「おばちゃん、俺、いつもの。ありったけね」 休み時間の購買部。 本来ならば、ここの店主であるおばちゃん以外が立ち入る必要など無いはずのカウンターの内側に当然のように戸を開けて侵入し、壁際のパイプ椅子にふんぞり返った彼の第一声はそれだった。 「客ならもうちょっと客らしい態度取ったらどうだい?」 カウンターの商品整理をしていたおばちゃんは、手を動かしたまま背後に向けてそう返す。もっとも、この男の『客らしい態度』などついぞ見たためしが無いのだから、今更な台詞であるのも十分承知の上だ。 おばちゃんは、黙って目の前に並んだ菓子パンの中からチョコドーナツを5つ選び出し白いビニール袋に入れると、「毎度」と彼の膝に落とした。 「300円」 掌を差し出すと、彼は「ちょい待って」と服のあちこちを探り出す。そして、最後に手を入れたワイシャツの胸ポケットから取り出したものを「ん」と放ってよこした。おばちゃんの手に乗ったのは、未開封の煙草が一箱。 「また負けたのかい」 「人聞きワリー事言うなよ。勝ったからこその成果だよ?ソレ」 「なけなしの金はたいた最後の一勝負でショボイ当たり引いて結局煙草くらいしか取れなかった、ってトコだろ?」 「…かなわねーなァ、おばちゃんには」 「たまにはここの商品買占めできるくらいに大勝ちしとくれよ。賭け事向いてないんじゃないのかい?」 新しい煙草をエプロンの右ポケットにしまい、左ポケットから既に開封済みの箱を取り出す。抜き取った1本に火を付け、深く吸い込んでから、おばちゃんは口を開いた。 「で?」 「ああ?」 「今度は何やらかしたのさ」 投げ掛けた質問に一瞬黙った後、彼は表情を変えぬまま銀色の頭を掻いた。 「だから人聞きワリーよ、おばちゃん。それじゃまるで、いっつも俺が何かやらかしてるみてーじゃねェか」 「そりゃすまないね。やらかしてるようにしか見えないもんでねぇ」 「わかってねーなァ。俺がいかにハートフルでピースフルな男かをわかってねーよ」 ずり落ちたメガネもそのままに咥えた煙草を揺らすその姿から、何をわかれと言うのか。そうは思うものの、おばちゃんは「そうかいそうかい」と適当に受け流す。 この尿から糖が出る程の甘党男が、好物のチョコドーナツを1日1個ずつ買っていくのはいつもの事。だが、時折こうして『ありったけ』を仕入れていく事がある。要は買い溜め≠ナある。しばらく購買に来れない時には、事前にありったけを買い溜め。では、しばらく購買に来れないとはどんな時か。彼が自ら語る事は無いが見当はつく。一つは夏休み冬休みなどの長期休みの前。そしてもう一つは。 「バカだねぇ、アンタもつくづく」 おばちゃんはカウンターにもたれながら、もう一つの理由を思い、溜息混じりに吐き捨てた。 「もっと上手いこと立ち回りゃいいのにさ。校長怒らせたって何もいい事ないだろ?」 「だーから、なんもしてねーって」 おばちゃんは、購買のおばちゃんで。教室に行くことも無ければ、職員室に行く事も滅多に無い。けれど、ここにいれば色んな生徒から色んな噂がごく自然に耳に入ってくる。このダラダラとした教師が、教室や職員室でもやっぱりダラダラしていて、いつPTAに訴えられてもおかしくないような教師である事。そしてその行動が常に校長の怒りに触れている事も。 これまでに幾度か、彼はこうして購買にチョコドーナツの買い占めをしにやって来た。しばらく学校に来られなくなるかもしれない程に、校長を怒らせる何かをしたからだ。けれど、生徒の噂を聞くまでもなくおばちゃんにもわかる事がある。そんな事になる時の彼の行動は、自分のためではなく生徒のための何かであっただろう事。言えば白を切るか全面的に否定されるかのどちらかである事もわかっているため、おばちゃんはあえてそれ以上を口には出さなかった。 「チョコドーナツ5個で足りんのかい?」 「そうねェ。足りないかもねェ」 自分の事だろうに。非常に投げ遣りでどうでも良さそうな態度もいつもの事。 「呑気なもんだねぇ」 「ま、しゃーねんじゃね?しばらく休めんなら気楽でいーし。ジタバタ慌てる理由もねェよ。『上手い事立ち回る』っつーのが、てめーのしてぇこと我慢するっつー事なら、そんな疲れること俺ァ御免だしよ」 「…ほんと、バカだねェ。アンタ」 呆れたように言いながらもおばちゃんの中には、実際心配はあまり無かった。だっておばちゃんは知っているから。 これまでこんな事は何度もあった。けれど、いつも最終的には。 「おばちゃんー。金時見んかったかのう」 不意に背後で明るい声が響き、振り返る。カウンターの向こうには、もじゃもじゃ頭の男が立っている。よく購買にもやって来る、この学校の教師。 「金時≠チつー奴なら見てねーって言ってやってくんね?おばちゃん」 奥のパイプ椅子で後ろ頭に手を組んだままそう言う彼の存在にようやく気付いたらしい同僚の数学教師は、「おお、こんなトコにおったがかー」とカウンターから身を乗り出して中を覗き込んだ。 「おんしゃーこんなトコでまた油売ってからに。校長がえらく探しちょったぞ?」 「だからここにいんだろ。ったく、あの触覚オヤジ、うるさくてしゃーねーや」 「まったくじゃのー。お、今日はチョコドーナツもう無いがか?おばちゃん」 「そこの甘党教師が買い占めちまったよ」 「金時ィ。もう買い溜めの必要は無くなったきに、ワシにも一個分けてくれんかのー」 「は?なんで?」 「わしも何を隠そうチョコドーナツのファンでのー。この値段でこの味、なかなか他所では味わえん…」 「いや、そっちじゃなくて」 訝しがる彼に、数学教師はニヤリと笑って。そして、「さぁ?校長が気ィ変わってしもーたんじゃなかか?」とだけ答えた。しばし黙っていた彼は、手元の袋からチョコドーナツを一つ、カウンターの向こうに放る。空中でキャッチしたそれを手に、「悪いのー」と数学教師は高笑いと共に去っていった。残された彼は、組んだ足を揺らして首の後ろを掻きながら、黙ったまま。 それは予想通り、そしていつも通りの展開。 「ホント、この学校にゃ、おせっかいが多いねぇ」 「…何だよ、おばちゃん。おせっかい≠チて」 「さぁてね。アタシゃただの購買のおばちゃんだからね。アンタにわからないことわかるわけないだろ?」 彼がチョコドーナツを買い占めに来た後には、必ずおせっかい≠ニいう名の何かが出没するのだ。それが果たして生徒なのか教師仲間なのか、購買のおばちゃんには知る由も無い。けれど知っているのは、この男がおせっかい≠ノ愛されているという、そのことだけ。そして彼は結局、買い占めに来た翌日も購買にやって来るのだ。「来ないんじゃなかったのかい?」というおばちゃんの質問に「あー?そうだっけ?」と、すっとぼけた事を言いながら。 いつだって生徒に囲まれ、教師仲間と悪態をつきあい。かったるそうに、けれど、満更でもなさそうに。この購買のカウンター越しに見える景色は狭いけれど、そんな彼の姿はちゃんと見えている。そしてそれは、明日からも消えることはない。 「ま、明日も学校来んならチョコドーナツそんなにいらないだろ?返しな。人気商品なんだから」 「そうなっちゃう?おばちゃん。ソレとコレとは別の話だろ。俺も客よ?」 「客ぶんなら金払ってから言いな」 「煙草やったろーがよ」 「この平成の世に物々交換がまかり通る店がどこにあるってのさ。イヤならツケとくから間違いなく払いに来な」 ほんとかなわねーなァ、おばちゃんには。 彼の溜息と同時に、休み時間終了を告げる鐘が鳴る。 ダルそうに立ち上がり、戸に手をかけた彼は一度だけ振り返ると。 「じゃ、面倒くせーけどバカ共の相手してくらァ」 そう言って、口元に笑みを浮かべた。 「バカ同士、お似合いだろ」 その背中に小さく投げ捨てると白衣の右手が振り返らぬまま軽く上がり、ゆっくり戸の向こうに消えた。 人気商品チョコドーナツが昼休みを待たずして完売した銀魂高校購買部は、本日も売り上げ好調だ。 |