1






坂田先生は、第一印象と寸分違わぬめちゃくちゃな先生だった。

2日目の朝には、さっそく、微かにお酒の匂いが残る体で学校にやって来て、小笠原先生に廊下でこっぴどく怒られているのを発見。

「すんません。ちょっと昨日、若さゆえの向こう見ずさで弾けて飲んじゃいまして」
「若さゆえ、じゃないよ!何考えてんだ、お前は!実習する気があるのか!」
「あの〜、声、頭に響くんスけど」
「知るかァァ!」
「…え〜と、いや、ハイ、すんませんでした」

そうかと思えば。
担当教科の国語では、『走れメロス』を読み解くという授業のさなか、
「要するに、アレだ。この物語は友を信じる気持ちっつーモンが主体となっているわけだ。やっぱり危ない時には必ず来てくれる、とみんなが信じてるんだよ、悟●を。つーか、やっぱり俺的には、ベ●ータ、ピッ●ロといったライバルキャラたちの魅力が少年たちの心をより引き付けていると…」
なんて、いつの間にやら読み解いている物語がメガヒット漫画にすり替わっている。

「…坂田先生」
教室の後ろで監督している小笠原先生に睨まれ、
「…ハイ、すんません」
と、ようやく軌道修正。
そんなことばかりだった。





「あ〜あ。昼メシ食ったら午後からダリーな、オイ」

窓際一番目にある僕の席の前にパイプ椅子を置いて腰掛けた坂田先生が、足を組みながら大あくびをした。

「…坂田先生、いっつもダルそうじゃないですか」
一応小声で正直な感想を述べてみると、
「それもそうだね」
と、アッサリ認められた。
いいのかよ、ソレで。

彼は、授業以外にも、ちょくちょくA組に顔を出す。
昼休みも大概は、売店で買ったパンを片手に教室にやって来る。
普通、教育実習生って、少しでも多くを学ぶべく担当教師にくっついてるもんだと思ってたんだけど。
職員室で次の授業の準備とか、実習日誌の記入とかに余念がなくて、忙しいもんだと思ってたんだけど。

「…坂田先生、昼休みとか職員室にいなくていいんですか?」
「バカ、おめー。あんな堅っ苦しいトコで、いかつい顔したオッサンの隣にずーっといてみ?窒息死しちまうよ。つーか銀八先生でいーって」
「小笠原先生厳しい人だから、なんて言われても知りませんよ。坂田先生」
「気持ちいいほどわかりやすくスルーすんのね。宇都っち」
「やめて下さいよ。宇都っちって」

なんなんだ、本当に。
自分が職員室にいるの嫌だからって、ここに来るのはやめてほしい。
僕はそれ以上構うまいと、手元の参考書に目を戻した。

「昼休みまで熱心なこったなァ、オイ」
呆れたように坂田先生の声がかかる。
「受験生ですから」
「英語ォ?日本人なら国語やろーや」
「苦手なんです、英語。苦手教科克服しないと意味ないじゃないですか」
「そーいや、A組は進学クラスだって小笠原センセーが言ってたな。…にしたって、お前、こんな静かな昼休みアリかよ」

そう、昼食後の時間を利用して、勉強しているのは僕だけではない。
クラス中がそれぞれ、ノートを広げ、教科書を広げ、下を見ている。
交わされる会話も必要最低限といったところ。

「来週テストなんですよ」
「お前らねェ、休み時間つーのは休むためにあんだよ?オンとオフの切り替えが下手な奴ァ大成しねーよ?」

坂田先生の低いけれど通る声は、僕だけじゃなく静かな教室内すべてに向けられているようだった。
でも、誰も、顔を上げようとはしない。

「次のテスト、失敗するわけにいかないんです。うちのクラス。邪魔しないで下さい」
「なんで?なんかあんの?」
「…なんで、って」

前回のテストの後、小笠原先生が僕らに言った言葉を思い出す。

受験を控えた3年生だというのに、自覚が無さ過ぎる。
今年卒業したA組は、去年の今頃もっと高い平均点をとっていたというのに。
物事、結果がすべてだ。結果を出せないようでは、なんの意味も無い。

みんな無言のままに感じたプレッシャーを持ち越したまま、次のテストは目前。
結果を出すこと。
結果とは、良い点を取ること。去年のA組を越えるような。
そうすれば、きっと意味が出る。こうして勉強していることに、意味が見える。
なのにどうして、こんなに漠然とした、何かが見えないような、そんな気持ちなんだろう。
たまに答えを求めて顔を上げてみる。
けれど見渡せば、みんなが下を向いて勉強しているから。
だから慌てて自分も教科書に目を戻す。
そんな、毎日。

「とにかく、みんな集中してるんだから静かにしてあげて下さいよ」
「へーへー」

やっけな返事をしながら、坂田先生はポケットから取り出したタバコを当然のように口にくわえる。
そして火をつけ…ようとしたところで「ああ、違う違う」と我に返ったように手を止め、タバコをしまいなおした。
食後の一服ができねーのは辛ぇーなァ。
教師なんてなるモンじゃねーなァ。
なんて、グダグダ言いながら手の中のジッポを名残惜しげに弄んでは火を付ける。

…まったく。なんて教生なんだろ。ホントに。







放課後。

図書室での勉強に一息ついて顔を上げると、壁の時計が17時を指していた。
もうこんな時間。
最近、時計を見ると気持ちが焦ってばかりだ。
勉強道具をカバンにしまい、図書室を出る。
玄関に向かおうと廊下を歩き出したところで、バッタリ坂田先生に出くわした。

「おー。まだいたの?」
「先生こそ」
「俺ァ、アレだよ。なんかこれから実習の計画案とかたてる話し合いだとよ」
そう言いながら坂田先生は、眉間にシワが寄るほど目を細めて僕の背後を見つめた。
「え〜と…『図書室』?何、お前、もしかして勉強してたの?」
「はぁ。一応」
「オイオイ、今時の受験生はスゲーなァ。ハードだね〜」
「…先生、もしかして目、悪いんですか」
さっきの目の細め方に疑問を感じて僕が聞いてみると、
「あー。なんか最近ヤベーんだよなァ。ジャンプの読み過ぎかな」
と答えが返ってきた。

ジャンプかよ。実は大学でマジメに勉強してるのかな、なんて思った僕がバカだった。

「やっぱさァ、モテるにはメガネよりコンタクトのがいいよね?でもコンタクトたっけーしな。金ねんだよな」

心底どうでもいい悩みを相談され、僕は「お先に失礼します」と横を通り過ぎようとする。
時間、もったいないや。


「宇都ォ」

その時、僕の背中に坂田先生の声がかかった。
僕は仕方なく振り返る。

「…なんですか」
「お前さ。学校、楽しい?」

え?

僕は少しの間返事ができなかった。
クラスメイトはいい奴ばかりだ。
同じクラスになったばかりの春には、教室でも廊下でも、笑いの絶えないクラスだった気もする。
でも。
今は仕方ないし。
楽しさを求めて学校に来ているわけでもないんだし。
そんなの、どうだって、いい。

「楽しいとか、そんなこと言ってる場合じゃないですもん。今は」

僕はそれだけ答えて、坂田先生に背を向けた。
背中に、いつまでも視線を感じたけれど、振り返ることなく歩き続けた。