小春日和






薄い幕を引くように青を和らげる鰯雲の群れを見上げた芝生の上。
午後の空気は乾いた草の匂いがするのに、その空は透明でまるで水の中から見上げているようだった。一陣の風が波紋のように滑らかに雲を散らす。

空が高い。
つい声に出して手を伸ばすと、「低くたって届きゃしねーよ」と、右隣からあっさり言い返された。面倒臭げな口調はいつものままに。けれど投げやりではない。少なくとも自分にはそう聞こえる。
ふと、昔辰馬君が言っていた話を思い出した。この地上をぐんぐん離れてあの雲の海を抜ければそこは、例えどんな雨や嵐や雷の日でも一面の青空なのだそうだ。天人達はあの空飛ぶ船から、いつもそんな景色を眺めている。いつか自分も見てやるんじゃ、と辰馬君は笑って、ヅラ君がそんな彼を『皆に聞こえるだろう』といさめた。高杉君は舌打ちをしてその場を離れ、銀時は特に興味も無いような表情で寝転んだまま空を見ていた。まるで雲の上の空の色など、もうとっくに知っているかのような目で。


「宇宙船でも落ちてきそうな空ねぇ」
「お天気お姉さんもビックリの斬新な実況をどーも」
「辰馬君、元気かな」
「落ちてくんならマジで元気無くす5秒前なんじゃねーの」

そんな話をしていたら、本当に彼がこの平穏を破って落ちてきそうな気がしてなんだか笑えてしまう。いつか見てやる、と言っていた空をようやく手に入れたのに、結局そこから落ちてきてしまう辰馬君。

「『だから宇宙船などという得体の知れないものに頼るなと言ったはずだ!』って、昔のヅラ君なら怒るのかしら」
「今や得体の知れない宇宙生物連れ歩いてる奴に言われたかねーけどな」
「…『くだらねェ』って、舌打ちしてそっぽ向いちゃうのかしら。高杉君は」
「…今やてめーも宇宙海賊だろ、って話だけどな」

芝生にうずくまって眠る白い獣の胴体を枕代わりの日向ぼっこは実に幸せだった。そうして見上げる、いつもより広くて遠い空。

「そういえば今ぐらいの季節なんですよね?銀さんとさんが初めて会ったのって」

太陽の下に足を投げ出すもう一人が、銀時の反対隣から不意にそんな質問を投げ掛けてきた。カラスが一羽、青い視界を横切っていく。

「…何ソレ新八君。どこ情報なわけ新八君ソレ」
「この前来た時坂本さんが言ってましたよ。『アイツらが出会ったのもこんな夜の長くなる季節じゃったのー』とかって、飲みながら」
「何勝手に人の思い出語ってくれてんの?アイツ。人の名前は覚えやがらねークセに何でそういうことは覚えてるわけ?アイツ」
「もちろん全米震撼な劇的出会いだったアルか?話してみろヨ。聞いてやるから」

昔話を求める声が左隣から響いて穏やかな風に混じる。まどろみを誘うこんな日差しも、今年はこれで最後かもしれない。そんなことをふと思う。

「震撼モンの出会いってどんな出会いか逆に問いてーよ。つーか何で上から目線?」
「そうじゃなくて、ほら、通りすがりに危ないところを助けたとか…そういう劇的な感じとかないんスか」
「そーゆー何かっちゃあ不良から助けたり曲がり角でぶつかったりすんのが出会いだと思ってるゲーム脳だからオメーは童貞なんだよ、新八君。遅刻寸前でパンくわえてりゃイベント発生すると思ってっから、いつまでたってもてめーは何一つくわえてもらえねーんだよ」
「今、童貞関係ねーだろ!つーか童貞なめんじゃねーぞコルアァァ!」
「そんなこと思ってるアルか、新八。キモイアル」
「思ってないわァァァ!」

騒がしい声に反応するかのように、頭を預けた毛玉がほんの一瞬ピクリと身じろぎをして耳を立てた。しかしそれはすぐに一定した寝息へと戻る。

「出会いっていうとあの時?銀時が飲み屋のおじさんにツケ払えって追いかけられてた時」
「うわカッコ悪っ!」

静かに澄み渡る空に響く、残念感を隠せないツッコミ。

「今と何一つ変わらないじゃないですか」
「当たり前だ。男は歳くっても丸くなっちゃならねーんだよ。牙が抜け落ちちまった時は死ぬ時なんだよ」
「さっさと抜け落ちて総入れ歯になってください、そんな腐りかけの牙」

どこまでも連なる雲の波が流れて行く。次の季節を乗せてくるかのように、留まることなく。けれど、名残惜しむように緩やかな速度で。

「つーかその前にも会ってんだろ」

少しの間をおいて銀時が口を開いた。意外な一言についその顔を見てしまう。

「よく覚えてるのねぇ。話もしなかったのに」
「その時に『ひとめぼれ』ってやつアルか?」

質問と一瞬の沈黙、の、後。「…そうだっけ?」。重なった声。

「一目惚れって言っても…血だらけだったし。むしろちょっと怖いわよね?」
「うるせーな、しょーがねーだろ。つーかお前全然怖がってなかったじゃねーか」

不服気な反論。「…一体どんな出会いなんですか」。新八君がボソリとつぶやいた。どんなと言われても説明に困るが、思い出すのは。

「あの紅葉の木、まだあるかしら」
「さぁねェ。ま、頑丈そうなやつだったし、相変わらずなんじゃねーの」

ここには無いその色が目を閉じれば見えるような気がする。きっと今日の空気は同じ季節の匂いがするからだろう。そして同じ人の色が隣にあるから。

「なんかもっと甘い出会いを期待した僕がバカでしたよ」
「現実っつーのはそんなもんなんだよ。おめーらチェリーのこってり背脂な妄想と違ってあっさりサラダ味なモンなの。もこ●ちみてーにオリーブオイルで鍋ひたひたにしたりしねーの」

いつもの調子で小指を鼻に入れながら鬱陶しげに答える彼の言葉は無視して神楽ちゃんがこちらに小声で話しかけてくる。期待を隠すことなく滲ませた、せがむような質問がおかしくて、耳打ちを返した。

「マジでか、。銀ちゃんが?へぇぇぇ〜」

神楽ちゃんが声を上げた途端に銀時がこちらを振り返る。声を上げさせた犯人である自分の首に彼の腕が回され、即、神楽ちゃんの耳元から引き離された。

「オイコラ、何をしゃべってんだオメーは」
「だって神楽ちゃんが聞きたがるから…」
「え?え?なんですか?僕にも教えてくださいよ。ていうか銀さん、なんやかんや言って結構なんやかんやってことですか?」
「十分にもこ●ちアル。あっさりサラダかと思ったら仕上げにオリーブオイル回しがけしてきたネ」
「うるせーな、誰のルックスがもこ●ちバリだコノヤロー」
「いえ、ルックスのことは一言も言ってません」
「つーかお前、何しゃべった?白状しやがれコラ」

詰め寄る銀時に、言っていいの?と確認すると、「誰が堂々と言えって言った。こっそりだ」と頬をつねられる。おかしくて笑うと、結局みんなも笑い出した。その時唐突にもたれた巨体が大きな欠伸と共に上下したから、全員バランスを崩しかけてバタバタする。でも、それすらもなんだかおかしくなってしまう。そんな陽気。


ぐぅぅ。
不意に誰かのお腹が鳴る音がした。誰だ今腹鳴らしたの。犯人を追及する厳しい声。

「銀ちゃんがもこ●ちの話なんかするからいけないアル」
「バカヤロー。それじゃまるで、太陽と定春の温熱効果の中じっとしとけばカロリー消費が少なくて一食分くらい浮くんじゃね?というエコな計画が早々にグダグダみてーじゃねーか」
「そうなの!?これ、そういう切実な事態だったの!?ちょっとした日向ぼっこじゃないの!?」
「ぱっつぁんもデケー声出すな。腹減るだろーが。今夜はごはんにオリーブオイルで乗り切るんだからじっとしてろ」
「銀ちゃん、酢昆布にもかけていいアルか?」
「しょーがねーな。軽くひとまわしするくらいにしとけよ」
「ギトギトすぎて乗り切れねーよ!つーかアンタら結局もこ●ち大好きじゃねーか!」

春のように優しい優しい日差しのこんな日は、きっと冬を迎えるためにある。そんな気がする。迎えられると、今心からそう思う。

「今からこんなことじゃまた今年の冬新しいコタツ買えませんよ。どーすんですか」
「私それよりすき焼きがしたいヨ。できるアルか?」
「そんな先の話わかるわけねーだろ。男も女も今だけ見て生きてきゃいいんだよ」


たまには宵越しの銭だって持つべきだと思う。新八君のボヤきには、『でもまぁいいか』そんな声にはならなかった言葉が続きそうに聞こえた。そんな気分にもなるだろう。今日は本当に心地がいいから。そして、壊れたままのコタツで過ごすことになるだろうもうじき訪れる季節も、きっとこんな感じに過ぎていくのだろう。
願わくば誰しもにそんな冬が訪れることを。辿る記憶の中にいるすべての人にも、寒さだけではない冬を。そしてこんな今を。そんなことを思った。


高い高い空の下で。