背中
「今日のお相手は随分としぶてーんだねェ」
声を掛けると、一休みよろしく竹刀にもたれてしゃがみ込んでいた2人と、立ったまま蔵の扉を睨んでいた小柄な1人とが同時に振り返った。
「沖田隊長…そうみたいなんですよ。僕も今来たとこなんですけど、なかなか口が堅いらしくて」
立っていた隊士、永倉新八は困ったように肩をすくめながら溜息をついた。
「俺ら2人で多少痛めつけてやったんだがね、まるで口割りやがらねぇすよ、野郎」
竹刀を持っていたうちの一人も渋い顔で煙を吐き出す。
昨夜二番隊が、以前から追っていた攘夷浪士を見事捕らえた事はもちろん聞き及んでいた。
大きな組織ではないものの、そいつに数人の仲間がいることも既に調査済み。上手く口を割らせることができれば、一気にアジトを叩くことができる。そのため落ち着く間もなく、こうして朝から尋問に入っているというわけだ。
「…こいつァ副長呼んで来た方良さそうだな」
1人がふとつぶやいた。永倉も、うーんとうなりながら、「どっちにしても一度報告に行かなきゃならないですしね…」と頭を掻く。
仲間が捕まった事に相手が気付けば、アジトを移す可能性が高い。いや、もしかしたら既に動いている可能性もある。あまり時間をかけてもいられないのは事実。
「どれ、アタシが一丁もんでやらァ。あの陰険ヤロー呼んで来る必要なんざねェよ」
隊士の1人が体を寄りかからせていた竹刀を奪った。バランスを崩したそいつが地面に倒れる音が聞こえるが、お構い無しに蔵の扉へと向かう。
「沖田隊長、なら僕も…」
後ろを追ってくる声。ポンと肩を叩く手を「いーって、アタシ1人で…」と払いながら永倉を睨み付けた…つもりが、そこにいたのは予想とは別の人物だった。
「すんませんねェ、陰険ヤローで」
銀色の髪の下でイヤミっぽく半開きにした目がこちらを見ていた。
「…うーわ」
「『うーわ』とは何よ、『うーわ』とは」
呼ばなくていいって、言ったのに。
誰だ、と他の隊士共を睨むが、どいつもこいつも「違う違う」と慌てたように頭を振るのみ。
その様子に彼は、「別に誰にも呼ばれちゃいねーよ」と咥えた煙草を揺らした。
「仲間のアジト吐かせるって永倉に聞いてから3時間も何の報告もねェんだ。上司としちゃあ様子くれー見に来んのが当然だろーがよ」
「すいません、副長…。なかなかしぶとい奴みたいで」
永倉がすまなそうに下を向く。
「まぁ、その位気合の入った奴じゃなきゃ真選組の動き甲斐がねェやなァ」
当たり前のように自分を押し退けて扉に手を掛ける背中を「よろしくお願いします、副長!」と見送る隊士共。いつの間にやら、自分が行くつもりだった役目はコイツに取って代わられている。ちょっと待て。なんかおかしい。力強くその隊服の裾を引いた。
「何気にしゃしゃり出て来ねーで下せェよ」
「沖田、お前そろそろ見廻り交代の時間だろーが。こっちはいーからとっとと行け」
「んなモン、他の奴に任しときゃいーや」
「バカ言ってんじゃねーよ。仲間がとっ捕まってんだ。残党がどんな動きするかわからねェ今、スキ見せるわけにゃあいかねー事くらいわかんだろ」
「…そんなん言われなくてもわーってますよ。だからとっとと口割らして残らず叩き潰しちまうのが安全なんでしょーが」
もっともらしい言い方に腹が立ち、眉間にシワが寄るのが自分でもわかった。そのくらいの理屈はわかっている。そしてより早く口を割らせるには誰が適役なのかも。
そんな自分にふっと口元を緩めた彼は、
「わかってんじゃねーか」
と、一言残し、重い鉄の扉の向こうに消えた。
扉の向こうからは、すぐに、壁に何かがぶつかるような鈍い音が一度だけ聞こえた。
けれど後には、また楡の木でさえずるムクドリの平和な声が響くだけだった。
「永倉、行くよ」
「え?沖田隊長、行くってどこに」
竹刀を持ち主だった隊士に投げ返し、蔵に背を向けた。振り返りもせず大股に歩き出すと、背後から慌てた様子で追いかけて来る永倉の足音。
「見廻りに決まってんだろィ」
「いいんですか?尋問の方は」
「いいも何も、アンニャローがやるっつってんだからアタシらがあそこでボーっと突っ立ってたってしゃーねーだろ」
口惜しくはあるが、だからと言ってあんな所でただ扉を眺めて待っているなんて性に合わない。しかも、あの扉の向こうで奴は働いているわけだ、一人で。そう思うと余計に我慢ならなかった。
「…そっか。ですよね。副長にかかって口割らない奴なんていないですもんね」
静かな蔵に視線を向け、永倉は素直に納得した。
永倉自身、あそこにいても意味が無い事はよくわかっているのだ。だが真面目な彼としては、自分の隊が捕えた浪士の尋問に力及ばず、副長の手を煩わせる事となった自分が腹立たしくもあり、情けなくもあるのだろう。
対して自分の感じている腹立たしさは、永倉のそれとは違う。どう違うのか。それは自分でもよくわからないが、自分にもあのニコチン中毒の上司にも何となく感じる腹立たしさ。
見廻りに出るべく、屯所の門を出て数歩。不意に無機質な着信音が響いた。永倉が懐から取り出したその電話は、「早っ!」というツッコミに始まり「ハイ、わかりました」で、あっさりと終わる。
「沖田隊長。野郎、仲間のアジト吐いたそうで…これから突入するから一番隊と二番隊は正面に集合だそうです」
電話を切った永倉の言葉に、はいよ、と頷き屯所へと踵を返す。やっぱりその件か。思ったより早かった。弱みの一つ二つ既に握っていたのかもしれない。
「…まだ10分経ってませんけど…いつになく早いですね、副長」
「性悪じゃなきゃ思いつかねーよーな手ェいくつも隠し持ってんだよ、あのヤローは」
「ああ…ですよね」
これまでの経験から来る心からの同意の後、永倉は「そういえば」と付け加えた。
「今度二番隊に入った新人が副長の事、『どんなに怖い人かと思ったけど優しそうで安心した』って胸撫で下ろしてましたよ」
「優しそう?腹黒そう、の間違いだろ」
「いや、でも、〝鬼の副長〟なんて呼ばれて世間じゃ怖い噂しか聞かない人に、『よろしく頼むわ、新入り』とか笑顔で肩叩かれたりしたら、ギャップ効果で3割増優しく見えるのもわかりますよ」
「そんなもんかねェ」
「そんなもんですよ」
幼い頃から彼の側にいた自分としては、当然ピンと来ない話だった。どれもこれも彼だという事を昔からよく知っているから。だからギャップなど今更感じる事も無い。
「〝鬼の副長〟ねェ。あんなんただのボヤッとしたオッサンじゃねーか」
「…そんなん言えるの屯所じゃ沖田隊長と局長だけですよ」
「そ?永倉も別に怖がってるようにゃあ見えねーけど?アタシには」
永倉が、〝鬼〟として腫れ物に触るように副長に接しているとは到底思えない。くだらない事で笑い合えば、意見もし合う。どこにでもいるただの先輩と後輩のように。
「僕も他のみんなも、〝厳しい上司〟としては普通に怖がってますよ」
永倉は笑いながら答え、「でも」と付け加えた。
「…爆弾事件の時は、やっぱり〝鬼の副長〟なんだな、って。初めてゾッとしましたけど」
爆弾事件。それが何の事かはすぐにわかった。永倉が入隊して間もない頃に起きた爆破予告テロ。犯人の要求は、真選組によって捕えられた仲間の釈放だった。
爆破予告時間30分前にどうにか捕えた犯人は、拍子抜けする程あっさりと爆弾の設置場所を吐いた。不信感すら抱く観念の早さぶり。何を企んでいるのか締め上げて吐かせようと手を伸ばした時、自分よりも早く出てきて犯人の横面を蹴り飛ばしたのは土方さんの足だった。そして後で呆然と見守る隊士達にとんでもない指示を出したのだ。
―至急現場へ直行。爆弾を発見したらその半径1メートル以内にコイツが釈放を要求する仲間の身柄を拘束。付近住民を非難させ、爆弾自体は処理するべからず。
それだけの指示を出した上で、彼は倒れ込む犯人に至極当然のように尋ねた。『で?もう一つはどこにある?』と。爆破予告には確かに爆弾が一つとは書いていなかった。だが二つであるという確証などどこにも無いはずだった。それなのに彼は、もう一つの在り処を言わなきゃ仲間ごとドカンだ、と言っているのだ。まるで正義の味方が提示するとは思えない交換条件に、それまで冷静だった犯人が明らかに動揺した。
結局、設置されていた爆弾は二つあった。犯人の自白により無事どちらも爆破前に回収された。
あの短時間、切羽詰った状況で、彼は一つ目の爆弾が本物である事、爆弾は一つきりではない事、ひいては爆破予告の狙い自体が本当に仲間の釈放だったのかどうかすら試す方法を取ったのだ。その冷徹な計算高さは、世間一般的に〝鬼〟と呼んで然るべきものなのだろう。
事が済んでから尋ねたのは永倉だった。『副長、どうして爆弾が二つあるって知っていたんですか?』と。すると彼は小さく笑って事も無げにこう言った。『ハッタリに決まってんだろ』と。あの時、永倉の表情が青ざめたのを確かに覚えている。『トシは昔から、でけぇギャンブルには強ェわな』と驚きもせず笑う局長に、更に青ざめていた事も。
「沖田さん」
「んー?」
現場に向かうパトカーの中、永倉が自分を呼んだ。
「…僕も他の隊士もみんな、ああいう事って最終的には副長が何とかしてくれるって、無意識にそう思っちゃってますけど…それでホントにいいんですかね。気分のいい仕事じゃないに決まってるのに」
「…永倉が気にすることじゃねーだろ。あの人ァてめーでてめーの持ち場勝手に決めちまってんだ。どーせ頼まなくたって出張ってくらァ」
彼の中には、決して揺らぐ事無い自らの立ち位置がある。この真選組で自分は何をすべきか。そのためにはどう動くべきか。何を拾い、何を捨てるべきか。きっと彼の中にはその全ての答えがもう出ている。だから、揺るがない。目的のための途中経過がどんなものであろうと。そしてそれを全て勝手に自分で引き受けて背負っていく。これは俺の荷物だ、と。そう言わんばかりに。
そう。それが、気に入らない。
何よりアイツの一番気に入らないところなのだ。昔から。
傾いた陽が柱の長い影を一定の間隔で足元に落とす。
あちこちガタだらけのボロボロで、日々キナ臭い話ばかりが飛び交うこの屯所ですら、その橙色に包んで柔らかくする時間。
その廊下の奥。10cmほど開かれたままの襖を、声も掛けずに横にすべらせた。
「無事捕まえたって?」
文机に向かい胡坐を掻く彼の丸まった背中が、振り返りもせずにそう言った。入室許可も得ずに自室に入ってくる隊士など、この屯所内に1人しかいない事を彼はよくわかっている。
「当然でしょーが」
「優秀な部下を持って幸せだねェ、俺ァ」
「仲間は4人。大した腕の立つ奴らでもねェけど、銃だ爆弾だってやたら武器だけは持ってやがった。バックにデカイの、いるかもしれやせんぜ」
「…なるほど。また膝突き合わせてオハナシしなきゃならねぇな、ご一行様とは」
部下としてすべき報告を済ませ、その背後に膝を抱えて座り込んだ。大きな背中に自らの背を預ける。全身で寄りかかっても、その背はぐらつく事も無く仕事を続けている。
「ていうか、副長サンの取調べが甘ェから1回人違いでお縄かけそうになっちまったじゃねーですか」
「そいつァ悪かったな。まぁ過程はどうあれ無事とっ捕まえたんならメデタシメデタシじゃねェの」
「で?まーた書類と睨めっこですかィ?土方さん、よく飽きねーなー」
「他にできる奴がいねんだからしょーがねェだろ。おめーも副長の座奪う気でいんなら、今から仕事覚えてくれや」
「アタシが副長になったら秘書雇いまさァ。それか執事」
「…副長は社長でもお嬢でもねーのわかってる?沖田ちゃん」
あーあ俺もほしいな秘書、などとぼやきながら傍らの灰皿に短くなった煙草が押し付けられる。横目で見れば、すでに灰皿に出来た一山は崩れんばかりだ。
「カッコワリーなァ。ニコ中で猫背の侍なんてよォ」
「悪かったな」
「一人で四六時中、バカみてーに重いモン背負ってっから背中丸まっちまうんでィ」
「…」
会話と共に、筆を動かす手の動きが途切れるのを背中越しに感じた。体を揺らして背中と背中を軽くぶつける。
「早ェうちに荷物の一つ二つ誰かに渡しちまわねーと、腰曲がったジーさんになっちまいますぜ」
「…じゃ、ま、お言葉に甘えて」
不意に机に向かっていた彼の背が起き上がり、合わせたままの背中に重みが被さってきた。全身での寄り掛かり返しに、情けなくも一度潰れそうになる。
「お、なんか潰れそうじゃね?」
「全っ然」
『重い』だなんて、間違っても言ってやりたくない。無駄にデカイ図体しやがって。ぐっと腹に力を入れて体を持ち直した。
「沖田ァ」
「何よ」
「俺ァてめーで引き受けた荷物、横流しに他の奴に渡しちまうほど落ちぶれちゃいねーよ?」
「…」
今度は、こちらが黙る番だった。そんな事は知っている。改めて言われずとも、知っている。けれど。
「…と、まぁ偉そうに言ってみたが、そもそもてめーで抱える自信のねぇ荷物はハナから持たねぇ派なわけよ、俺ァ」
「…ヘタレですからねェ。土方さんは」
「ヘタレ言うな」
そしてまた不意に背中が軽くなった。寄り掛かっていた背を再び丸めて、彼は机の書類に向かい出す。
「ヘタレなんだからもっと寄っ掛かってたっていーんですぜ」
「潰れかけたクセに言うじゃねーの」
「アンタが無駄にデケーのがワリィ」
「ハイハイ。そりゃすいませんね」
「それにアタシが疲れたら交代要員はちゃーんといるみてェだし。…なー?永倉?」
あえて不意を突いて呼び掛けてみると、予想通り襖の陰でガタリと慌てふためく物音が聞こえた。続いて、廊下を逃げるように去っていく足音。畳を四つん這いに歩き、襖から顔を出して覗いてみる。恐らく報告がてらこのヘタレ上司の様子を見に来たのであろう真選組一の気ィ遣いーの背は、廊下の曲がり角に大急ぎで消えていった。
「…アイツは監察にゃあ向かねぇな」
「…向きやせんねェ。あれじゃ」
彼も襖向こうの気配には、とっくに気付いていたらしい。相変わらず書類に向かい頬杖をついたままつぶやかれたその意見には、心の底から同意だった。
顔を引っ込めようとした夕暮れの廊下。ふと、眼下に置かれたものが目に留まる。自分が来た時には、無かったもの。
「…土方さん」
「ああー?」
上の空な返事をする彼の脇に、たった今廊下で発見したそれを置いた。かちゃり、と瀬戸物がぶつかる音に、彼はようやく書類から目を離す。
「…何よ、コレ」
「落ちてやした、廊下に」
小さな丸盆の上には、なみなみとほうじ茶が注がれた湯飲みと、まんじゅうが一つ。その隣には、細い筆文字で『お疲れ様です』とだけ書かれた紙の切れ端が置かれていた。
しばしそれを眺めて頭を掻いていた彼は、呆れたようにポツリ「…彼女かよ」と呟くと、右手の筆を机に放り咥えて間もない煙草を灰皿に押し付けた。そんな態度を見せられたところで、こちとら照れ隠しが見抜けない程付き合いが浅いわけでもない。
湯飲みを手にとり、ずず、と啜ってふぅと一息。そしてまんじゅうを手にとると、彼は無言のままそれを半分に割った。綺麗にほぼ半分ずつとなったまんじゅうを、それでも尚、多少見比べてから彼はやや大きい方を自分に差し出してくる。この男は昔からこうだ。大体、半分くれなんて頼んじゃいない。どこのガキだと思っているのだ。
けれど、何だかその当たり前のような行動と表情がおかしくて、笑いが堪えられず肩が震えた。「…何笑ってんだよ」と訝しがるその手から、半分のまんじゅうをありがたく受け取る。鬼の副長?一体それは誰のことだ。世間の皆様に教えてやりたい。
「土方さんて、半分こ、うめーよな」
「…あんま聞かねェ褒め言葉だな。『半分こうまい』って。つーか褒め言葉なの?」
「アタシこーいうの、綺麗に半分にできねーんですよ」
「そりゃお前の心が曲がってっからだろ」
「アンタにゃ言われたかねーや」
ぱさついた薄皮の下にたっぷりと詰まった粒餡が口の中に広がる。甘ったるい。けれど、なんだか懐かしい味。
もう一度、彼の背にもたれてみた。すると、触れた背中が、少しだけもたれ返してきた。ほどよい力加減。どちらかが重たいわけでもなく、互いにゆったりと寄りかかり合う重さ。
そのまま、盆の湯飲みに手を伸ばした。甘味のせいでより渋く感じるそれは、既に幾分か冷め出していた。
背中に伝わる熱のように、生温く、けれど安心する温度に。
「沖田」
空になった湯飲みと茶菓子の皿が乗る盆を片手に部屋を出ようとすると、低い声に呼び止められた。
振り返ると、肩越しにこちらを見る目。
「ありがとよ」
「…何が?」
心底わからずに首を傾げて尋ねると、彼は微かに口元で笑った。
「背中。貸してくれてありがとよ」
「…貸した分はまた借りにきまさァ」
へーへーどうぞ、と笑う彼の声を背後に、部屋を出た。太陽は、山際に溶け込み始めていた。
そう、この頑固で猫背で、なかなか腹の内を見せようとしない上司にだって。
たまになら、勧めてみるのも悪くないはずだ。
背負った荷を下ろす一休みを。
寄り掛かり合う息抜きを。
背中越しの、生温い半分こを。
|