あのの前






「なんだか降ってきそうだよね」

ショートホームルームも終わり、帰りの挨拶も終わり。
いつも以上に賑やかとなる金曜の放課後の教室で、誰かのそんな台詞が耳に入った。
外に目をやれば、少し前までの青空はどこへやら。重い重い鉛色が四角い窓の向こうに広がり出している。
朝の天気予報は、たしか晴れ時々くもり。降水確率10%。
それが、どこをどう引っくり返せばこんな天気になっちまうのやら。


「お妙さん!濡れては大変なので、ここは俺の家で雨やどりがてらお茶でも…!」
「こういう雨にかこつけたケダモノが出没する前に早く帰りましょ?みんな」

妙に眼中にすら入れてもらえなかったゴリラがしょぼくれる中、他の生徒達も慌てて帰り支度を始める。当然だ。のんびりしていて濡れる羽目になるのは誰だって避けたい。

「なんだ、てめーら。置き傘の一つもしてやがらねェのか。用心が足りねェな」

そんなクラスメイト共に対し、勝ち誇ったようにロッカーから紺色の折り畳み傘を出してきたのは土方。
つーか、律儀に学校に置き傘しとく男子高生なんかてめーくれーしかいねーよ、今時。
内心のツッコミは敢えて口に出さず、教卓の出席簿を小脇に抱える。
そう、雨を前にとっとと帰るべきは生徒だけではない。教師だって、とっとと帰るに限る。


その時。
窓際に座る一人の女生徒と目が合った。
担任を受け持つこのZ組の、一生徒。
このアクが強いクラスの面々に比べればいたって大人しいはずなのに、何故かこうして時折目に留まってしまう、生徒。
降り出しそうな空を気にしながらも寄り道や週末の予定を楽しげに話す生徒たちの中、そいつだけが、少し寂しげな何か言いたげな目でこちらを見ていて。
俺と目が合った事に少し驚いた様子のそいつは、慌てたように目を反らす。

遅ェよ、もう。

そもそもこんなのは、今日に始まった事ではない。
いつだって、金曜日のアイツは、あんな風に少しだけ浮かない顔で帰りの挨拶を済ませ教室を出ようとする俺を見ている。
そのクセ、誰もがかったるそうに沈んだツラをする月曜日の朝の教室では、人一倍嬉しそうな顔で席に座っていて。
んな今更慌てて目ェ反らしたところで、俺が気付いてないとでも思ってんのかね。

そんな事を思いながらも俺はいつもの金曜日と同じように、その沈んだ顔に背を向け戸に向かって歩き出す。
けれど、今日はふと、視界の片隅に入ってしまったもう一つの姿。
そんなアイツを、教室の反対隅から見ている土方の姿。
自慢の置き傘を片手に、何か言いたげに。その足は、窓際のアイツの席の方へと歩き出す。
何をしようと思っているのかは大体想像がつく。
今にも降り出しそうな空。傘の無い女子。
そんな絶好のタイミングを逃がすとあっては、置き傘男子の風上にも置けねェわな、たしかに。

戸を開き、廊下へと出ようとしていた足を止めた。
そして、首だけで振り返る。

「23番ー」

一言ざわめく教室内に呼び掛けると、全員が「は?」というような顔でこちらを見た。

「23日だろ、今日。出席番号23番の奴〜。ちょい職員室まで来て、おめーらのよりよい授業のために頑張る先生を手伝うよーに。以上」

一続きにそれだけ言うと、窓際の席で曇り模様のままうつむいていたそいつの…出席番号23番の顔が弾かれたように上がった。
口をポカンと開けて、目を大きく見開いて。勝手にアテレコするなら、「やった!」の表情。居残りで手伝いって、そこは普通「ええ〜っ!」って顔するとこだろ。ほんとバカだよ、アイツ。

そのまま視線をずらすと、もうあと数歩のところまで傘を片手に歩み寄っていた土方の口惜しげな表情が目に入った。睨むようなその視線はこちらに向いている。
その目がおもしろくて、ニヤリと笑い返してやった。ザマーみやがれと言わんばかりに。
俺の反応に多少驚いた様子の土方が、何か言おうと口を開きかける、が。それは聞かずに教室を出る。

残念ながら土方君。今日は俺の勝ちっつーことで。
ま、誰が23番かっつーのを覚えていたのは、国語の時間にも23日を理由に23番を指名したばかりだったからっつーたまたまの理由でしかねェんだけど。
とは言え、今後はそんな運まかせで勝つ気はねーし。
いつまでも金曜日にあんな沈んだツラさせとくわけにもいかねーし。俺としても。
つーか、あの「やった!」のツラを、俺以外のヤローの前で拝ませる羽目になんのも、なんだしね。



笑い声や誰かを呼ぶ声が満ちる放課後の廊下の中、教室を飛び出し、後ろから必死で追い掛けて来る足音が聞こえる。
誰か、なんて、振り返るまでもない。
んな必死こいて俺を追い掛けてくる奴なんて、校内でお前くらいしかいねーよ。

先生、手伝いって、何?

息を切らせぎみに、ようやく追いついたそいつは俺の数歩後ろでそう尋ねてくる。
その様子になんだか笑えそうになって。少しだけ、歩幅を緩めて。

…さて。何か手伝わせるよーな事あったっけか?
ああ、そういやそのうち自習で使おうと思ってたプリントが、あったよーな無かったよーな。
とりあえず、アレでも印刷してもらうとすっかね。




もうすぐ、きっと雨が来る。

入れてやる傘の無い空っぽの俺の手でも。
差し出せばきっとコイツは、いいトシこいた教師をこんな大人げない行動に走らせる原因になったあのツラで笑うんだろう。
これはもう、腹ァ括って。
妙にケダモノだ何だと言われよーが、雨にかこつけてみるとするかね。俺も。


雨を待つ金曜日の放課後。
2人並んで、薄暗い廊下を行く。
来週の金曜日には、曇らないコイツの顔が見れることを確信しながら。











「あの時」企画3Z版。
す、すいません。どの時かわかってもらえたでしょうか。
3Zシリーズの1番最初、「雨やどり」の直前の出来事でした。
なのでもちろん、付き合う前の話です。
なんやかんやで教師と生徒なわけですから、
いくら銀ぱっつぁんでも、ちゃんと向き合う事を決めるまでには
時間やらきっかけやらが必要だったんじゃないかな…と思っております。
ということで、きっかけは雨と土方氏だったということで(笑)
連載の流れ的には突然付き合い出した2人になっちゃってますが、
一応裏設定としてソレまでに色々とあるので今後もチラ見せできる機会があればまた。

最後に。
いつも拙宅の銀八先生にお付き合い下さっている皆様。
1年間本当にありがとうございました。
今後とも拙宅のダル先生をよろしくお願いいたします!