十六夜






僅かなカーテンの隙間から覗く月灯りが、あまりにも柔らかにまっすぐに降るから。布団の上に半身を起こして、光を遮る布を引いた。
夜の藍を淡く滲ませて、たしかにそこにある月。その光は小さなこの部屋へも惜しみなく降り注ぎ、自分の手を白く浮かばせる。そして、隣で眠る人の銀色の髪も。
透けるように光るその髪がなんだか幻のように見えて、少しだけ触れてみた。たしかに指先に伝わる柔らかい感触。聞こえる寝息。言い知れぬ安らぎが全身に満ちるのを確認して、もう一度窓の外を見た。歓楽街からほど近いこの場所は真夜中でも静寂に包まれることはない。窓の下にエンジン音。遠くから笑い声。固い靴底が走り過ぎる音が右から左へ。邪魔な音とは思わない。それはこの町が昼夜を問わず生きている証。隣の息遣い同様、いつも自分を安心させる。だから眠れぬ夜も怖くはない。
それにしても今夜はよく冷える。まるで十六夜の月が秋を一つ深めに来たかのように。肌寒さを感じて、薄い寝間着の肩に手を触れた。

「…まぶし」

不意に隣からそんな言葉。振り返ると声の主は布団に横になった状態のまま、右手で月灯りを避けながらこちらを見ていた。

「…何してんの。寝らんねーの」
「月がね、綺麗だったから。なんとなく。ごめんなさい、起こしちゃって」

眠れないというよりはむしろ、眠りたくないと言うのが正しいかもしれない。こんな夜は、眠ってしまうことが無性に惜しくなる。どうしてかは自分でもよくわからないけれど、『もったいない』と。漠然とそう思えてしまうのだ。
月ねぇ、と気だるげに復唱しながら彼は欠伸を一つ。

「月なら昨日散々見たろーがよ」
「楽しかったわねぇ、十五夜。賑やかで」
「十五夜っつーのはもっと侘びとか寂びとかを前提に過ごすもんじゃねーかと俺ァ思うけどね」
「でもアレはアレでいいじゃない?みんな楽しそうだったし」
「十五夜言い訳に飲みてェだけだろ、どいつもこいつも」
「そうかもね」

呆れたような言い回しに笑って、また月を見る。そうは言いながらも彼自身が一番酒が進んでいたことはよく知っている。見知った顔ぶれの大騒ぎにほんの少しだけ満足げな笑みを口元に浮かべて、月を見上げていたことも。

「今日は十六夜ねぇ」
「…そうねぇ。昨日が十五夜なわけだからねぇ」
「『いざよい』って『ためらい』って意味なんですって」
「へェ」
「ためらった割にはくっきり光るのねぇ、今夜は」

十五夜よりも少し遅れてためらうように出てくるから『十六夜(いざよい)』。昔誰かにそう教わったことを、今夜の月にふと思い出した。
その呼び名とは裏腹に、迷いのない色で夜を照らすほんの少しだけ欠けた月。その空の下、片隅の小さなアパートの一室でたった2人の自分たちにすら手を伸ばしながら。どこまでもどこまでも。誰の上にも。

「もう十分過ぎるほどためらった、っつーことじゃねーの」

しばしの沈黙の後、返ってこないと思っていた答えが返ってきた。こちらに向けられた後頭部は、再び眠った印と思っていたのに。

「もったいぶった分眠っちまうの惜しいと思わせるくれぇ光りやがんだから、ためらう時間も悪かねぇやな」
「…そうねぇ」

ためらった分だけ遅れても、それが無駄な時間になるとは限らない。その分今、迷わない強い光を放てているなら。それはきっと、必要だった時間。
表情の見えない彼から淡々と投げられた台詞に、そんなことを思う。それは、あの月のことだったか。それとも。

「もう寝んぞ。二晩連続月見で寝不足なんざ、それこそ侘びにも寂びにもなりゃしねーや」
「うん」

再びカーテンを閉じて、布団の中に潜り込む。温められた空気の心地良さに忘れかけていた眠気がやって来るのを感じながら。それでも尚、眠りに落ちることをもったいないと思う自分がいて。それほどに、このぬくもりは優しくて。もう手離さない。そう心は決まっている。

「ねぇ、知ってる?明日の十七夜は『立待月』って言うんですって」
「まだあんのかよ。キリねーだろ」
「いいじゃない?毎晩楽しみにできて」
「つか、冷たいんだけど。お前」
「やっぱり?月見てるうちに冷えちゃった」
「やめてくんない。こっちの目が覚める」
「大丈夫よ。眠れなくても月が綺麗だし、退屈しないから」
「そういう問題じゃねーっつーの。俺ァ寝るんだよ」

意味のない会話の合間にも、冷えていた身体は少しずつ少しずつ温められていく。まるで、欠けた月が満ちるように、当たり前で成り行きのままの速度で。
そうして2人の温度が一つになった頃、惜しむ気持ちを残しながら十六夜の月灯りは眠りの中に落ちるのだ。
幸せなぬくもりに溶けながら。明日も明後日も、この先ずっと欠けては満ちるだろう月をこの場所で待ち焦がれながら。

ためらい続けた、日々の分だけ。