あの夕空の下






夏の焼けるような太陽は、傾く度に優しくなって。
この時間には、町中を橙色に霞ませる。

そんな空の下。
長く影を伸ばす『スナックお登勢』の看板の傍らで、お登勢さんがしゃがみ込んでいた。
くわえた煙草から緩く上る煙とは別の、もう一つの煙を目で追いながら。



「お登勢さん、何してるんですか?」

少しばかり遠くを見るような、何かに思いを馳せるようなその横顔に、少し迷ったが僕は声を掛けた。
「あん?」とこちらを見たお登勢さんの、いつもと変わらぬ雰囲気にホッとする。

「何って。見ての通り送り火さね」
「送り火?」
「なんだい、知らないのかい?昔からの風習でね。お盆に帰って来ていたご先祖の霊を、こうして麻の茎の煙であの世まで送るのさ」
「へぇ…。知らなかったです」

僕はお登勢さんと同じように、煙を辿って空を見上げてみた。
夕暮れを透かす白い筋は、屋根まで届く間もなく空に散って見えなくなる。
まるで別れを告げるかのように、ゆらゆら揺れながら。

お登勢さんが見送る人は誰だろう。
亡くなった旦那さん、なのかな。
僕もこうして見上げていたら、父上や母上を見送ることができるんだろうか。
僕は、そっと心の中でつぶやいてみた。
さようなら。また来年、と。



「ババアとメガネが仲良く並んで夕焼け小焼けかよ。絵になんねーなァ、オイ」

なんとなくしんみりと押し黙っていた2人の間に、エンジン音と共に場にそぐわない気だるい声が入り込んできた。
空気を読めるはずのない声の主はわかっている。バイクから下りヘルメットを外す彼の、やる気無い顔を見上げる。

「…すいませんね、ビジュアルいまいちで。ていうか、雰囲気ぶち壊しにすんのやめて下さいよ、銀さん」
「いや、だからビジュアルがアレな時点で雰囲気なんて無いに等しいからね。俺が壊したんじゃなくて、最初からありゃしねーから、そんなモン。だってメガネとババアだし?」
「コイツにこーいう繊細な風習が理解できるわきゃないんだよ。堂々と家賃滞納できるようなどっしり図太い精神の持ち主なんだからねェ」

立ち上がったお登勢さんが、溜息で紫煙を吐き出しながらそう言った。
既に怒るまでもなく諦めの口調だ。
そのお登勢さんの足元でまだくすぶっている麻の茎に、銀さんがふと目を留めた。

「…今日ってアレ?送り盆?」

僕はその銀さんの台詞が少し意外だった。
お登勢さん曰く『繊細な風習が理解できるわきゃない』銀さんが。送り盆の今日に焚く、送り火の事をちゃんと知っている様子だったから。

「まったく。どいつもこいつも、いつが盆かもよくわかっちゃいないんだから嘆かわしいモンだねェ」

やれやれと言わんばかりにかぶりを振るお登勢さんには答えず、銀さんは下りたばかりのバイクに再びまたがった。
そして右手に持っていたヘルメットをかぶり直す。

「え?銀さん、どこ行くんですか?今帰ってきたばかりなのに」
「あ〜?ちょいと野暮用」

あまり答えにはなっていない返事と共にエンジンをかけ、ゴーグルを下げる。
なんだかよくわからないが、何かを突然思い出したらしい。
多分、あの、送り火を見て。

「銀時」

不意にお登勢さんが銀さんを呼んだ。
空を見上げたままの彼女を、ハンドルを握った銀さんが返事の代わりに振り返る。

「アンタに飲ませたって金になりゃしないけどね。他に客でも連れて来るってんなら、たまにゃあサービスしてやるよ?」
「随分と気前がいいじゃじゃねーの。どうした?悪いモンでも食ったか?バーさんよ」
「一言多いよ、天然パーマが。どうしたもこうしたも、盆はみんな揃って過ごすのが日本の風習ってモンさね」

微かに口元に笑みを浮かべたお登勢さんに、銀さんも少しだけ口元を緩めた。

「ま、アイツのノリが良けりゃな」

アイツ?
けれどそれを尋ねる前に、白いバイクはその場を走り去っていった。
後に残るのは、夕暮れ時の静けさだけ。

「お登勢さん、銀さんどこに…」

何やら物知りげに銀さんを見送った彼女を覗き込むと、
「さぁねェ」
とわざとらしく首を傾げて、店の戸を引き開ける。

「ま、送り火なんて一人で焚かせたくないってんなら、アイツも一端の男だってことさね」

また僕の頭に疑問符を並べる言葉を満足げにつぶやきながら、お登勢さんは店先に暖簾を掛けた。
色を濃くする夏空に揺れる、開店の印。

「アンタも、なんだったらチャイナ娘呼んで店に来な。コロナミンCくらいなら飲ませてやるよ」

火の消えた麻の皿片手にそう言い置いて暖簾の向こうに消えたお登勢さんの背中に、僕は笑いが漏れた。

なんだか、よくはわからないけれど。
心の奥にしまってあるはずの記憶に手が届いて、少しだけ切なくなるこんな夏の夜は。
誰もがきっと、一人よりも誰かと過ごしたくなるのだろう。
どこかに一人の人がいれば、きっと誰もが、声を掛けたくなるのだろう。
駆けつけたく、なるのだろう。




僕はもう一度、空を見上げた。
みんな、無事に帰れたのだろうか。
他所様の送り火に便乗するなんて、と、父上には怒られてしまいそうだから。
来年は僕も、あの火を焚いてみてもいいかもしれない。
少しだけ、ここにいない人に思いを馳せて。
それからまた、みんなで一緒に騒げばいい。いつものように。
これからずっと、そんな夏の終わりを過ごせることを願って。

さて。暑い暑いとソファで寝転がっているだろう、神楽ちゃんを呼んで来るとしますか。











1周年「あの時」企画。Silver Soul版。
夏連載内「送り火」の、30分程前の出来事でした。
銀さんの「野暮用」は、あのベランダに行く事です。
少ししんみりした後は、みんなで賑やかに飲み明かす夜となるんでしょうね。

Silver Soul、1年間で「冬」「春」「夏」の3つを完結させる事ができました。
季節ごとにユルくなるばかりの熟年カップルを温かく見守っていただき、感謝、感謝です!
サイト2年目は、「秋」連載もスタートさせたいなと思っておりますので、
今後ともお付き合いよろしくお願いいたします!