賑々しい屯所の朝。 大方の隊士たちが朝食を終えて朝稽古やら仕事前の武器の手入れやらのため食堂を散り出す頃、まるで年頃とは思えぬ大欠伸で喉の奥の奥までを晒しながら彼女がやって来る。 「おはようございます、沖田隊長」 「…はよー」 かったるそうな顔。いかにも面倒臭いから適当に結わえましたと言わんばかりの、もしゃもしゃの髪。 彼女の朝のテンションは日によって違うが、大方、夜明けのガス灯のようにぼんやりとした顔でこうして現れ、しゃっきりとしている事はあまり無い。低血圧的なものかと思えば、仕事で派手に暴れて寝不足であるはずの翌朝ほど意気揚々としていたりもするので、実際のところはよくわからない。 |
「朝っぱらからシケたツラだなァ。一日の始まりはお天道さんに感謝して清々しく迎えにゃあならねーよ?」 食後のお茶をすする近藤局長が、その向かいに腰を下ろしてテーブルに頭を付けた沖田隊長に和やかな表情で声を掛けた。 「ここのムサイ野郎共にアタシが清々しさで負けるわきゃねーでしょ」 「いーや、俺の清々しさには誰も勝てやしねーな。なァ?永倉?」 「…僕ヨイショ苦手なんで同意求めないでもらえますか、局長」 いくら白い歯をキラリとさせて笑って見せたところで局長の主張に同意はしかねるというもので。そんな自分に若干納得のいかない様子で眉間にシワを寄せるその様は、ますます清々しさからは遠ざかっている。 「沖田隊長、朝食は?」 「んー、いらねー」 「髪ボサボサですよ?」 「んー、どーでもいー」 仮にも一番隊の隊長ともあろう人が朝からこうでは隊の士気に関わるというものではないだろうか。困ったもんだなぁオイ、などと笑っているだけで沖田隊長には甘い局長の代わりにここは僕が一言…。口を開きかけた時、食堂の入口に現れたもう一つの寝惚け顔が目に留まった。 「…おはようございます、副長」 「…あ〜、はよーさん…」 沖田隊長以上にダルそうな表情でその左隣に腰掛けた副長は、大きく欠伸を一つ。「まったくおめーらは朝から活きがワリィな」。そう言って向かいで笑う近藤局長こそがもっとも夜の似合うナリをしているというのに、なんだかんだで彼はこの2人に比べれば格段に朝に強い。というか、一番隊隊長どころか副長までもがこうでは、隊の士気どころではない。真選組自体の士気がどうなっちゃうんだ。まぁ、どちらも今に始まったことではないわけだが。 「副長、朝食食べないんですか?」 盆を取りに行こうともせず煙草に火を付けた彼に同じ事を尋ねてみる。いらね、と短い返答。 「なんだ、二日酔いか?仕事に影響が出るような飲み方は良くねーなァ」 楽しげな局長に副長の顔が曇る。 「アンタに付き合わされたんだろーが、アンタに。ったく、飲むだけ飲んで一人でバタッと寝やがって。誰が担いで帰ったと思ってんだよ」 「酒ァ楽しく飲んでバッタリ寝んのが一番よ。翌朝に引きずるよーな飲み方してるうちはまだまだ青いねぇ、トシ」 この屯所内で副長に対して『青い』などと言えてしまうのは局長くらいのものだ。…ああ、違う。もう一人いるか。別の意味で言いたい放題な人が。 それ以上の反論は諦めたらしい副長の隣で、テーブルに額を付けたまま先程から動かない、そのもう一人=B 「…オイ、なんだコレ。死んでんのか」 そのボサボサ頭を指差しこちらを見る副長。直後、動かない頭から声が。うるせーお前が死ね、土方。そしてすぐに煙交じりの反論が。いーやお前が死ね、沖田。 のっそりと顔を上げた沖田隊長の額には、テーブルに預けた頭の重みでくっきりと赤い跡が。そしてまた欠伸を一つ。つられるように副長も大きく口を開ける。欠伸というのは、本当に伝染するものらしい。危うく欠伸ウイルスに感染するところだった自分は、どうにかそれを噛み殺す。 ふと、副長がくわえ煙草のまま右手を伸ばした。その手が向かう先は沖田隊長の歪んだ結わえ髪。人差し指で髪留めを引っ張り、無造作に纏められていた長い髪を背中に落とす。そして副長は無言のまま顎で彼女に指示を出した。彼女は逆らうでも不思議がるでもなく、指示通り彼に背を向ける。眠たげに目を半分閉じたまま、のろのろと。 その髪を指で梳き、当たり前のように結わえ直し始める副長。…ていうか、お母さん?お母さんの行動ですよね?副長、ソレ。 対して髪が引っ張られる方向にやる気なく首を傾け、されるがままの沖田隊長は、何だかもうそのまま眠ってしまいそうな勢いだ。 「おめーはちったァ身だしなみに気ィ使え。そして朝メシくらい食え。大きくなれねーぞ」 「大きくってどこがですかィ」 「別に乳とは言ってねーよ」 「言ってんじゃねーか。つーかその台詞そっくり土方さんにお返ししまさァ」 「俺ァいんだよ、別に。もうデカくなんなくても」 「じゃあアタシもこれ以上デカくなんなくていーや。邪魔くさくてしゃーねーし」 「いや、だから乳の話はしてねぇよ」 「近藤さーん。土方さんがうるせェ。つーかうぜェ。引退させてェ」 「…いや、言い過ぎじゃね?」 「まーまー。いいじゃねぇか、トシ。何も食いたくねーなら無理して食うこたァねーよ」 そんな沖田隊長の投げ掛けに新聞紙を広げて呑気に笑う局長。…ってソレ、お父さん?『お父さんは甘やかし過ぎよ』ってお母さんに怒られちゃうタイプのお父さんの台詞ですよね?ソレ完璧に。 お父さんという味方を得て、「そーだそーだ土方死ねコノヤロー」と言いたい放題の娘にもう何も言う気力を無くしたらしいお母さん…じゃない副長は、綺麗に結い直した沖田隊長の髪から手を離した。そして煙草を灰皿に押し付けると、僕が差し出した熱いお茶を一口すすって「あー」と溜息。そんなダルそうな副長を横目で見た沖田隊長が局長の袖を引っ張る。 「近藤さん、いっつも土方のヤローばっかり飲みに連れてってズリーや。今度アタシも連れてって下せェよ。土方さん抜きで」 「ダメ」 意外にきっぱりとそう言った局長に沖田隊長が口を尖らせる。 「なんでですかィ」 「おめーをあんなトコに連れてけるか、バカヤロー」 「…あんなトコってどんなトコ行ってんですか」 局長の発言に、横で聞いていた自分の方がついツッコミを入れてしまう。 「どんなトコだろうがそんなトコだろうがなァ、夜のかぶき町なんざロクでもねーのよ。おめーなんかがフラフラしてたらなァ、顔ばっかイケてるチャラい坊主共が寄ってきて、おねーちゃんカワイイねーとか調子いい事言い出して、甘〜い言葉で飲まされたり貢がされたり連れ込まれたり…そんなのは許さねェェ!許さねェぞ!総司ィィィ!」 話がエスカレートしていくうちに勝手に興奮し出した局長が、拳を握り締めながら沖田隊長に詰め寄った。「どこまで飛躍すんだよ」「どこまで飛躍すんですかィ」。副長と沖田隊長のツッコミはほぼ同時。…ていうか、やっぱりお父さんの反応ですよ、局長。 「おめーもそう思うだろ?永倉」 急に自分に振ってきた局長に、ええ?とつい声が出る。 「そう思うだろって言われても…沖田隊長は貢がせても貢がないだろうし、連れ込まれる前に蹴り飛ばしてるでしょうからイメージがまるで湧かないんですけど」 「違いねぇや」 正直な感想を述べると副長が短い笑い声を上げた。 「違いねぇけど、なんか腹立つ」 その隣で沖田隊長がこちらを睨んでいる。…って、ええ!?僕!? 「それにしても」 そこに横から入り込んできたのは、局長の声。3人共、口をつぐんだ。不思議と人を注目させる声を持っているのも、この人が局長である所以の一つなのだろうか。そんな事をふと考える。 「いい天気だねぇ、今日は」 そんな彼の、唐突で、なんとも平和な一言。 つい、局長の目線を追って窓の向こうの空を見た。 ああ、本当に。 清々しくも身の引き締まるような青い、青い空。 「じゃあそろそろ朝礼の時間ですし行きましょうか!」 さぁ今日も真選組の一日が始まる。気持ちを切り替えるべく、力強く立ち上がって三人を振り返った…が、しかし。 「朝礼めんどくせーや。アタシの代わりに出といて、永倉」 「あー、まだ頭痛ェー」 「しょーのねぇ奴らだなァ、ほんとに」 まるで立ち上がろうとせずグダグダなままの二人と、新聞を目で追ったまま他人事のように漏らす一人。 まったくこの人たちは。 やる時はやるクセに、どうしてこう、やらない時は全力でやらないんだろうか。本当に。 溜息を一つついて。そして顔を上げた。 「もー!シャキッとしましょうよ、シャキッと!」 一声、大きく述べると、ようやく3人がこちらを見た。 「副長!」 「…なんだよ急に。怖ェな」 「僕いつもの二日酔いに効くお茶買ってきますから、朝礼先に始めてて下さい。それから沖田隊長!隊長は朝ごはん食べて下さい。僕もらって来るんで。朝食食べないと血糖値が上がらなくて脳も働かないんですからね?」 まるで頭も体も働かないといった2人を見兼ねて一気にそれだけまくし立てた。「…ハイすんません」。副長が小さくそう漏らす。その様子に笑い声を上げる局長。 「永倉の言う通りだぞ?おめぇら。朝礼ってのは引継ぎや報告のためだけじゃねェ。気持ちを切り替えて今日と言う日を始めるための真選組にとって大事な儀式だ。シャキッとしねーとな、シャキッと」 「局長」 「おう、なんだ永倉」 「なら局長もたまには朝礼出て下さい。僕見たことないんですけど、局長がいるの」 そう、局長は基本朝礼に姿を見せない。早起きのクセに。トシに任せてるからいーのよ、というのが局長のいつもの言い分だ。真意は単に面倒なだけである事は誰もが知っている。 「えええ?いや、俺ァいーんじゃねぇか?俺ァ。トシがいりゃ大丈夫だって。副長デキるから。局長いらねぇから」 「大事な儀式なんですよね?真選組にとって」 ダメ押ししてみると、「…ハイわかりました」と諦めたように目を反らす局長。そして肩をすくめながら副長の方へと顔を寄せる。 「…2番目ってーのはどこの世界でもしっかり育つもんだなァ?トシ」 「あー…そうねェ。カ●オくんよりワ●メちゃんの方がしっかりしてるもんね」 「何言ってんでィ。カ●オほど知恵と処世術に長けた小学生はいやせんぜ?」 顔を見合わせてそんな事を言い出す3人。『2番目』って何だよ、『2番目』って。一瞬、うっかり緩んでしまいそうになった口元をあえて引き締め、不満げな顔を作った。そして食堂を出る。 あんなドSで口の悪い姉いないし、あんなヘビースモーカーで二日酔いなお母さんもいないし、あんな人相の悪いマダオなお父さんもいない。 心の中で全否定しながらも、何故かくすぐったい、不思議な感覚。 恋人とか家族とか兄弟とか友人とか同士とか悪友とか。そんな用意された単語のどれも当てはまるようで当てはまらなくて。初めて見た時から不思議で仕方なくて。それでいて、今でもやっぱり掴めなくて。 そんな3人の中に、いつのまにか引きずり込まれていた自分が。決して届かないと思っていたその中に、少しだけ近付いていた自分が。本当は、少しだけ嬉しいだなんて。 朝礼前に交わされるこんな小さくてくだらない朝礼が、実は少し楽しいだなんて。 …言いませんけどね。 そんな事、あの3人には絶対に。 |