たっぷりと水を含んだ重さに耐え切れないように、灰色の雲が地面へと手を伸ばす。
朝の天気予報。「降水確率10%」は、嘘?本当?


訳も無く、ふと、切なさに囚われる日でも。
空が青ければ、顔も気持ちも2割くらい上向きになれる。
けれど、こんな空には頼れない。
嫌いな金曜日の気持ちを、持ち上げてはくれそうにない。残念ながら。





すでに人影もまばらな校舎のコピー室。
耳に付く一本調子な機会音と共に、びっしりと文字を刷り込まれたA4の用紙が、流れては積もる。
おめーらにより良い授業をしてやるために夜なべして作ったんだから手伝え、って言ってたけれど。
どう見てもこれ、どこかの参考書の丸ごとコピーだよね?

今日は23日。
私の出席番号、23番。

そんな単純な理由で放課後に自分の仕事を押し付けてきた担任の国語教師は多分今頃、国語科準備室でジャンプを読んでいる。
今週は土曜発売だから金曜のうちに復習しとかねぇとよォ。ああ忙しい。とか言いながら。



教師と生徒が、当然会う理由などない土曜日と日曜日を嫌いになってしまったのは、もういつの頃からか。
毎日、約束など無くても会える学校で。
特別じゃなくても名前を呼んでもらえる教室で。
それだけでいいと思っている幸せな自分は、週末だけは何故かきれいに姿をくらませる。
会えない時間には、どうしようもなく突き付けられる現実。
決して1人と1人で向き合うことは無い、距離。
遠くはないのに、触れられない。
近くはないのに、目の前から消えない。
それが、教師と生徒の距離。
わかっている。
わかっていても、どうしようもないのだから。
止められないのだから、仕方がない。


そんな金曜日の放課後に居残りで手伝いを命じられるなんて、うれしくて舞い上がって当然だと思う。
少しでも側にいられると、期待してしまって当然ではないか。

なのに。

プリントを数枚私の手に乗せて、ハイあとよろしく〜、なんて。
終わったら職員室の俺の机乗せて帰っていーから〜、なんて。
準備室に寄って顔を見るための理由すら無くなってしまった。
一度期待をかけた分、普段の金曜日の2割増しで気分が沈んでも、それは仕方が無いよね?
結局は、授業時間が終わってしまえば顔を見に行く理由すら見つからない。
そんなものだ。




排紙台にたまったプリントに手を掛けた時、コピー室の戸がきしんだ音をたてて開いた。

「どーよ。終わったか?」

背後から予想外の声が聞こえて、持ち上げかけていた紙の束が手から落ちた。
その拍子に排紙止めが倒れて、真新しいインクの匂いがするプリントが、床にばら撒かれる。

「ええ〜…オイ。なんで人が来た途端そーなっちゃうわけよ。いやがらせ?」

白い頭をガリガリと掻きながら、だるそうにタバコの煙を吐き出す、そーさせた張本人。

「だって、銀八先生が。だって」
「俺がなんだよ」

驚かせるから。
もう絶対来てくれないと、思っていたから。

声に出せない私の答えをそれ以上求めることなく、銀八先生はしゃがみ込んで、散らばったプリントを拾い出す。
私も慌てて隣にしゃがみ、同じようにプリントに手を伸ばした。

「先生、ジャンプの復習は?」
「いや〜、読んでるうちによォ、●ルトの更に先週号が読みたくなってきちゃってよォ。も、とっとと家帰って、2〜3週分復習しねェとダメだわ。やっぱここぞっつーシーンは一気に読まねーとな〜」

下を向く先生の髪が、至近距離でふわふわと揺れる。
つい目を奪われて手が止まりそうになるから、慌てて下を向いた。

「お。もう最後のページまで印刷出来てんじゃねーの」
「ていうか先生。これって『手伝え』じゃなくて『やっとけ』だよね?」

軽く抗議してみると先生は、私の手から集めたプリントの束を取り上げ、自分の分と重ねた。

「はーい、これで『やっとけ』じゃないですぅ〜。共同作業ですぅ〜。国語教師が言葉の使い方間違えてるっつーのか、コノヤロー」

なんて小憎らしい言い方。
排紙台に残っていた僅かなプリントを持って、そのままコピー室を出て行く先生の後を追った。


さっきまでの曇り空みたいな重く湿った気分はどこへやら。
ダラダラと歩く白衣の背中を見つめながら歩ける今が、うれしくて。
すっかりお手伝いの役得感に包まれている自分の単純な心の作りは、いつも情けなくもあり有難くもある。




薄暗い国語科準備室の散らかった机の上に、プリントを乗せた。
横には読みかけのまま伏せられたジャンプ。
復習、やっぱり途中だったんじゃないのかな。

「な〜んかやばくね?降ってくんじゃね?これ」

窓際に立つ銀八先生が眉間にシワを寄せながらそう言った。
さっきよりも、ぐんと低さを増した空。
『降水確率10%』
予報を信じて、当然傘なんて用意していない。

「さ、降らないうちにとっとと帰るとすっかね。ごくろーさんな〜」

白衣を脱ぎ、ジャケットを羽織り、バイクのメットと鍵を持つ銀八先生。
その授業中の気だるさとは比べものにならない素早い帰り支度に、少しがっかり。
少しくらい話したりとか、そういう時間あるかもって、思ってたのにな。
小さく、気付かれないように、溜息を漏らした。

「さようならー…」

一言そう告げて、準備室を出る。
ほかにできることは、何もなかった。






校舎を出て、腕時計を見た。
バス時間までまだ間がある。
どうしよう。駅まで歩こうか。急がないと降ってきちゃうかもしれない。

ぼんやり空を見上げながら歩いていると、後ろからエンジン音。
通りすぎる、と思ったら、それは真横で停まった。

「んなトロトロしてっと降ってくんぞー」

見慣れたバイクにまたがる銀八先生が、私の顔をのぞき込んだ。

「お前バス通じゃなかったっけ?」
「バス時間まで、まだ結構あるから。駅まで歩こうかなぁって」

私の答えに数秒黙った先生。
なんか変なこと言った?と不安になりかけた私の手に、突然メットが投げられた。
銀八先生が今までかぶっていたメット。

「乗れ」
「え?」
「乗れって。送っちゃっから」

耳を、疑うって。
きっとこういう事を言うんだ。
だって。乗れ?乗れって言った?今。
先生の後ろに?
だって、2人乗りなんて。
ずっとずっと、憧れてはいたけれど。
だってそんな、本当に。

「でも先生んち、ここから近いんでしょう?私んち寄ったらすごい遠回りになっちゃう」
「いーから乗れっつーの。青春は1分1秒たりとも無駄にできねーんだぞ、コノヤロー」
「…はい」

銀八先生のわけのわからない言葉に押されて、私は素直に従った。
いつも追いかけて、遠くから見ていただけの背中が、思いがけず近くにあって。
後ろに座ったものの、そこからどうしたらいいのかが、わからない。

「あの〜。つかまってくんねーと発進できねーんだけど?」
「…つかまるって、どこに?」
「いや、ふつー腰とか?」

どうしよう。どうしよう。
軽く。いや、軽くなくパニック。
先生から今の自分の顔が見えないことだけが救い。
少し手が、震えてるような気がする。
どうか気付かないで。
小さく心でつぶやいて、先生の腰につかまった。

無言のまま走り出すバイク。
大きな背中からは、微かにタバコの香りがした。




走り出して1分後。
警戒していたそれは、唐突にやってきた。
バケツを引っくり返したような、とはよく言うが。
いくつバケツを引っくり返したのかと空に問いたくなるような勢いで、雨粒が地面を打ち付け出した。
もちろん先生にも私にも。
一気に全身が水分で重みを増す。

「マジでかいィィ!タイミング良すぎだろ!ぜってー俺が学校出るまで待ってやがった!雨の奴ゥゥ!」
「冷たーい!先生大丈夫ー?!」
「いや、お前も大丈夫?だろーが!つーか、降水確率10パー、信じてたのに!結野アナ!」

視界が一瞬、真っ白になった。
続いてお腹の底にまで響くような低い轟き。
ぎゃっと可愛げのない声が出て、先生につかまる腕につい力が入った。

「雷!近いよ?!すごく近いよ?!先生!」
「アレか?!どっちかが日ごろの行いワリィのか?!」
「私?!私悪いことしてないよ?!あっ。今雷のギザギザ見えた!すごーい」
「のん気でいいなァおめーはよォ!あ!もしかして、この間ジャンプの釣り多かったのに返さなかったのがワリーのか?!」

吠える先生、そして私。
どうして、どしゃぶりに当たると人は叫びたくなるんだろう。
あんなに緊張していたのに。
もう何がなんだか。


「あーもう。しゃーねーなァ。うち来るか?」

しばしの沈黙の後、先生が言った一言に、「えっ」と再び聞き返してしまった。
今日は疑われっぱなしだ。私の耳は。
そんな私の返事を待つ間も惜しむように、バイクは方向転換。
もう向かっているらしい。
先生の家に。

「やんだら送ってくからよ。雨やどりしよーや。この勢いならそんな長く降んねェだろ」
「いいの?」
「いいも何も、そもそも遅く帰しちまったの俺だしね」

びしょ濡れの制服の不快感も。
頭の上で今だ恐ろしい音を立てる雷も。
何もかもが、一気に遠くへ行ってしまったようだった。
私はきっと、一生分の幸運を、今日使い果たしてしまうんだ。
きっとそうだ。
でも、それでもいい。
本気で、そう思った。






当然ながら初めて来た先生のアパートは、聞いていた通り、学校のすぐ近くだった。
駐車場から先生の後について全力ダッシュ。
玄関の鍵を開けて中にすべり込むと、2人でようやく安心の息をついた。
そうしたら、なんだか笑えてきた。
一緒に同じものから逃げてきたこの感じ。なんだろう。
よくわからないけれど、なんだか楽しくて、うれしい。
先生と、こんな風に一緒に走れるなんてね。

「なぁにズブ濡れで笑ってんだよ。きもちワリーな。うーわ。ひでーな、これ。ちょ、タオル持ってくっから待ってろよ」

雨に濡れた先生の銀髪が、いつもよりもきれいに見えて。
ここが先生の家なんだ、という実感が、ようやく訪れ出す。
先生が放り投げてくれたタオルで髪を拭きながら、ぼんやりと玄関を見渡していると奥から
「ボーっとしてねぇで入れって」
と、先生の声。
いいのかな。本当にいいのかな。
緊張と好奇心と期待と。
いろんな気持ちを混ぜながら、先生の声がした部屋へ、そうっと一歩。

フローリングのリビングには、テレビとテーブルとソファ。
殺風景だけど、意外に片付いている。
国語科準備室は、あんなに散らかっているのに。
でも、吸殻がたまった苺型の灰皿と、床に無造作に置かれた数冊のジャンプが、部屋の主を主張している。

「ほら」

ソファに何かがばさりと放り投げられた。

「服。俺んだけど、とりあえず着とけや」
「…」
「…何。もしかして、オッサンの服なんてキモいからイヤ、的な沈黙?加齢臭とかしてる?俺」
「そうじゃないけど。…いいのかなぁ、と思って」

私の台詞に、先生が小さく吹き出した。

「ええっ。なんで笑うの?」
「お前さっきから、そればっかな。いいの?って。良くなきゃ貸さねーし呼ばねーっつの」

そう言うと先生はソファに放った服を私の手に放り直し、「オラ、着てこい」と背中を押した。



隣の寝室を借りて着替えた先生のTシャツとジャージは、どちらも私が着るとブカブカに大きい。
やっぱり微かにタバコの香り。
先生の、匂いだ。
いつも、締め付けられるみたいに胸に直接刺さる、匂い。





リビングに戻ると、同じくTシャツ、ジャージに着替えた先生はソファで頭を拭きながら、テレビのチャンネルをいじっていた。
いつか見たドラマの再放送。
テロップには「局地的な大雨。警報発令」という文字が一瞬流れて、消えた。

濡れた制服を窓際に干し、ソファの端っこに腰掛ける。
雨の筋は風向きで窓を時折強く叩き、テレビの音を微かに遠ざけた。

「お前、髪から水垂れてんぞ」
「ほんと?」

タオル。どこに置いたっけ。
左右を見回そうとする。よりも先に。
腰を浮かせた先生が、私のすぐ横に座り直した。

「ちゃんと拭けっつーの」

そう言うと自分が使っていたタオルで、ぐしゃぐしゃと私の頭を乱暴に拭く。
荒くて、でも優しい手。
距離が近付いて、息が詰まる。
こんなに近い距離を、私は知らない。
どうすればいいんだろう。
何か、しゃべんなきゃ。

「先生、今日優しいね」
「ああ?人聞きワリーな。銀八せんせーはいつでもやさしーだろーがよ」

先生は立ち上がると濡れたタオルを制服の横に無造作に干し、タバコに火をつけた。
煙が揺れて、そこから目を離せない視界も、一緒に揺れそうだ。
この、ありえない状況に。

「なんかよォ。部屋に制服干してあるって、アレだな。なんかやらしくね?」
「普通にクローゼットにも入ってたりしないの?銀八先生んちなら」
「バカいうんじゃありません。どっちかっつーとナース服のがいい」

そうですか、ナースですか。
スイマセンね、ナースじゃなくて。
心の中で、少しだけふてくされてみる。
どうせ私は、子どもで。
制服と言えば、まだ学校の制服を着ることしか出来ない、高校生で。


「ま、うちの制服も着てる奴によるわな」

煙を吐きながら独り言のようにつぶやく先生と、目が合った。

何?それ。
誰のこと?

意味深な言葉に、色んな疑問符が駆け巡った。

「たとえば…誰?」

少し考えて。
怖いけれど、聞いてみる。
でもすぐに、聞かなきゃ良かった、という自分が騒ぎ出す。
何を言われるのか、怯える自分が大きくなる。

「お前とか?」
「お前?」

先生の答えを反芻して。
お前とは誰かを飲み込むまでに、数秒。
そしてその後は、頭が真っ白になった。

「でも、俺的にはアレだな。制服より、俺の服をすげぇデカそうに着てる今のその感じ?そっちのがバリストライクっつーか」

顎をさすりながらしみじみ私を見る銀八先生。
でも、その目はいつも通りの死んだ目で。

待って。
ちょっと待って。
どういう意味?
それは、冗談なの?冗談だよね?いつもの。
ひどい冗談だ。
だって本気にしたがっている自分がいる。
今のこの信じられないほど幸せな状況の中で。
そんな信じられいないような台詞を、冗談じゃなくて本気だと期待したがっている自分がいる。
どうして。
どうしてそんな事言い出すの?

「いや、落ち着けって。お前、頭ん中のカオスぶり顔にダダ漏れてんぞ。それとも何?ときめいちゃってるんですか?」

にやっと口元に人の悪い笑みを浮かべる先生。

「…先生、いたいけな生徒をそんな風にからかったら、PTAに訴えるから」

その返事は、私の防衛本能。
ほらね、やっぱり冗談だった。
期待なんてしていないよ。
わかっているもの。期待なんてするはずがない。
そう言い聞かせて、傷付かないようにするための、自己防衛。

「あー?からかってねーよ。ラッキィ、雨さんありがとう、って感じなんだからよォ。今」

いつもと何ら変わらない、のん気で気だるげな声。
ソファの背もたれにだらしなく腕をかけて、足を組んで、緊張感なんか微塵も無いスタイルで。
でも、私を見る先生の目がまっすぐだから。
それ以上何も返せなくなってしまった。

「つーか、あこぎ?雨やどりにかこつけて、一緒にいようっつー俺のやり口。大人って汚い?」

ぐりぐりと苺の灰皿に押し付けられたタバコの吸殻を見つめる。
一言一言を、ゆっくりと心の中で復唱しないと、脳が先生の言葉の意味を理解してくれそうにない。

だって、本当に?
本当に?
ずっと、ずっと見つめてきた背中に、手が届くの?
手を、伸ばしてくれているの?

防衛策も、もうお手上げ。
先生の顔が見れない。
頭が混乱して、何も考えられない。


「つーか、なんか言えや。ウザイとか、マジウザイとか」

…いいの?その二択。
ウザイわけないし。マジウザイわけもないし。
それどころか。

「…雨降ってくれて、すごく嬉しかったから、私もあこぎだよね?」

もしこれが先生の心底性格悪い冗談で、それを本気に捉えてしまった事に困った顔をされたとしても。
マジにすんなと笑われてしまったとしても。
ちゃんと、素直な思いを、と決めた私の精一杯の答え。
途切れ途切れで、裏返りそうなひどい声。それでも、精一杯の答え。

思いを口にすることすら、諦めてきた。ずっと。
卒業まで見つめていられるなら、それで良かった。
けれど、本当はそれだけじゃイヤだった。
いつか触れてみたかった。
もっともっと近付きたいと思っていた。
ずっと。

うつむいたままの私の頭に、大きくて暖かい手が乗せられた。
心臓も呼吸も、何もかもが止まってしまうかもしれない。
止まってもいい。今なら。

「じゃあ、アレだな。あこぎ同士っつーことで」

首の後ろを掻く先生の低い声が、ゆっくりと確認するように降ってくる。

「お前、今日から俺の、ってことにしていいスか?」
「えっ、でも」
「でも?でもって何よ。やめて。この流れでドンデン返しは。傷つくじゃん。何気に俺ガラスのハートだし。心は少年のままだし」
「先生、クビになったりしない?」

相当、真剣に言ったつもりだった。
だってそうでしょう?
そんな簡単な事じゃないはずでしょう?こういう事って。
私よりも、先生の立場にとって。
先生はちょっと驚いた顔をして。
それから、下を向いて小さく笑った。

「はい、もうダメ。お前、俺の。決定ー。んなこと言ってっから、問答無用ね」

私の顔をのぞき込み、またにやっと笑う銀八先生に。もう、何も言えなくて。
雨がくれたあまりの急展開に、ついていけない心臓が痛くて。
うなずくことしかできない。
泣きそうだ。
泣いてしまいそうだ。
でも泣いちゃダメだ。
だってこれは、きっと夢だから。
泣いたら目が覚めてしまうかもしれない。
先生の顔が、霞んで見えなくなってしまうかもしれない。

そう思って、ただただ涙をこらえて先生の顔を見ていると。
見過ぎ、と額を小突かれた。
目をそらした先生の横顔が、少しだけ赤いように見えたのは。
気のせいだっただろうか。





「雨あがったな」

いつの間にか外には、赤い夕日が見え始めていた。
生乾きの制服が、窓際で同じ色に染まっている。

「んじゃマジメに送ってくか。今日のところは」
「今日のところは??」

意味ありげに強調する最後の言葉に、なんか一瞬で色々考えてしまう。
もう、頭いっぱいいっぱいなのに。

「そー。今日のところは、な。テストに出るからよく覚えとくよーに」

言いながら、メットと鍵を持って玄関に向かう銀八先生。
大好きな背中を追いかける。いつもみたいに。


「あの、先生。あのね」
「あー?」
「どうして?なんで、私?」
「さー?なんでかねェ」

やっと心の疑問を声に出来た私に、先生は立ち止まると肩越しに振り返った。

「おもしれーし。お前」
「おもしろい?」
「だってよォ。お前ぶっちゃけ、だいぶ前から俺のこと好きじゃん?」
「…」

言葉をなくした。
なんで?なんで知ってるの?
その通りだけれど。間違いないけれど。
…なんで?!

「なんで知ってんだ?って?だーからおめーは自分のわかりやすさのハイレベルぶりを知らねーんだって」
「…わかりやすいの?私」
「かなり」

恥ずかしさで、頭がグルグルした。
いつから知られていたんだろう。


「ま、なんででも。とりあえず」

言いながら私の目線までかがんだ銀八先生の唇が、私の唇に触れた。
不意打ちに半分呼吸困難で固まっている私に、またイタズラっぽく笑う。

「どーも。担任の国語教師、改め、彼氏の銀八で〜す。ぶっちゃけ、自慢したがりなんで。あんまコソコソ付き合う気ィないんで。そこんとこよろしく〜」



不思議。
雨で冷えたはずの体はすっかり暖かくて。
治まらない動悸すら、何故か今は心地よくて。
「よろしく」と笑い返した私に、先生は優しく微笑み、片腕で私の頭を抱き寄せた。

その『よろしく』、もう取り消しきかねーから覚悟しとけよ。

耳元で聞こえた声に、また泣きそうになった自分を見られないよう、私は先生の肩に顔をうずめた。
でも、泣いてもいいかな。
だってこれは、夢じゃないみたいだから。
だってこんなに、暖かいから。
先生の、匂いがするから。


局地的な大雨と当たらない天気予報に、今日だけは、感謝。




雨やどり