いつかのはなし
[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。 僅かに開いた窓から緩く流れ込む夕風が思いがけず冷たくて、眠りから揺り起こされた。 顔に乗せていたジャンプを退けると、陽は傾き始めているもののまだ明るい。いくら昼寝とは言え、開けっ放しで寝ていては風邪をひく季節ということか。ソファから起き上がり、ぎしぎしと大げさな音を立てる窓を閉めた。つけたままだったはずのテレビもいつの間にか消えた静かな部屋。神楽はたしか昼食後、公園に行くと出て行った。新八は買い物にでも行ったのだろう。 欠伸を一つして、渇いた喉を潤すべく台所へと向かう。廊下の向こうから、ぱしゃぱしゃと微かな水音。 「もうそんな時間かよ」 そう声を掛けると、切り花を木桶の水に浸していた綾が振り返り「おはよう」と笑った。もうコイツが一仕事終えてここに立ち寄るような時間とは、まったく一日というのは早い。 「そんなにずうっと眠っていたの?」 「わかんね。3時のワイドショー始まんのは聞いた気ィすっけど、あと覚えてねーな」 「脳みそ溶けちゃうんじゃないかしら。そんなに寝ていたら」 「ちょっとくれー溶けてた方が人間柔軟な発想が出来るようになんだよ。ガチガチにお堅い奴より型にはまらねェソフトな奴のがモテたりすんだよ」 「いいじゃない?もう今更モテなくたって」 「オイ、なんだその今更って。人を終わった奴みてーに言うな。俺ァまだまだこれからだ」 話しながらも綾の手は慣れた様子で水に浸る花の茎を下から少しずつ切り落としてゆく。〝水切り〟とか言ったか、それ。こいつが、勤めている花屋の売れ残りをもらっては万事屋に持ち込んでくるようになってから、何だか妙に花の事に詳しくなっている自分が複雑っちゃあ複雑。 「あ」 冷蔵庫から出したいちご牛乳のパックに口を付けながら、小さな声と共に水から手を出した綾を振り返った。その人差し指の先からは、赤い血が丸く浮かんでいる。 「何ベタな事やってんだよ」 どうやらトゲが刺さったらしい。 「ほんとねぇ」 呑気な口調で言いながら血を拭うものを探しているらしい綾に、手近に渡すものも見当たらず。代わりにその手を取り、細い指先を口に含んだ。微かに広がる鈍い鉄の味。 「あ」 今度は別の方向から聞こえた「あ」。そのままそちらへ視線を向けると、台所の入口で買い物袋片手に固まっている新八がいた。 「す、すっ、すいまっせん!」 慌てて背を向け去って行った新八がその場に放っていった買い物袋を、2人黙ってしばし眺める。 …つーか何をそんなに慌ててんだ。別に押し倒してたわけでもあるめーし。 「ったく、新八のくせにトゥーシャイシャイボーイ気取りかコノヤロー。あ?新八だからか?」 「なんだか、悪いことしちゃったかしら」 申し訳なさげに首を傾げる綾の手を離して、引き出しから取り出した清潔な布巾を手渡した。 「こんなもんで申し訳ながってたら、いつかもっと申し訳ねーことになると思いますけど?」 「え?」 置きっ放しの買い物袋に手を掛けようとしていた綾がこちらを見上げた。「ま、いつかの話だけど~」。言いながらその横を通り過ぎ、台所を出る。 「そうね」 背中に一言、綾の返事。首だけ振り返ると、こちらを見るその顔は、実に嬉しそうに、幸せそうに。 …相変わらずバカだろ、お前。 そーゆーツラは今じゃなくて。 『いつか』の時にとっとくもんだろーが。 『いつか』の時に、よ。 もしものはなし(side新八) |