それぞれの教室で、真剣に。あるいはまどろみながら。あるいは昼休みに思いを馳せながら。 生徒たちが授業を受ける、火曜日4時限目。 人気の無い静かな廊下の1番奥。 小さなカウンターのガラス窓は、準備中の札と共にまだ閉じられたまま。 その向こうには、たった今業者が置いていったばかりのパンのケースが積まれている。 ここは銀魂高校購買部。 もうすぐ、お腹を空かせた生徒達が溢れんばかりにやって来る。 嵐の前の、静けさ。 「おばちゃんよォ。ここ、いつんなったらタバコ置いてくれんの?」 開店前の購買の中。 店内奥に置かれたパイプ椅子にだらしなく腰掛けた白衣の教師が、ポケットから出したタバコのパッケージを覗き込み、くしゃりと握りつぶしてそう言った。 「ここは健全な学生のための売店だよ。ヤニくさいオヤジのリクエストなんか聞いてられるかい」 真っ白いエプロンと三角巾に身を包んだ、通称「購買のおばちゃん」は、プラスチックの平たいケースの蓋を開け、菓子パンを並べながら冷たく言い返す。 この2人にとって、こんなものは今に始まったやり取りではない。 だからおばちゃんはわかっている。 この男がこんなことを言い出す時、何を求めているのかくらい、十分に。 「ホラ。切らす前に買っときなよ、ヘビースモーカーが」 エプロンのポケットから取り出した箱をおばちゃんは後ろに放り投げた。 空中でキャッチしたそれを、メガネの奥の死んだ目がまじまじと眺める。 「ピースっておばちゃん…。渋いな、オイ。俺よりキツイの吸ってんじゃねーか」 「アンタのなんだっけ?マルボロだっけ?あんなモン吸った気しないだろ」 かなわねーなァ、おばちゃんには。 小さなつぶやきと共に、長い指が箱から1本を抜き取った。 火を付け、煙を吸い込んだ彼は、ようやく落ち着いたといった顔で椅子に深くもたれる。そして、 「いいな、コレ。俺もコレに変えっかな」 タバコの箱をもう一度眺めながら煙交じりにそうつぶやいた。 「やめときなよ。体にいいモンじゃないんだからさ。何も今からキツいのに変えるこたないだろ?」 きれいに並べられた惣菜パンの隣に今度はおにぎりが整列していく。 いつも通りの慣れた作業は、話しながらでもスピードが落ちることはない。 「おばちゃんこそトシなんだから気ィ使ったほういーんじゃねーの」 「アタシはいいんだよ。もう子ども達も独立したしさ。人生やり遂げたよ、十分に。でも、アンタにゃ死んだら泣くコがいるんじゃないのかい?」 商品整理を続けたままのおばちゃんの言葉に天井を仰ぎ見た彼は、ゆっくり煙を吹き上げた。 「泣くわなァ、そりゃ」 「たいした自信じゃないのさ」 「まぁ、俺みてーのといつまでもくっついてるよりは、ナイスガイに切り替える機会になっていいかもしんねーけどな」 冗談とも本気ともつかない表情でそう答え、小さな窓の向こうの四角い空を眺める。 おばちゃんは、並び終えた昼食たちに背を向け、カウンターにもたれてそんな彼を見下ろした。 そして手の中のタバコを取り上げ、同じように1本くわえる。 彼はそんなおばちゃんに、白衣のポケットから取り出したジッポの火を慣れた様子で差し出す。 タバコの先にじわりと移った炎が、ほんの一瞬赤くチラついた。 「ナイスガイがいいなら、ハナからアンタ選びやしないだろ。それに」 おばちゃんは一度言葉を切ると、ポケットから取り出した携帯灰皿に灰を落とす。 「そもそも大人しく成仏して他の奴に手ェ出させとくよーなタマかい?アンタが」 開店前の購買内に、ゆるく立ち上る2筋の煙。 彼はあーあ、と溜息をつきながら椅子から立ち上がった。 「ほんっと、かなわねーやなァ。おばちゃんには」 「当たり前だろ。ケツの青い新米教師の頃からアンタのこと知ってんだよ、アタシは」 へーへー、いつも世話んなってます。 言いながらポケットに手を突っ込み、購買と廊下を繋ぐドアへと歩き出す。 もうすぐ、授業が終わる時間だ。 「おばちゃんもよォ」 ドアの前で立ち止まり、彼が首だけ振り返った。 「なにさ」 「もーすぐ孫生まれんだろ?人生やり遂げちまう前に、孫にメロメロなバババカっぷり発揮してくれや。笑ってやっからよ」 口元で小さく笑い、彼はそう言い置いて購買部を出て行った。 歪んだドアのさび付いたノブが、一拍遅れて鈍い音をたてる。 「銀八」 カウンターのガラス戸を開けると、購買前を横切り廊下をダラダラと歩く白衣の背中におばちゃんは呼びかけた。 振り返った彼の手に、もう一度、小さな箱が弧を描いて飛んで来る。 「持っていきな」 手の中のタバコを一瞥し、銀八は「サンキュ」と片手を上げた。 チャイムが鳴る。 4時限目終了。 廊下の向こうから聞こえ出す、足音。ざわめき。笑い声。 昼休みの購買部に、もうすぐかわいいお客たちがやって来る。 |