辿りついていた場所






柔らかな日差しが鰯雲の隙間から降って来る午後のこと。
買い物から帰った僕は、ちょうど万事屋へと階段を上る銀さんと鉢合わせた。
穏やかな風に乗ってどこからか旅してきたイチョウの葉が、軋みを上げる万事屋の階段にひらり1枚。
それを踏まずに1段飛ばしで歩を進めた銀さんの足はきっと偶然では無いだろう、と実に平和な推測をもって彼の背を追うほどに、それはなんとも静かで優しい日のこと。

「銀ちゃんんん!大変アル!!」
階段を上り切るか上り切らないかという時、待ち構えていたかのように戸を開けて飛び出してきたのは神楽ちゃんだった。
「帰ってくるなりうるせーなァ。おかえり、くらい言えねーのか、おめーは。どーせまたロクでもねェこと…」
が」
「はァ??」
さんどうかしたの。神楽ちゃん」
尋ね返した僕と銀さんに、神楽ちゃんは一つ息を吸い込み、そして
「赤ちゃんできちゃったヨ!」
と、叫んだ。
銀さんと2人、一瞬沈黙。そして、溜息。
「ま〜た始まったよ、オイ。2度も同じ手くわねーっつーの。今度はどこのガキ抱いてたっつーオチだ?そもそも、それ言やァ俺が毎回慌てると思ったら大間違いだからね」
「そんな事言って、前も神楽ちゃんの早とちりだったじゃない。さんに聞いたわけじゃないんでしょ?」
まるで取り合おうとせず、立ちはだかった神楽ちゃんを避けて玄関に入る僕と銀さんに、当の本人はふくれ顔。ぐいぐいと銀さんの腕を引き、なおも主張する。
「今度は間違いないネ!だって私知ってるアル。急に厠行って、オエエエって言ってたらオメデタネ」
「だからお前、テレビの見過ぎ…」
面倒臭そうに眉間に皺を寄せながら靴を脱ぐ銀さんが途中で言葉と動きを止めたので、後に続こうとした僕も必然的に動きが止まる。どうしたのかと銀さんの視線の先を追うと、ちょうど厠から出てきたさんが、若干の青白い顔とふらりとした足取りで廊下を横切り、洗面所へと入って行ったのが見えた。後に続いてそうっと暖簾をめくり洗面所を覗く銀さんの隣から、僕も中を覗き込む。洗面台の前には、あまり気分のよろしくない様子で水を飲むさん。
…見たことある。たしかにこんな光景、テレビで見たことある。
「…」
言葉が出ないまま横を見上げると、銀さんは完全に固まっていた。
後ろで神楽ちゃんが「ね?ね?間違いないネ」と僕らの背中を興奮気味に小突いている。
「…あ、おかえりなさい」
ようやく僕らに気付いたらしいさんが、いつもより少しだけ力無い目でこちらを見た。ごめんなさいね、と言いながら水をもう一口。
「ぎ、ぎぎぎ銀さん。あの、あの、もしかしてホントに、あの」
僕が全てを口にする前に。
さんの前に大股で歩み寄った銀さんが、なんの前触れもなく彼女を腕に抱きかかえた。
「…新八ィィィ!布団敷けェェ!」
「ハイィィィ!!」
唐突にそう叫んだ銀さんの勢いにつられる形で僕も叫び返した。
「え?銀時?」
戸惑うようなさんの声が、それに重なる。
和室に走り、布団を広げる。神楽ちゃんが枕を載せ、敷布団をめくる。絶妙のコンビネーションで用意された床に、「え?ていうか、どのアレ?いつの?」などとブツブツ独り言を漏らしながらも、そうっとさんを下ろす銀さん。
問答無用で布団をかけられたさんが、「大丈夫よ?銀時。寝ているほどの事じゃないから…」と、半身を起こすが、「バッキャロォォ!甘く見んじゃねェ!てめぇ一人の体じゃねんだぞ!」と、銀さんはそれを許さず。
あのね、銀時。さんがそれ以上を口にする間も、それを聞く余裕も無く。
その後の万事屋は、大騒動となった。

「オイコラ、誰か酸っぱいモン持って来い!酸っぱいモン!」
「ハイ!銀ちゃん!」
「誰が酢昆布持って来いっつったよ!んなジューシーさの欠片もねェ酸っぱさ求めてねーんだよ!オレンジとかグレープフルーツとか買って来い!」
「銀さん!そんなお金ありません!」
「バカヤロー、諦めるな!諦めたらそこで試合終了だろーが!どっかにあるかもしれねーから探してみやがれ、ミッチー!」
「すいません!ミッチーじゃないんで諦めます!」
「銀ちゃん!どうしたらいいネ!私子守唄一つも知らないヨ!」
「大丈夫、神楽ちゃん!子守唄なら僕にまかせて!」
「いや新八、情操教育って言葉をとりあえず100万回ググってこい」
「ちょっと、どーいう意味ですか、ソレェェ!」
「そうだ!!おなかの音聞かせてヨ!」
「いや、待てェェ!なんでおめーが先に聞くんだ!俺だろ、フツー!」
「まだ聞こえるわけないでしょーが!2人とも落ち着いてください!ハイ!ヒッヒッフー!」
「お前が落ち着けェェェ!」

3人とも、大混乱。
誰一人、落ち着いていない。
そんな面々に囲まれ、布団の上でぽかんと切れ間の無いやり取りを見つめるさんから、吐き気がするため午前中病院に行ってきたところ胃炎と診断されたのだ、という話を聞くことになるのは、約30分後。
神楽ちゃんのことは、2度と言えない。全員ハンパない早とちりだ。
その上人の話を聞かないのだから、もう救いようがない。
銀さんは、だから俺はナイと思ってたけど、などとあさっての方向を見ながら苦しい台詞を吐いていたけれど。
誰よりも先に動いたの自分じゃないかよ。

どっちにしても具合ワリーんなら寝とけ、とだけ言い残して、言葉少なに和室を出て行った銀さんの背を見送ると、しばし気まずい空気が流れた。少ししてからさんは「何かみんなに勘違いさせちゃったのね」と申し訳無さそうに笑った。謝るのはこちらの方だというのに。
あの短時間に駆け巡った驚きと戸惑いと、そして興奮。騒がしくて、おかしくて、ほんの少し、名残惜しい。そんな時間だった。
「銀さん、実は残念だったんじゃないですかね」
「そうかしら」
「そうですよ、きっと。だって見ました?あの大騒ぎぶり。あの様子じゃ本当の時なんてさぞかし…」
「るせーな。さぞかし何だ」
戻ってきた銀さんの足が、僕の後頭部を小突いた。
どこへ行っていたのかと思えば、手に乗せた盆には湯気を上げる粥の鍋。
「メシまだなんだろ?食わねーと薬飲めねーだろーが」
言いながらさんにそれを差し出す。
「ありがとう」
「銀ちゃん、私のは?」
「なんで元気な奴が食うんだよ。おめーはいいから酢昆布食ってろ」
「神楽ちゃん。たくさんあるから、半分食べない?」
「ウン!」

さっきまでの騒がしさが嘘のような、穏やかでゆっくりとした時間。
近頃はすっかり傾くのが早くなった日差しは、階段で見たあのイチョウの葉と同じ黄金色だ。
いつも通り緩やかなさんと銀さんの会話が、まるで夕暮れ時に遠くで聴こえる童謡のように耳に心地よく流れていく。


ねぇ、銀時?
ああ?
安心した?がっかりした?
いや、俺ァ別にハナから違うってわかってたし。安心もがっかりもねーし。
そう?
ただ、まぁ…そんなんも悪かねぇとは思ったけど?
じゃあ、本当になるのを待ってみる?
あー?そうねぇ。なら、いつそーなってもアリなよーに、も、俺んとこ来いや。
そうよねぇ。うん、そうする。


「…」
「…」
今まさに目の前で大人2人が交わしているとんでもない言葉に、僕も神楽ちゃんも、ただただ、開いた口が塞がらなかった。
そんな。
まるで「今日の夕飯何にする?」「カレーにしようや」位のノリで。
そんな大事なことを。
まったく、こいつらは。
どこまで行っても相変わらずな2人に、笑いが漏れた。
ああ、たしかにソレ、悪くないですね。
僕が言うと、
そうネ、悪くないアル。
神楽ちゃんも続く。

ま、おめーらは情操教育にはワリーけど。
いえ、銀さんに言われたくありませんよ。



秋が深まり、色付く空気。この空気が白くなる頃には、また冬がやって来る。春が来て、夏が来る。そうして巡っていく季節に、同じ空はきっと2度と無いことを僕らは知っている。だからこそ、美しくて、時に悲しい。

けれど、ここはきっと変わらない。
いや、何かが変わる日は、きっと来るのだろう。けれど、どんな空の下だろうと、変わらないものがあるという静かな確信を、今きっと共有している。
怒って、笑って、泣いて、呆れて。おはようとおやすみを、ただいまとおかえりを、何度も何度も繰り返して。繰り返すことを願い続けて。
いつの間にか辿り着いていた、この場所で。