出さず英単語を反復し続けた。


「…あの、坂田先生」

唐突に僕の目の前でそんな呼びかけが聞こえたから、つい坂田先生でもないのに顔を上げてしまう。
坂田先生の横に立っていたのは、横山さん。うちのクラスでも、おとなしめの女子。

「あー?」
窓の外に向けられていた先生の視線が、彼女に向けられる。
「あの、この問題どうしても解けなくて。教えてもらえませんか?」
小さな声でそう言って、彼女は分厚い数学の問題集を差し出した。

そうか。そうだよね。
昼休みに先生が教室にいることなんて、基本無いんだから。
ポジティブに考えれば、有効に活用させてもらえばいいわけだ。
めちゃくちゃとはいえ、大学生で教師見習いなんだから。この人だって。
と、思ったのも束の間。

「いや〜俺ホラ、国語のティーチャーだから。ヨソ様の教科にまで手ェ出したらさァ、なんかこう…アレな感じになんじゃん?つーわけだから自分を信じてがんばって」

坂田先生は、問題の内容を見ることもなく、あっさりとそう拒否した。
いや、別にわかんねーわけじゃねーよ?とか聞いてもいない事を付け加えながら。
たしかに、坂田先生は国語担当で実習に来ているわけで、数学の質問なんてルール違反なのかもしれないけれど。
それにしても、こうもスピーディーに断られるとは予想外だったらしい横山さんも、困惑気味に言葉を失くす。

「や…でも、坂田先生、現役大学生なんだし、ちょっとくらい見てくれても…」
つい僕が口を挟むと、
「現役大学生的には、実習の範囲にねーこと求められてもねェ。つーか昼休みだし。時間外労働?」
なんとも冷たい答えが返ってきた。

その割り切りの良さには、腹立ちを通り越して呆れしか出てこない。
それ以上何を言う気もなくして、関わるまいともう一度自分の勉強に戻ろうとした。その時。

「そんなん言うなら、おめーが教えてやりゃいーじゃねーか。クラスメイトなんだからよ」

至極当然といった面持ちで、坂田先生がそんなことを言い出した。

「は?なんで…」
僕が。
言いかけて、横山さんにチラリと視線を向けると、なんていうか…多少の期待がこもった眼差し。
続きの言葉を、つい飲み込んだ。
ああ、もう。

「…数学なら、わかるかも」

諦めて、彼女に向かって手を出した。
もうこの教生には頼るまいと心に決めて。
途端、横山さんの顔がうれしそうに輝いた。
ありがとう、と、まだ何も教えていないのに、問題集を僕に差し出しながらお礼の言葉まで。
そして、僕の横に自分の椅子を引きずってきて腰掛けると、机に広がった英語の参考書を見て、
「あ、私英語なら得意」
と笑顔で言った。
「え、ほんと?」
つい、そのありがたい台詞に僕は食い付いた。
正直、ちょっと煮詰まり気味だったから。


横山さんが質問してきた問題は、数学が得意な僕にとっては特に苦もなく教えることができるものだった。
聞けば、昨日からこの問題で引っ掛かっていたそうで。
なぁんだ、早く宇都君に聞けばよかった。そう言って彼女は笑った。
代わりに横山さんは、僕がいまいち理解しきれず混乱していた英文法を、自分なりの言葉で説明してくれた。
互いに、決して教え方の要領は良くないんだろうけれど。
それでも、一人頭の中で授業をしているより余程するすると頭に入ってくるのだから不思議なもので。
横山さんは僕に、「宇都君、教え方うまいね」と感心したように言ってくれた。
成績を褒められているわけでもないのに、僕はそれがなんだかうれしかった。

そんな風に会話を交わす途中で、ふと気になって、僕は後ろを振り返った。
クラスメイトたちは、相変わらず各々下を向いたまま。
僕らの会話が途切れると、教室は元の静けさに戻る。

『こんな静かな昼休みアリかよ』

最近言われたばかりの、そんな感想が、何故か頭をよぎった。
今、不本意にも同じ感想を抱いてしまった自分がいて。
さっきまで、それが当然だと思っていたのに、どうして急にこの教室が静か過ぎると思ってしまったのか、わからなくて。
否定するように、僕は勢いよく前を向き直した。

チラリと目の前のカンに障る教生を盗み見ると、彼は相変わらず、我関せずと言った表情でぼんやりと窓の外を見ていた。




「あのさぁ…誰か、物理得意な奴、いる?」

その静かなクラスメイト達の中。
突然、おそるおそると言った感じの声が、一つ上がった。
僕も横山さんも驚いて振り返る、のと同時に。
「物理なら、俺、ワリと苦手じゃないかも」
別の所から遠慮がちな声がそれに応じた。

「マジ?じゃあコレちょっと教えて!」
「え?待って。物理なら俺も聞きたい!」
「私も!」

今度はいくつかの声が一続きとなって返ってくる。
ガタガタと席を立つ音。
その音につられるように、他の生徒たちも下に向けていた顔を上げ、周囲を見回し出した。

空っぽだった部屋に、ようやく人が戻ってきたかのように。
唐突に活動を始めて体温を取り戻す教室を、僕は自分の勉強も忘れて見つめた。

どうしたっていうんだよ、急に。
いや、もしかしたら、それは急でもなんでもなくて。
本当は、待っていたんじゃないのか?みんな。
こんな風に声を上げるための、ほんの小さなきっかけを。

…と、ここで、時間切れとばかりに予鈴が鳴った。
立ち上がっていた数人の生徒たちは、残念そうに自席へと散る。

「じゃあ明日の昼休みに続き教えて」
「ていうか、他のも聞きたいやつあんだけど…」

それでも、まだ、あちこちで会話は続いていて。
いつもより少しだけ教室の中がざわついている。

ダルそうに体を伸ばし、大アクビをした坂田先生は、そんな教室を見渡して。
「なんだ、おめーら。フツーに会話できんじゃねーか」
と、言った。

「えっ、何ソレ。先生」
「失礼な」
数人から反発の声が上がる。

「や、だっておめーら教科書とノートしか友達いねんだと思ってたわ」

ええー、と今度はあちこちからブーイング。
ハイハイこいつァ失礼いたしました、と何一つ失礼とは思っていないだろう顔で言いながら、坂田先生は椅子から立ち上がる。


「お前ら!予鈴が鳴ったというのに、騒がしいぞ!」

その瞬間、教室の戸が勢いよく開き、小笠原先生が顔を覗かせた。
A組の次の授業は小笠原先生の授業ではないんだけれど。
通りすがりに声が聞こえてしまったらしい。

「予鈴は次の授業の準備をするためにあるんだ。昼休みの延長じゃないんだぞ」

小笠原先生の厳しい口調に、みんな口をつぐみ次の授業の用意を始める。

「それから、坂田先生!あんたは、次はC組の授業だろ!早く来なさい!」
「あ〜、ハイ。すんませ〜ん」

軽い口調でそう答え、坂田先生はダラダラと小笠原先生の後ろを通り戸口へ向かう。

「大体、受験生としてたるんでいるぞ、お前ら。そんなことだから、この間のテストの平均も…」

尚もお説教を続かせる小笠原先生の肩越しに。
立ち止まった坂田先生が、小笠原先生の背中に向かって声は出さずに口をパクつかせたのが見えた。
そして何事もなかったように教室を出て行く。

…今、絶対、「ハゲ」って言った。

誰もそれについて触れたことはないが、小笠原先生はたしかに、若干脳天が薄い。

僕らは全員下を向いた。
その様子を、反省の意ととったらしい小笠原先生は、
「わかればよろしい」と、重々しく述べて教室を出て行った。
けれど、僕はわかっている。
おそらく、全員が、反省ではなく、笑いを隠すために下を向いたのだということを。

マジメなはずのA組が、担任の頭の薄さを笑いものにするなんて。
悪影響以外の何モノでもないよ。
教育実習生が来たせいで。

心の中で悪態をつきながらも、僕は、笑いをこらえる今の自分と教室の雰囲気が、なんだか嫌いじゃなかった。
むしろ少しだけ、楽しいとすら、思ってしまったんだ。
ものすごく。不本意だけれど。
















教育実習生銀ぱっつぁんのイメージは「スーツを着ていて目が死んでいる白夜叉」。