弱味






「だ〜から、ねぇモンはねぇんだっつーの!なんならジャンプでもしてやろーかァ?小銭の音すらしねーぞ、まいったかコラァ!」
「まいってんのはてめーだろーがァ!家賃払えねーならとっとと出て行きな!このゴクツブシが!」

…また始まった。
もう毎月のやり取り。
出掛けようとしていたところを捕まったらしい銀さんが、万事屋の階段下でバイクにまたがったままお登勢さんと不毛な言い争いを繰り広げている。
それは、もう今更注目するご近所さんもいない程にお馴染みの光景。

「アレだアレ。この間店番しといてやったじゃん。あの報酬でチャラくらいの感じじゃん」
「寝惚けんならいっそ永遠に寝ちまいな!ちょっと客のタバコ買いに行ってる間だけだろーが!大体戻ってきたら店の酒勝手に飲んでやがって、どんな店番だてめーは!」
「バカヤロー!そこに道があれば行く。扉があれば開く。酒があったら飲むっつーのが男の生き様ってェもんだろーが!」
「てめーのクソみてーな人生論なんか知るかァァ!」

「あの、2人とも。ご近所に迷惑ですからこの辺で、ね?」

いい加減頃合かと声を掛けた僕にお登勢さんが振り返る。
その一瞬の隙を逃がさず銀さんは、「じゃ」と軽い一言を残してバイクを発進した。ああ、なんだかまるで僕が逃がしたかのような状態になってしまった。後悔すれど時既に遅し。
後にはお登勢さんの「待ちやがれ、腐れ天パァァァ!!」という叫びが響くのみだった。



「まったく、どうしようもないねェ。アンタんとこの大将は」
「あの、すいません。家賃ならあと少し待ってください。来週には仕事入ってるんで」
「聞き飽きたねェ。そんな言い訳は」

ふぅっと煙混じりの溜息を吐き、お登勢さんは眉間にシワを寄せる。まったくもって、ごもっとも。

「お揃いでどうしたんですか?2人とも」

不意に入ってきた第三者の声。振り返るとそこには『ヘドロの森』の店先からこちらを見ているさんの姿があった。手には木桶と柄杓。水撒きに出てきたところらしい。

「どーしたもこーしたも無いよ。アンタの男の家賃滞納のせいで、こちとら商売上がったりだよ」

お登勢さんがボヤくと、さんは「困った人ねぇ」と特に困った様子も無いトーンで首を傾げる。

「ったく、呑気なコだねェ。アンタ、あんな奴にくっついてちゃあ将来苦労するよ?」

やれやれといった顔でそんなさんを眺めるお登勢さん。
「本当ですね」とさんは可笑しそうに笑うだけ。
いや、笑い事じゃなく。
お登勢さんの意見には全面的に同意な僕も声には出さず呟いた。ホント苦労すると思いますよ?さん。



「大体、さんは銀さんに甘いと思うんですよね」

訪れた客の相手をするため店内へと戻っていったさんの背中を見送った後、僕は思っていたことを口にした。隣のお登勢さんから「あん?」と不思議そうな声が返ってくる。

「銀さんのすること大概許しちゃってるっていうか…怒ってるトコ見たことないですし」
「アイツみたいな男にはある程度のこたァ余裕持って見逃してくれるような懐の深い女じゃなきゃついて行けやしないだろ」
「そりゃ、そうでしょうけど…」
「ま、だからといって、見逃してばかりじゃあーいうタイプは調子に乗るからねェ。シメる時はシメることも必要さね。そのくらいのことは、あのコならわかってると思うよ。アタシはね」

そう言ってお登勢さんは口元に小さな笑みを浮かべた。
そうなのかな。
たしかにさんはああ見えて意外とハッキリしているし、銀さんに対しても割と容赦の無い事を笑顔で言えたりする人であるのは知っている。
けど、それと『怒る』事とはまた別なわけで。
銀さんが二日酔いの酒臭い身体をしていようが、さんが遊びに来た事にも気付かずジャンプを被ったままひたすら寝ていようが、お金が無くて満足にデートすら出来なかろうが。怒った様子は見たことが無い。
さんがそれでいいならいいんだけど、僕としては時々不安になるわけだ。
もしさんが万事屋で暮らす日が来たとしても、だらしない万事屋メンバーに口うるさく文句を言う立場が僕である事は変わらないのかなぁ、と。
まぁ、別にいいんだけど、さ。







本日、万事屋の冷蔵庫は見事なまでに空っぽ。
わかっていた事であるから驚きはしない。だが夕飯の買い出しに行こうと箪笥の引き出しを開けると、食費としてよけてあったなけなしのお金が消えていたのにはさすがに驚いた。

「…え〜と…銀さん?」
「ああ?」
「銀さん、ここにあったお金どこいったか知りません?」
「知らねーなァ」
「知らないこと無いでしょーが!あんた何に使ったんだァ!もしかしてパチンコか!?パチンコなのかァァ!」

普段と変わらぬ気だるい表情でテレビを見たまま、けれど決してこちらを見ようとはしない銀さんに対し、それは疑惑ではなく確信だった。そもそもお金が消えたなんて事態に銀さんが大騒ぎしない時点で、他に理由が見当たらないではないか。

「いやいや、新八君。んなハナっから人を疑うのは良くないよ?こんな汚い世の中でもさァ、信じることから始めないと未来を担う子供たちの心まで薄汚れていくよ?」
「薄汚れてんのはアンタの心だよ!どーすんですか!あさってまで仕事無いのに、それまでの食費!」
「だからさァ、ホラ。俺もお前らにたまには旨いモン食わしてやりてーし?なんとかしようと結構頑張ったんだけどさァ。金が悪魔のマッシーンに吸い込まれるようにさァ。いや〜これだから怖いわ、7の付く日」
「怖い、じゃねーよ!つーか吸い込まれるようにって、アンタが吸い込ませてんでしょーが!」

のらりくらりと語る銀さんに反省の色はまるで無い。
このダメ人間!という心中の叫びを口にする気力も失いながら怒りで歯噛みする僕の耳に、インターホンの音が響いた。
お邪魔します、という声と共に部屋に入ってきたのはさん。どうやら仕事帰りに立ち寄ったところらしい。

さん、聞いてくださいよ!今晩からの食費、この人全部パチンコにつぎ込んじゃったんですよ!?僕ら干上がっちゃいますよ!」

堪忍袋の緒が切れた僕は、振り返るなり彼女に訴えた。
なんとか言ってやってくれ!という心底の願いを込めて。
ところがさんは、「困った人ねぇ」と相変わらずのトーンで首を傾げて笑うだけ。
銀さんに対しても、「ねぇ?」と笑いかけるだけ。
あああ…もうダメだ。やっぱりさんは銀さんに甘い。甘すぎる。
これじゃこのまるでダメな大人は調子に乗る一方。
やっぱりこれからも、この万事屋をシメていくのは僕しかいない。
この大将の無体をいさめるのは、万事屋の平和を守るのは、僕しかいないんだ。
僕が一人そう覚悟を決めた時。

「あ〜…俺ちょっと出かけてくっかな〜」と、不意に銀さんが立ち上がった。

「えっ、ちょっと。何ですか、いきなり。どこ逃げる気ですか。話は終わってませんよ」

「ちょいと野暮用」などと、なんだか唐突に逃げ腰になった銀さんを止めようと手を伸ばす。だが彼を止めたのは僕の手ではなく、「そういえばね、銀時」と思い出したように上げられたさんの声だった。

「は?」
「2丁目の豆腐屋のおばあちゃんがね、昨夜の強風で屋根の瓦が飛んじゃったんですって」

まるで最初と変わらない笑顔のままさんが言った台詞の真意は、僕にはすぐに飲み込めなかった。

「はい?え?屋根?瓦?」

それは銀さんも同じらしい。だが、尋ね返す口調にはどことなく警戒した響きが含まれている。

「雨漏りがひどいらしいの。大工さんも人手不足で明日になるらしいし」
「え〜と…それは、あの、もしかしてェ。俺にィ、直しに行け、とか言ってます?」

銀さんがおそるおそるといった体で尋ねた。まさかね?と言いたげな空気をたっぷりと滲ませながら。
え?そうなの?そういうことなの?

「すぐ直せるなら報酬はずんでくれるんじゃないかしら」
「いや、つーか、え?すぐ?すぐって今から?もう陽ィ暮れんだけど」
「そんなに広い範囲じゃないし1人でも大丈夫そうよ?」
「あれ?しかも俺1人な感じ?3人揃って万事屋じゃないの?」

決して「行け」とは言わない。声を荒げるわけでも、責める言葉を投げるわけでもない。
なのに、何だろう。この有無を言わさぬ感じ。
もしかして、これってさん、怒ってる?怒ってる感じなの?

「切腹以外でケジメをつける機会があって本当に良かったわねぇ」

それは恐らく、パチンコで使い果たした食費のケジメ。笑顔のダメ押しに銀さんが若干助けを求めるような顔で僕を見た。いや、でも助ける謂れはないわけで。

「良かったですね、銀さん」

僕もその言葉を重ねると流石に諦めたらしい。
「豆腐屋行ってきま〜す…」と彼は背中を丸めて玄関を出て行った。
いってらっしゃい、とその姿を見送るさん。
僕と目が合うと、「育ち盛りのコたちの食費に手をつけちゃダメよねぇ?」と、笑った。
怒りの沸点というのは人それぞれ。さんの場合は人より少しだけそれが高いだけなのかもしれない。『シメる時はシメる』。僕はお登勢さんの言葉の意味がようやく見えた気がした。
そして末永く平和であれそうな、万事屋の未来も。



けれどその後、「新八君、買い物付き合ってくれる?」と自分の財布を手に僕を誘い、温かい夕食で銀さんを迎えるさんは結局、甘いと思うんだけど。
そして一仕事終えた疲れ顔でブツブツ文句を言いながら帰ってきつつも、そんな食卓を見てほんの一瞬嬉しそうな表情をのぞかせた銀さんも。
ま、これがいわゆる『惚れた弱味』ってやつなのかな。
お互いに、ね。












ものすごい久しぶりに「秋」を書いたら甘さ不足、どころか皆無になった件。
でも最近個人的には「このくらいの感じが逆に甘いんじゃないかなぁ」とか勝手に思っているもので。

今回の話は前作「なりゆき」での後半の流れから若干繋がっている感じです。
多少尻に敷かれるところがある方が男は懐が深くて男前だと思うんですがどうでしょう。

最後まで読んで下さりありがとうございました!
そして遅い更新をお待ち下さっていた方、本当にありがとうございます!
「秋」、ひたすら亀にまだ続きます。