土曜日に集合(前)
ふわふわと柔らかに頬をかすめる風が心地良い、土曜日、午前10時。 今私は、銀八先生のアパートの前にいる。 と、言っても、デートのお誘いを受けたわけではなく、それどころか私一人なわけでもなく。 「へー、ここが銀八センセんちアルか。ビンボなくせに割といいトコ住んでんな、アンニャロー」 右隣には神楽ちゃん。 「僕も、家の前まで来たことはあったけど、中入ったことはないなー」 左隣に新八君。 「いいのかよ。電話もしてねーけど。ほんとにいんのか?あいつ」 斜め前には土方君。 「休日の午前中にいそいそ出かける人には見えやせんがねェ」 その隣で沖田君。 「で?ちゃんは、中入ったことあるの?あるんでしょ?もちろん」 後方から興味深げに笑顔で尋ねてくるのは妙ちゃん。 「家入ったアルか?!!大人の階段のぼってシンデレラアルか?それとも翼ポッキリ折れたエンジェルの方アルか?」 「ええっ。それ、どう違うの?」 「ていうか神楽ちゃん。選曲、微妙なラインで古いよね」 慌てる私とは裏腹に冷静な新八君のツッコミ。 この顔ぶれが集まれば、休日とは言え一気にいつもの教室のノリとなってしまう。 先生の住むこのアパートに私が入ったのは、あの雨の日の一度だけ。 あれから1週間が過ぎた。 銀八先生の公表を受けて、Z組の仲間たちからは時々2人の関係についてのこんなツッコミが来るけれど。 現実には私と先生は、その後、学校以外で会う事も無く。 携帯番号とメールアドレスを教えてもらいはしたものの、情けないかな連絡する勇気がなかなか持てない。 だって、銀八先生は以前、「メールとかよォ〜大して中身もねェ長文、よく親指でポチポチポチポチ打ち続けられるよね。ダルくね?ソレ。つーか携帯っつーモン自体がダリぃ」などと、携帯をいじる生徒たちにグダグダ言っていたのを知っているから。 それを思い出してしまうと、なんとなく、尻込み。 それでも。 あれ以来、放課後は国語科準備室に立ち寄ってから帰ることが毎日の日課で。 それを当たり前のように「おー」と迎え入れてくれる先生がいることが、何より今の自分には幸せなことだった。 ところで何故私たちが、休日の担任宅を訪れているかというと。 その経緯は、遡ること1時間前の午前9時。 私たちのそもそもの集合場所であった図書館からスタートする。 私たちは、現代社会の授業で行なわれる自由研究グループとして集まった6人。 現代の社会について、なんでもいいからテーマを絞って、研究し、結果をまとめて、来週の授業で発表する、という非常に面倒なモノ。 その課題をこなすために、土曜日だというのに学校近くの公立図書館へやって来た。 他グループのように、休み時間やら放課後やらを利用して少しずつまとめる手もあるのだが、もうこの際、休日に集まって面倒事は一気にカタをつけてしまおう、という方向に意見が一致したからだ。 もちろん全員、気合十分な表情で図書館に突入はしたものの、15分後には「てめーら、うるせェ!ここどこだと思ってんだ!」 と図書館の職員に追い出されていた。 まぁ、無理もないんだけれど。 神楽ちゃんは、「飲食禁止」の張り紙をバックに、ずうっと酢昆布ポリポリ。 沖田君は、「世界の呪い」なんていうおどろおどろしい本を眺めて「待ってろィ、土方ァ」なんてニヤニヤ。 それを見た土方君が「やられる前にやってやらァ!」って沖田君に飛びかかって。 「お妙さん!土曜日の図書館なんて絶好のデートスポットですよね!」なんて、まるでグループの違う近藤君までが机の下から出てきて、あげく妙ちゃんに殴り飛ばされるという混乱ぶり。 新八君は、その全てにツッコまなきゃいけないし。 もう、とにかく。 勉学に励まんとする…気持ちだけはある私たち学生の行き場が、無くなってしまったのだ。 「どうする?」 「しょうがないわ。新ちゃん。皆さんうちに来てもらいましょう。ちょうど新作の卵料理の感想も聞きたかったし」 「そうと決まれば早速行きましょう!お妙さ」 「だぁ〜から、お呼びじゃねーんだよ!ゴリラァァ!!」 本日2度目の近藤ロケット発射を見送って。 そして全員、妙ちゃんの提案にはあえて乗らず「どうする?」ともう一度頭をつき合わせた。 「しゃーねェ。うちで土方スペシャルティーでも飲みながら…」 「どうする?」 もちろんスルー。 「どうでィ?うちで呪いのビデオでも見ながら…」 「どうする?」 もちろんスルー。 でも、ほんとどうしよう。 留学生の神楽ちゃんは寮だから難しいし、うちは遠いし。 「あのー。銀八先生んち、行ってみません?」 新八君の一言に、やっとみんなが黙って注目した。 「先生んち、ここから近いし。ほかに場所も無さそうだし」 えー、入れてくれるかな。 汚そう。 めっさ文句言われそー。 口々にそんな言葉が出るものの、担任の自宅というものは、良くも悪くも興味をそそられるもので。 結局、新八君の案に乗っかり、今に至るのである。 そして私たちは今、銀八先生宅玄関前。 あの人は金曜日は絶対飲んだくれていて土曜日は下手すりゃ夕方まで寝てるだろうから、この時間は確実に家にいる。 …と、いうのが新八君の実に手堅い予想。 その上、門前払い防止のためのケーキまで購入して、準備は万端。 「いざとなったら、こっちにはがいるネ。を人質にして立てこもれば、アイツも言うこと聞くはずヨ」 「いや、その立てこもる場所が無いからこうなってるんだけどね」 インターホンを押しながら新八君がポツリと言った。 こんなの、先生は迷惑かもしれないけれど。 休みの日に先生に会えるなんて、嘘みたいでうれしい。 新八君に感謝しなきゃ、だよね。 「あれぇ。出てこないなぁ」 「そんな押し方じゃダメネ。ホアタァァァ!」 新八君を押し退けた神楽ちゃんは、気合の入った掛け声と共にインターホンを高橋名人並みに連打した。 しばしの静寂。 もう一度、とばかりに神楽ちゃんがインターホンに手を伸ばした時、ドアノブがガチャガチャと実に面倒臭そうに動いた。 そしてドアの隙間から、銀色のフワフワが顔を覗かせる。 「…るっせーんだよ誰だコラ、殺すぞ」 いかにも寝起きの、ドスの効いた低い声とボサボサに乱れた頭。眠たげに半開きの死んだ目。…どちらもいつも通りと言えばいつも通りなんだけれど。 いつもと違うところと言えば、白衣の代わりのTシャツと、メガネをしていないその顔。 「おはよーございます!銀八先生!」 私たちは声をそろえた。 …数秒の間。 先生は黙ってドアを閉めようとする。 「いやいやいや!」と、慌ててそれを全員で押さえた。 「んだよ、てめーら。休みに何しに来やがったんだよ。俺ァ二日酔いなんだよ。冷やかしならいらねーからとっとと帰れ」 「いやいや、先生。せっかく来たんですから入れてくださいよー」 「ケーキありやすぜィ」 「もいるアルよ」 ドアの隙間で、心底迷惑そうに、はぁ?と顔をしかめる先生。 最後の神楽ちゃんの言葉で、後ろの方で様子を見ていた私にようやく気付いたらしい。 そして、 「おー、おめーら気がきくじゃねーか。よし、そいつだけ置いて帰れ」 来い来い、と私に手招き。 …うれしいけど。そんなの、すごいうれしいけれど。でも、今日は、そうじゃなくて。 「急にごめんね、先生。あのね、今日はみんなで課題やりたくて集まったんだけどね、行く場所が無くなっちゃって。それでね」 なんだか申し訳なくなってきて、しどろもどろに事情を説明すると、先生はますます、はぁ?という目になった。 「がこんなに頼んでるのに、冷たい男ネ!」 「そーですよー。入れてくれないんなら、連れて帰っちゃいますからね」 そんな彼に後ろから加勢…というか野次が飛ぶ。 「あーもう、うるせーうるせー!わかったから、さっさと入れや!ご近所さんに迷惑だろーが!」 バリバリ頭を掻きながら、観念したように銀八先生は中に入っていった。 「へぇー。以外ときれいにしてるじゃないですか」 「本当ねぇ。つまらないわー」 興味津々に部屋の中を眺め回す一同をよそに、先生はソファにもたれてだるそうに天井を仰いでいる。 具合、悪そう。 心配になって、その顔をのぞき込んだ。 「先生、大丈夫?具合悪いの?」 「もーこいつらうるせーから、放っといて一緒に寝るか」 しれっと言う先生がどこまで本気かわからなくて、答えが返せなくなる。 学生の勉学の邪魔しないで下さい、と後ろで新八君が私に代わってツッコんでくれた。 「あー?そういや何だよ課題って。んな、休日に寝起きドッキリしろなんて課題、俺ァ出した覚えねーぞ。大成功でもなんでもないからね、こんなもん」 「いや、そんな課題、誰も出しませんから。現代社会の自由研究です」 新八君の答えに、先生は眉間に深い深いシワを寄せた。 「で、なんでうちよ?社会のべんきょーは社会の荒波の中に出てやりなさい。俺かんけーねーし」 アクビをかかみ殺しながら、ようやく机の上のメガネをかけ、コキコキと首を鳴らす先生。 文句は言うものの、どうやらもう、この事態に関しては諦めたらしく。 あーあ、と溜息をつきながらリビングを出て洗面所の方へと消えて行った。 「、毎日ここに通い妻してるアルか?もうのパジャマとか、歯ブラシとか置いてるアルか?」 唐突に神楽ちゃんが私の腕を掴んだ。 「通ってなんかいないよ、全然」 「隠してもムダでさァ。初めてって感じじゃねーぜィ?」 意地悪くニヤつく沖田君に 「そうだけど、だって一度雨やどりさせてもらっただけだし…」 つい、正直に答えてしまう。 …誘導尋問だよね?これ。 まんまと引っかかってしまった。 「やっぱ来てんじゃねーか」 おもしろくなさそうに土方君がボソリとつぶやいた。 何?その反応。 「んだよ。なーにうちのイジメてくれちゃってんのよ?」 顔を洗ってきたらしい銀八先生が、部屋に戻ってきた。 うちの?うちの、って言った?今。 何気ない一言に反応してしまう私の顔を見て新八君が 「…こんなうれしそうにイジメられる人いないですよ」 と、つぶやいた。 「聞きやしたぜィ。ここで雨やどりさせてあげたそうじゃねーですか。先生もやりますねィ」 「たりめーだろーが。一緒に帰っててイキナリ大雨、なんつーおいしいシチュエーション逃すようじゃあ男じゃねーよ」 楽しげな沖田君の追求に、至極当然という顔で答える先生。 「教師が、んな軽く生徒に手ェ出していいっつーのか?」 冷たく言い放ったのは土方君だ。 なんか、さっきから、機嫌悪いかも。 「勘違いすんなよ?土方君?俺ァ軽くなんか手ぇ出しちゃいねェよ?」 …。 なんだか一瞬、静まった。 なんだろう、この感じ。 「…ケーキでも食べましょーかぁ!」 その静けさを打ち破ろうとしたらしい新八君の、無駄に明るい声が部屋中に響いた。 「おめーらショートケーキとチョコレートケーキは俺んだぞ」 さっきの雰囲気はどこへやら。一気に銀八先生の心はケーキへと移り変わっている。 「いや、あの、一人一個ずつですから」 そして結局ケーキ争奪で、また、一気に場は騒がしくなる。 みんなに混じってケーキ箱をのぞき込む銀八先生を見つめていると、先生もこちらを見た。 見ていた事に気付かれて恥ずかしくなるけれど、目が離せない。 先生は、少しだけ、優しい顔で笑った。 やっぱり、会えてうれしい。 いつもは寂しい土曜日が、今日は、こんなにうれしい。 …でも忘れかけてたけど、こんな感じで課題、ちゃんと終わるんだろうか。 【つづく】 |